アイリス あいりす 

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歴史で習わなかった秀吉の男気 <1289>

2015-04-02 20:46:42 | 歴史
しばやんの日々より一部転載しました。
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/174/
2012年02月06日(月)

日本人奴隷が大量に海外流出したこととローマ教皇の教書との関係~~その3

「…予(秀吉)は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」(ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207-208)

秀吉が、奴隷を連れ戻すために必要な金を払うとまで言ったのに、コエリョは我らも廃止させようと努力しているのに取り締まらない日本側に問題があると答えて秀吉を激怒させ、『伴天連追放令』を出すこととなる流れだ。
前回の記事でも書いたように、コエリョ自身が署名した奴隷売買契約書も発見されている。コエリョはローマ教皇教書によって認められていた、異教徒を奴隷にする権利を行使していたことは間違いがない。

しかしながら、途中から日本での奴隷貿易を廃止させようと動いたこともまた事実である。
Wikipediaによると、「1560年代以降、イエズス会の宣教師たちは、ポルトガル商人による奴隷貿易が日本におけるキリスト教宣教のさまたげになり、宣教師への誤解を招くものと考え、たびたびポルトガル国王に日本での奴隷貿易禁止の法令の発布を求めていたが、1571年に当時の王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令を発布させることに成功した。それでも、奴隷貿易は根絶にいたらなかった。」と書いてある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E4.BA.BA.E5.A5.B4.E9.9A.B7.E3.81.AE.E8.B2.BF.E6.98.93

ここで、前回の記事を思い出してほしい。
ローマ教皇パウルス3世が異教徒を奴隷とすることを禁止する教書を出したのは1537年。しかし、それが翌1538年に教皇パウルス3世自身により撤回されて異教徒を奴隷にする権利が元どおりに復活しているのだ。
当時のローマ教皇はキリスト教世界の首長として絶大な影響力を持っており、その決定はヨーロッパのキリスト教国王に対しても拘束力があった。したがってローマ教皇の教書で異教徒の奴隷化を全面禁止としない限り、奴隷貿易がなくなるはずがなかったのだ。

~~~~~~~~~

◆日本からいったいどれほどの人身売買がされて奴隷として売られていった人たちが
いたのでしょうか?歴史家の鬼塚氏によると50万人にも上るとされています。

秀吉の話は実は私も近年になってから知ったのです。教科書などに乗せるべき実話だとおもいます。しかし歴史はまったく反対ですね。キリシタンを阻害した殿様として記憶に残っています。またキリシタン大名については悲劇の殿様となっているではないですか?
彼らが武器弾薬と引き換えに女性を売っていたのです。すごい数ですよ。
これは、天皇家が深く関わっていたからではないでしょうか?

室町時代より天皇家は、(戸籍を持たない者を70名も抱えていると聞きます)海外に人を送り
数々の情報を集めていて、海外の王族ともつながりがあったかもしれません。
長崎の出島に最初に日本と貿易をしたのは、オランダです。オランダに天皇家は学びに人を送っています。ですから最初にオランダというのも、うなずけます。
そして、ローマ教皇の奴隷売買の権利を与えるなど、とても宗教家の頂点にいるものとは
思えないまさに悪魔ですよね。

それに引き替え、秀吉の話は日本昔話にでもなりそうなほど、実に日本人らしい考え方です。
伴天連(バテレン)というのは、外国人のことです。、
天下を取って殿様となっても、天皇家に認めてもらわなければ本当の殿様とは言えないのです。こうして当時から支配していたのが、天皇家で、のちの昭和天皇が日本女性を船で海外へ売りとばして、もうけたのが日本郵船です。

わかりますよね、秀吉と、天皇の違いが大きいことに。
秀吉はお金を出すから、つれもどせとまで言っているのに、
かたや、騙して船に乗せて大儲けをして、今の皇居の建物はそのお礼にと建てられたものだそうです。私たちはあの皇居の建物を見るとき、売られた女性を思い出しましょう。彼女たちの
悲しみの象徴が皇居の建物です。
そして、大戦のときの従軍慰安婦について、政府はまたしてもしらを切っています。
女性を売りとばした天皇が、自分の作った大戦で従軍慰安婦だけ知らないなどと、言って信じる人など、いません。信じるひとは、無知なだけです。

調べてください。
ブログでもいい大人が、従軍慰安婦はいなかったとしているブログが山ほどあります。
嘘を信じて調べようとしていません。これも恥じです。
無知は恥さえも、知らないからです。

もう一度いいます。日本女性も従軍慰安婦はいました。彼女たちは家族から、家の恥だとののしられ、黙ってこの世を去っているのですよ。
日本男子なら、この秀吉の心を持っているはずです。

もしそうでないのなら、残念ですが在日の血が流れているでしょうね。
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