日本の陰謀より一部転載しました。
http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p002.html#page14A
■ 沖縄と鹿児島
そもそも沖縄守備軍司令官牛島満だが、この男は「鹿児島」出身だ。鹿児島の人間はほとんどこの事を知らない。少なくとも学校教育では語られない。沖縄で鹿児島が受け入れられないのは、薩摩藩時代の「サトウキビ貿易」による沖縄の搾取だと言われている。これも嘘だ。それどころか、司令官に何故鹿児島の男を選んだのか。それは、陸軍の司令部の跡を訪ねるとよく分かる。陸軍の司令部は、「首里城の地下壕」だった。首里城の地形を見ればよく分かるが、そこに地下壕を掘らねばならない理由もはなく、首里城の城壁は近代戦争での効果的な防護にはならなかった。
日本政府には明治以来大きな課題があった。今でもそうだが、「美しい国日本」だ。その点で日本の最大の邪魔者は、周辺の王朝の存在だった。いや、存在ではなく、歴史的存在だ。大和朝廷よりも優れた王朝であってはならないのだ。だから、全ての遺産は破壊する必要があった。
沖縄を戦場に選んだのは米国ではなく日本政府だったのだ。なぜ、沖縄に主力部隊を置いたのか。台湾、奄美大島や徳之島でもよかったはずだ。
米国は文化施設は戦闘地域から除外する。日本は逆だ。破壊したい文化施設に立てこもり、敵に完全に破壊させる。沖縄では海軍司令部跡は観光地になっているが、陸軍司令部跡は首里城の地下でありながら、人目に触れないように「ふた」がしてある。何故ここを司令部に選んだのか説明出来ないからだ。
これと同様、沖縄戦では多くの沖縄人に死んで欲しかったのだ。しかし、ここにも日本人の「いじめの体質」がよく伺える。「いじめ」に自分の手は汚さない。「弱い者」に「弱い者」をいじめさせる。この時の「弱い者」は隣県の鹿児島人だった。西南戦争以来、鹿児島の人間は政府内で疎んじられていた。おかげで、東京から干された鹿児島に同じく干された沖縄をいじめる役が回ってきたのだ。
山口(長州藩)出身の安倍には笑いが止まらないだろう。
砲弾の嵐で首里城はこっぱみじんに吹き飛んだ。ここからが、暴力団・暴走族・オウム真理教などと警察のトリックの「やらせ」が行われる。自ら首里城の破壊を画策しておきながら、後に親切を装って、日本政府が首里城を再建する。
沖縄の首里城を破壊したのは「米軍」だ。アメリカを憎め。再建したのは、日本政府だ。「美しい国日本」。
集団自決をさせたのは、「鹿児島人」だ。鹿児島を憎め。沖縄復興は日本政府に感謝せよ。
■ 沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。 (2009年9月8日追記)
http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p002.html#page14A
沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。実際、6月23日の牛島中将の自決も、8月15日の玉音放送も戦場の人間にとって、また兵士にとって、単なる儀式でしかなかった。大事なことは戦闘が終わって、安心して生きていけるかどうかだった。
結局、日本の記念日は、政府のために作られたもので、何も実態を反映しない。こうして歴史は塗り替えらる。
~~~~~~~~~~~~~
◆ 初めてこのサイトを読んだとき、実は信じられませんでした。
しかし、色々なことを知ってから、再度読み直すと、なかなか意味深ではないでしょうか?
ありえないとは、思えないのです。やはりあり得る方に軍配があがります。
原爆落下地を天皇が指定したことについて、
今では多くの本が出ています。
あまりにも、酷い話ではありませんか。
それなのに、戦後もああやってお堀の中で生きてきたのですよ。
悪魔崇拝者は死んだら、悪魔の国へ帰るのでしょうか?
二度と舞い戻ってほしくないですね。
(追記)
故ダイアナ妃が友人に語ったこととして、「英女王がもっとも恐れていた者はドラコニアンだった」という話もありました。
この記事は、ずいぶん前で重要だとも思わなかったので、チェックしていません。
どこかで、あなたも見かけるかもしれないですね。
http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p002.html#page14A
■ 沖縄と鹿児島
そもそも沖縄守備軍司令官牛島満だが、この男は「鹿児島」出身だ。鹿児島の人間はほとんどこの事を知らない。少なくとも学校教育では語られない。沖縄で鹿児島が受け入れられないのは、薩摩藩時代の「サトウキビ貿易」による沖縄の搾取だと言われている。これも嘘だ。それどころか、司令官に何故鹿児島の男を選んだのか。それは、陸軍の司令部の跡を訪ねるとよく分かる。陸軍の司令部は、「首里城の地下壕」だった。首里城の地形を見ればよく分かるが、そこに地下壕を掘らねばならない理由もはなく、首里城の城壁は近代戦争での効果的な防護にはならなかった。
日本政府には明治以来大きな課題があった。今でもそうだが、「美しい国日本」だ。その点で日本の最大の邪魔者は、周辺の王朝の存在だった。いや、存在ではなく、歴史的存在だ。大和朝廷よりも優れた王朝であってはならないのだ。だから、全ての遺産は破壊する必要があった。
沖縄を戦場に選んだのは米国ではなく日本政府だったのだ。なぜ、沖縄に主力部隊を置いたのか。台湾、奄美大島や徳之島でもよかったはずだ。
米国は文化施設は戦闘地域から除外する。日本は逆だ。破壊したい文化施設に立てこもり、敵に完全に破壊させる。沖縄では海軍司令部跡は観光地になっているが、陸軍司令部跡は首里城の地下でありながら、人目に触れないように「ふた」がしてある。何故ここを司令部に選んだのか説明出来ないからだ。
これと同様、沖縄戦では多くの沖縄人に死んで欲しかったのだ。しかし、ここにも日本人の「いじめの体質」がよく伺える。「いじめ」に自分の手は汚さない。「弱い者」に「弱い者」をいじめさせる。この時の「弱い者」は隣県の鹿児島人だった。西南戦争以来、鹿児島の人間は政府内で疎んじられていた。おかげで、東京から干された鹿児島に同じく干された沖縄をいじめる役が回ってきたのだ。
山口(長州藩)出身の安倍には笑いが止まらないだろう。
砲弾の嵐で首里城はこっぱみじんに吹き飛んだ。ここからが、暴力団・暴走族・オウム真理教などと警察のトリックの「やらせ」が行われる。自ら首里城の破壊を画策しておきながら、後に親切を装って、日本政府が首里城を再建する。
沖縄の首里城を破壊したのは「米軍」だ。アメリカを憎め。再建したのは、日本政府だ。「美しい国日本」。
集団自決をさせたのは、「鹿児島人」だ。鹿児島を憎め。沖縄復興は日本政府に感謝せよ。
■ 沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。 (2009年9月8日追記)
http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p002.html#page14A
沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。実際、6月23日の牛島中将の自決も、8月15日の玉音放送も戦場の人間にとって、また兵士にとって、単なる儀式でしかなかった。大事なことは戦闘が終わって、安心して生きていけるかどうかだった。
結局、日本の記念日は、政府のために作られたもので、何も実態を反映しない。こうして歴史は塗り替えらる。
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◆ 初めてこのサイトを読んだとき、実は信じられませんでした。
しかし、色々なことを知ってから、再度読み直すと、なかなか意味深ではないでしょうか?
ありえないとは、思えないのです。やはりあり得る方に軍配があがります。
原爆落下地を天皇が指定したことについて、
今では多くの本が出ています。
あまりにも、酷い話ではありませんか。
それなのに、戦後もああやってお堀の中で生きてきたのですよ。
悪魔崇拝者は死んだら、悪魔の国へ帰るのでしょうか?
二度と舞い戻ってほしくないですね。
(追記)
故ダイアナ妃が友人に語ったこととして、「英女王がもっとも恐れていた者はドラコニアンだった」という話もありました。
この記事は、ずいぶん前で重要だとも思わなかったので、チェックしていません。
どこかで、あなたも見かけるかもしれないですね。