アイリス あいりす 

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ふるさとは心にある?

2018-03-07 12:35:46 | 日記

 

 春まだ遠しのころ。私は小学校6年生から高校3年まで、住んでいた街を尋ねました。

高校の同窓会があったからです。

ひとりで、駅を降りて、街の様変わりを見ました。もうあれから半世紀近く経つのですから。

どんなに変貌していても驚くことはありません。

 

 駅前の様子も様変わりしていましたが、道はそのままです。

確かあそこに、キューちゃんの家があったけど、と思いましたが、そこはすでに駐車場に変わっていました。

お店も知っている名前のお店は、もう見当たりませんでした。

 大きなマンションが建ち、その近くに新しいスーパーができ、買い物客は年配が多いようでした。

道は確かにそのままありました。うろ覚えの駅から住んでいた家までは、簡単でしたが、

もうその家はなくて、建売の住宅が並んでいました。

 

 お向かいの2軒と、お隣の表札はそのままでした。

古くなっていたお向かいの家の庭の木に見覚えがありました。

それから、中学校を目指して歩きました。

 

 中学校は歩いてすぐでしたが、すでに新しい校舎になり、もうそれもかなり経っているようでした。

覚えているのは、木立です。塀の中に並んでいる大きな木は、当時の様子を彷彿とさせました。

私が訪れたことを、この木だけが知っているような気がしました。

 

 中学校を後にして、駅まで歩きながら、私は自分の気持ちがわからなくなっていました。

懐かしい気持ちは、もうすでにないのです。

変わっている様を見届けに来ただけのようで、そして知り合いと言うほどの人もすでになく。

遊んだなつかしい景色もなく、ただ、寂しい気持ちがさわさわと、心の中で風がふくような気持でした。

 

 私の育ったところは、田舎です。そしてそこで多くの事を私は吸収してきたと、改めて感じていました。

しかし、田舎では、5年生で引っ越しをしたのですから、卒業アルバムの写真にも跡形もなく、

田舎の幼馴染ぐらいしか、友人と呼べる人はもういませんし、同窓生であっても、忘れられるのは仕方が

ないと思いました。

 

 ふるさとって、なんだろう?と思います。

田舎では年の離れた妹夫婦が家を継いでいますから、つながりが消えたわけではありません。

そして、私が故郷と呼べるところは、田舎なのだと、この日に確認したのでした。

引っ越しをその後も繰り返して、わたしが意識したこともなかった故郷は、やはり田舎のあの田圃と畑、そして父と母と姉と暮らしていたあの頃の光景が、一番懐かしい光景でした。

 

 でも、その故郷では、同窓生と呼べる人達はいないのです。

同窓生に会う喜びは、やはり、その後に住んだところなのです。

故郷が、二つあるように感じていたのですが、

場所としての故郷と、人脈としての故郷は、私にとっては故郷は2つに分かれていました。

「故郷は遠きにありて、おもうもの、なまり懐かし停車場に、そを聞きに行く」(石川啄木)

生まれて大きくなるまで、そこで育った人は、故郷は特別な思いがあるでしょう。

それは、歳を取ると妙に懐かしく、思うものなのです。

 

 故郷の自然の光景が、そのままほぼ残っているという人は、少ないかもしれませんね。

私達が生まれて生きて、はぐくまれたその地が、故郷であり、それは心の中に深く残っているのです。

 

 

 

 

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