♬ この本の日本でのタイトルは、「さとりをひらくと、人生はシンプルで楽になる」です。
エックハルト・トール「さとりをひらくと、人生はシンプルで
楽になる」より
第4節「中毒的な人間関係」を「目覚めた人間関係」に変える方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p207
問い 中毒的な人間関係を、「ほんとうの愛」に変えることはできるんですか?
答え ええ、もちろんです。意識を強く「いま」に集中させて、「いまに在る」パワーを増大させるのです。パートナーのいる、いないに関わらず、これがカギです。思考やペインボディを「ほんとうの自分」と錯覚しないくらい、「在り方」が強力でなければ、「ほんとうの愛」を育むことはできません。「ほんとうの自分」の正体をもうお分かりですね? 「ほんとうの自分」は思考の根底にある「おおいなる存在」であり痛みの根底にある「愛」と「喜び」です。この真実をさとることは、私達にとって最高の自由になるはずです。
ペインボディを自分から切り離すと(ペインボディとは傷ついた感情の痛み)、ペインボディは「在る」光で照らされ、変容されます。思考を観察して、自分から切り離すと、思考が繰り返し行うパターンと、エゴがいつも演じたがる役に気づくようになります。こうして、思考からパワーを奪回すれば、思考は脅迫的な性質を失います。思考の脅迫的な性質というのは、「決めつけ」をせずにいられないことです。決めつけをすると、「すでにそうであるもの」に抵抗することになり、痛みを生む衝突やドラマをこしらえてしまうのです。「すでにそうであるもの」を受け入れると、もう思考から支配されません。それと同時に、愛、喜び、平和が存在出来るスペースを作っているのです。すると、わたしたちはまず、自分自身に対する決めつけをやめます。つぎに、パートナーに対する決めつけを辞めます。機能不全の恋愛関係を変化させる一番の触媒は、パートナーに対して、なんの決めつけもせず、相手のどんなところも変えようとせずに、ありのままに受け入れることです、これが人間関係からエゴ的意識を取り除く方法です。
その時点で、「思考のゲーム」と「中毒的なしがみつき」はすべて終わります。被害者も加害者もいなくなり、咎める人も、咎められる人もいません。相手の無意識状態に、引きずり込まれてしまうこともありません。すると、カップルの関係はどんな風に変化すると思いますか? 愛に包まれながらも、パートナーと別離しているか、もしくはパートナーも一緒に「いま」に在り、「大いなる存在」に繋がっているかのどちらかです。「そんなに単純なら、苦労はしないよ」と思う方もいるでしょう。でも実はそんなに単純なことなのです!
「大いなる存在」が愛なのです。愛は、外界にあるのではありません。それは、私達の内面の奥ふかくにあるのです。私達は、絶対に、愛を失う事はありません。愛が私たちの元を去ることもありません。愛は自分以外の誰かが、外界のなにかに依存しません。
私たちが、「いまに在る」時、「形と時間を超越した”大いなる存在”が ”ほんとうの自分”なのだ!」と感じることができます。それと同時に、全ての人間、全ての創造物の根底にある、「共通の生命」を感じる事ができます。
独立した形、というヴェールの奥を見通すことが出来たのです。これが「すべてがひとつであること」の気づきです、これが「ほんとうの愛」です。
神とはなんでしょう? あらゆる生命形態の奥にある「ひとつの生命」です。愛とはなんでしょう?「ひとつの生命」を自分の根底はもちろん、すべての創造物の根底に感じる事です。「ひとつの生命」と自分もひとつになる事です。愛はすべて「神の愛」なのです。
愛は「えり好み」しません。ちょうど太陽の光が、わけへだてせず、私達に平等に降り注ぐのと同じです。
愛は、一人の人を特別扱いしません。愛は排他的でもありません。排他的なのは、神の愛ではなく、「エゴ」の愛です。
ただ「ほんとうの愛」でも相手によって、感じるレベルはまちまちです。他の人よりも、ひときわクリアーにひときわ強く愛を交感出来る人がいるかもしれません。相手もあなたに対して同じように感じるなら、あなたと相手は恋愛関係にあることを意味します。
あなたと相手を繋ぐ絆は、バスで隣り合った人や鳥たち、木々、花々とをつなぐ絆と同じものです。絆を感じる強さが違うだけです。
中毒的な人間関係の中でも、互いの中毒的な欲求を超えた、本物の「なにか」が瞬間的にキラリと輝くのを感じる時があるものです。こんな瞬間が訪れるのは、カップルの思考が一時的に脇に押しやられて、ペインボディが「休止状態」になる時です。
スキンシップをしている時や、奇跡のような赤ん坊の誕生に立ち会う、死に直面する、ひとりが重病を患うなどの、思考活動が妨げられる出来事がきっかけになります。思考活動がストップすると、普段は思考の下に埋もれている「大いなる存在」が表面に現れ、真のコミュニケーションが出来る状態になります。
真のコミュニケーションとは、「魂の交流」であり、すべてが一つだと、認識した上での人とのふれあいです。これが「愛」なのです。思考をコントロールできるくらい「いま」に在ないと、この輝きの瞬間も、瞬く間に過ぎ去ってしまいます。思考が活動を再開して、あなたが思考とひとつになってしまうと、もう「ほんとうの自分」ではなくなり、エゴの要求を満たす為の「ゲーム」をして、「ニセの自分」を演じ始めるのです。あなたは人間の「ふり」をよそおい、別の思考と作用し合う、愛と称されるドラマを演じる、「思考」に戻ったのです。
思考ひとつになる習性から、完全に脱却しないかぎり、もしくは「いまに在る」レベルが、ペインボディを溶かしてしまえる程、強くない限り、愛を育むことはできません。・・・・・・・p210
(♬つぎは、 感情の痛みペインボディを溶かそうです。)