▲裏・歴史▼ 聖徳太子はペルシャ人!?北斗七星と太子道の驚くべき関係!![ミステリー#75]
♫ 聖徳太子は特別な超越した人間であったことは、確かなようです。
この動画にある、日本書紀ですが、真実かどうかはまだわかりません。後世になって書かれているからです。でも真実でないとも断定はできないです。
▲裏・歴史▼ 聖徳太子はペルシャ人!?北斗七星と太子道の驚くべき関係!![ミステリー#75]
♫ 聖徳太子は特別な超越した人間であったことは、確かなようです。
この動画にある、日本書紀ですが、真実かどうかはまだわかりません。後世になって書かれているからです。でも真実でないとも断定はできないです。
聖徳太子の寺 大阪 四天王寺
♫ この動画の西大門の前の鳥居ですが、
この聖徳太子が建立した、四天王寺はれっきとした仏教の寺です。
その門の前にあるのが、神道の鳥居です。
不可解ですよね。
西大門は、極楽浄土への道を記していると言われ、夕日が望める位置に門が建てられているのに、その先に、あるいは寺に入る前に、鳥居ですよ。
日本の不思議発見でしょう?
梅原猛の法隆寺の謎を解いた本「隠された十字架・法隆寺編」
を読んでいなくても、日本人なら、この不可解さがわかると思います。
この不思議を思うのは、私だけではありません。多くの人が、疑問をもっています。
私は、梅原猛氏の書いた、この本は日本のダビンチコードに匹敵するものだと思います。
いいえ、梅原猛氏が先に書いたのですから、別の言い方をしたほうがいいのかもしれません。
しかし、世の中には、既に「ダビンチコード」の言葉が蔓延しており、今は梅原氏の本は本棚にもない可能性がありますから。
今一度この、「日本のダビンチコード」と言って、皆さんに読んでいただきたい本です。
私達の知らない世界が、この日本に確かにあるのです。不可解に思っていながら、それを解き明かすことも、出来ませんでした。
もっとこの不可解なものがあることを、知らせる必要があると、思いました。
聖徳太子の建立した寺、火災にも、空襲にもあっていますが、当時の姿を復元しているそうです。
鳥居は一説によると、1200年ごろに置かれたようです。これは2度目の鳥居のようです。誰が、何の為にでしょう?
鳥居を置くことで、何をしたかったのか。何を目的としているのか、それは梅原猛氏の本から、解るでしょう。(研究されるのでしたら、できるだけ、初版本(国会図書館で閲覧できます。地元の図書館で閲覧可能です。司書に伺ってみてください。)がいいと思います。新しい本は、改ざんされている可能性もあるからです。)
また、大阪では聖徳太子の建立した7つの寺のうち3つが明治時代の法律によって、無くなってしまいました。これも、何かありそうですね。
実はこの鳥居の不可解さには、色々な意見がありました。
聖徳太子は天皇家であり、天皇の建てた寺が神道のしるしとか、あるいは神道と仏教の融合した日本の素晴らしさ。など色々ありました。
日本人は本当にお人よしです。
あるがままを信じて、その不可解さを追求していません。なぜでしょうか?
私は梅原猛氏の意見を尊重します。
♫ 本の~はじめに~より抜粋して、転載してご紹介します。とても素晴らしい内容です。ぜひ一読されることを、お勧めいたします。
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法隆寺の仏像は ほとんどすべて仏像の一般的な特徴を逸脱している
建築学や工芸学の一般的説明によっては、理解できないものが多い
向こうから、私の仮説の周りにひっついてきたのである。私は太子は日本における最初の理想主義者であったと思う。
そのあまりに高すぎる理想主義ゆえに、太子は孤立し、太子一族は悲劇的最後をとげたが、太子の理想追求の精神と真理愛の精神は、その悲劇性ゆえに、かえって輝きをますのである。
太子に関する間違った理解をやめさせ、太子一家の深い悲劇性を理解することこそ、真に太子を崇拝する道であると、私は思う。
太子の無念なる魂が、太子の怨霊が私に歴史の真相を教えたとしか、私には思われないのである。
私の法隆寺に関する仮説が、たとえどんなに簡単であり、それによって今までの理論によって説明されなかった、法隆寺の謎がどんなに明らかに説明されたとしても、それは絶対の真理性を主張するわけには、ゆかないであろう。
この仮説の否定は、この仮説以上の理論的整合性を持った、他の仮設の創造によってのみ、可能なのである。
願わくば、私の大胆なるこの仮説が、はなはだ認識が遅れていると思われる、日本の古代学の発展の刺激にならんことを。
私の古代研究は日本神話についての疑いからはじまり、ついで「古事記」「日本書紀」の著者の問題にいたり、その問題の探求の過程で、法隆寺にぶつかったからである。
カント
「直観なき概念は空虚であり、概念なき直観は盲目である」
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♫ はじめに~の文章を読んだだけで、どのように梅原猛が考えてきたのかが、わかるとおもいます。
これは、単に法隆寺と聖徳太子の深いなぞを知ることだけではなく、歴史の嘘まみれにつながる、可能性があると思うのです。
本当かどうかは、貴方の心が決めることです。
真実は必ずあちらから出向いてくるものですね。
聖徳太子は確かに存在していたのです。「和をもって、尊しとなす」と言う言葉を今の若者 は、知らないでしょうか?
日本人に伝わった根幹のこの言葉は、偶然のものではなかったのです。
太子一族を無き者にした後、政治をつかさどった一族の男性が4人も早死にしたことから、
聖徳太子一族の霊を恐れて、法隆寺を再建して建てたのだが、そこには謎のようにしてある、霊を封印するかのような、おかしなものが残っていたのです。
しかし、それすらも、封印されて他の寺と同じと国民は認識していたので、謎という形で残ったのです。
そして聖徳太子の大切な教えは後世に語りつがれてきているのです。
お札の聖徳太子がなくなり、福沢諭吉、野口英世にしたのも、明らかに策略の臭いが
してきますね。
法隆寺についてもディスクロジャーがこれからきてほしいですね。
そう思うとワクワクしてきます。
法隆寺 救世観音
♫ 法隆寺はきっと修学旅行で行かれた方も多いと思います。私も高校生の時に斑鳩の里の法隆寺ののどかな雰囲気に魅了されたひとりです。
多くの友人達は京都を好むのですが、私は斑鳩の里の法隆寺の持つ、何か不思議な懐かしさを感じる雰囲気が忘れられません。
法隆寺については、七不思議と言われるものが存在すると言われていましたが、そういう事も、すっかり忘れていました。
最近になって、哲学者の梅原猛の「隠された十字架」法隆寺論を知りました。そしてその本の中身については、驚きの内容でした。
それは法隆寺の不思議と学者達が声をそろえて、調べれば、調べるほど、謎に満ちているというものでした。建築学的にも、工芸的にも、仏閣を建築した政治が絡んでいたというのです。
歴史の中で私達は法隆寺と聖徳太子について、正しい教育がされてこなかったことも、ありますが。すでに法隆寺の建立事態が、何か忌まわしい政略がそこに隠されていたというものでした。
そして、隣の中宮寺ですが、これは聖徳太子の奥さんの住まいの寺でした。彼女が必死で聖徳太子の真実を残すことに、日々費やしてきました。そのことを国民が知れば、聖徳太子はやはり崇拝に値する人物だったと思えるのです。
人々が聖徳太子を神のように崇めることをさせないことに、当時の聖徳太子を無き者にしてきた、他族の権力者たちは、聖徳太子一族を、封印する為に法隆寺を建てて見かけは法要のためとしているというのです。ですから、おかしな不具合の悪いものが、謎として伝わっていたのです。
テレビでは、聖徳太子はいなかったとする、おかしな番組すらできています。YOUTUBEに動画があります。
このように、策略は、いまだに続いています。
救世観音は、実は隠された秘仏とされて来たそうです。この仏像を隠して、見せないようにするために、この仏像を公に出すと禍(わざわい)が起こると寺には言い伝わっていたのです。
それをフェノロサが明治時代に来日して、明治政府の了解のもと、公にすることに成功したものだそうです。(秘仏の存在をどうして、知ったのか?それも謎ですね)
この仏像は、聖徳太子像ではないかと、言われていますが。後ろから釘をうちつけられており、幾重にも木綿の布で縛られてしまわれていたということです。
フェノロサはモナリザの研究もしており、この救世観音像に感嘆したそうです。
梅原猛氏の本は当然歴史家から、叩かれてきました。はやしひろし氏と同じです。
そのはやしひろし氏の動画には、法隆寺には、レプタリアンの像があるというのを、みました。
この法隆寺の謎は、本当に多いのです。そしてこれは大変な問題が二転三転する可能性も秘めていると思います。
最初に建立したのは、確かに聖徳太子ではあるが、火災にあい、また一族が惨殺されてから、呪いをおそれた人達によって、法隆寺が再建されたのなら、宝物も当時のままなのか、再建してから、持ち込まれたものなのか、わかりませんね。
謎だらけ。それは、調べる人を困惑させるだけのもののようです。
梅原猛氏の、それらを解き明かす、素晴らしい考察が、貴方を待っているのです。
本当にダビンチコードに心を奪われた人なら、この本の素晴らしさを堪能するでしょう。
♫ 100年も前にすでに潜水艦が作られていたのは知りませんでした。第一次世界大戦時ですから。それよりも以前から、作られていたのでしょうね。
もう戦争は沢山です。海底探検ができる潜水艦だけで充分ですね。
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http://www.cnn.co.jp/fringe/35076675.html より転載しました
2016.01.23 Sat posted at 12:04 JST
(CNN) 英国沖の海底で発見された軍用の艦船の残骸について、100年前のドイツ軍の潜水艦「Uボート」であることがこのほど明らかになった。オランダ海軍のダイバーが調査に当たった。
この潜水艦の残骸は2012年9月、英エネルギー企業のスコティッシュパワー・リニューアブルズが南東部ノーフォーク州とサーフォーク州の沖合で洋上風力発電施設の建設に向けた海底調査を実施している際に見つかった。現場海域は沖合約90キロの地点で、濁った水質の影響で調査が難航し、発見から4年近くが過ぎてようやく艦船の特定が可能になった。
当初は1940年に行方不明となったオランダ海軍の潜水艦である可能性があるとみられていたが、同軍が調査したところ、第1次世界大戦中のドイツ軍のUボートだと判明した。
潜水艦の名称は「U-31」。大きさは全長約57.6メートルで、幅は約4メートル、高さは約4.6メートルある。スコティッシュパワーによると、艦の前部と後部にそれぞれ損傷があり、元々はもう少し長かった可能性がある。損傷を受けた箇所以外はかなり原形をとどめているという。
英イングランドの海事考古学者、マーク・ダンクリー氏はU-31について、イングランド沖を航行中に機雷の爆発を受け、将校4人を含む乗組員35人全員を乗せたまま撃沈したと考えられていると説明した。
♫ これらの情報を沢山見てくると、やはり八百長戦争であったことは、明白です。この記事もやはり、以前読んで私はなにか、釈然としないものを、感じました。それはお堀の主のことが全く書かれていないからでした。そういうことを、頭にいれて読んで見てください。あなたの裁量で。
他の事では重大な事実が記事になっているので、ご紹介します。山本五十六と言えば、兵隊へ行った父からもその名を聞いた記憶があります。どのように素晴らしい武将だったのかは、何もいいませんでしたが。のちのテレビなどでは、素晴らしい武将としての紹介がありましたけど。
そして、なぜだか、陸軍の戦犯は多いのに、海軍の戦犯が少ないと言う事実も、不可解ですね。
山本五十六はフリーメイソンであったこと、なぜなら、天皇はイル身ナティですから。とうぜんですよね。アメリカのイル身ナティは、ブッシュ一族だといいます。もっともアメリカの大統領はすべて親戚関係者です。アメリカのテレビでも報道されているようです。
あのオバマも実は親戚なんですよね。だから大統領になったのです。親戚でなければなれないのです。大きなバックアップがそこには存在するのです。
八百長の臭いはこれだけでも、プンプンしてきます。人類を将棋の駒のようにして、動かして、ゲームをするかのようにして、人の命を抹殺してきました。それが世界の支配者たちの本当の姿です。
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http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/YamamotoIsoroku04.html
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http://saigaijyouhou.com/blog-entry-9750.html より転載しました
♫ 記事のコメントにあったものです。
A級戦犯は、1952年に4000万人の署名が集まり国会決議を経て赦免された。一方、国際的にも1956年に関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は赦免されていた。今、靖国神社に合祀されているのは戦犯なのだろうか?
リクエストがあったので、戦犯問題について、長いけど歴史的事実について確認
昭和27年(1952年)に発効したサンフランシスコ講和条約の同講和条約第11条では「戦犯」の赦免や減刑についは、「判決に加わった国の過半数が決定する」と定めていたので、全国で戦犯釈放運動が広まり、当時の成人のほとんどいってもよいくらいの4000万人(当時の日本の人口は8454万人)もの署名が集り、その署名運動により、昭和28年に戦犯の赦免に関する決議が国会で、社会党や共産党まで含めて一人の反対もなく決議された。
そして国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年に、BC級戦犯は昭和33年までに赦免し釈放された。
このような赦免運動・決議の結果、すでに処刑されていた戦犯は「法務死」とされた。
いわゆるA級戦犯であった重光葵は、第11条の規定により釈放され、公職追放解除後には外務大臣となり、国連加盟時には加盟受諾演説を行った。
●1952年(昭和27年)6月9日参議院本会議にて「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
●1952年(昭和27年)12月9日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
●1953年(昭和28年8月3日衆議院本会議にて「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
●1955年(昭和30年)7月19日衆議院本会議にて「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」
(以上、全会一致。社会党・共産党も賛成)
ちなみに、
サンフランシスコ講和条約
第二十一条
この条約の第二十五条の規定にかかわらず、中国は、第十条及び第十四条(a)2の利益を受ける権利を有し、朝鮮は、この条約の第二条、第四条、第九条及び第十二条の利益を受ける権利を有する。
要するに、中国(そもそも中華人民共和国でない)と朝鮮(韓国でない)は領土の確定や経済協定などについては認めるということ。
第二十五条(後段)
第二十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。
要するに、連合国と定義された国以外は口出し無用。
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♫ 靖国神社って、はりぼてだってこと、わかりましたね?国民の操作に使うために作った支配者の思惑神社でした。
なんちゃって戦争でしたね。これを見て皆さんはどう思われるでしょうか?
先の今上天皇の血筋についての情報者のさらなる、情報に会ったA級戦犯の死刑は執行されていなかったと、ありましたが。あり得る話だと思いますね。
すべては、八百長です。なぜあの戦争が行われていたのか。
天皇の周りのエリート達の命は助かったのは、在日エイリートだからです。天皇崇拝を更に強固なものにする為です。
そして、本当の日本人の多くが戦争によって、非業の死をとげています。これはまさしく支配者の驕りによる、日本人の抹殺と言えると思います。
日本人の血を受け継ぐものを、抹殺しているのです。これからの戦争をおこして、大量の日本人を戦場へ送りこみ、拒否すれば、死刑だと国会議員ははっきりと言っていますよ。
日本人の女性の多くを海外へ売りとばして人身売買で大儲けし、男性の多くを海外で戦死させたのは、事実です。戦争だから仕方がない、というのは支配者の策略を知らない人の言う言葉です。
偽ユダ屋がアメリカから、日本を操作しているのは、確かだと思います。その上にいて、命令を下している人が、日本にいることを、知ってください。
アメリカ軍によるシリアのアサド政権の撲滅を量っているのは、ロス茶の中央銀行の乗っ取りが目的です。これは日本を中心とするNWOです。日本はイル身のてっぺんでしょう。
ロス茶は日本の明治維新に深く関わっており、現天皇家の誕生にも力を貸しています。このようなロス茶と深いつながりのある人が、天皇なのです。
まさか、まさかと思われるでしょう。調べてご覧になってください。
八百長だった、第2次世界大戦。もしかしたら、第1次世界大戦もそうでしょうね。一度あることは、2度あるのです。そして彼らは3度目を画策しているのも、確かです。
日本国民は戦争への靴音がしていることに、気づき始めています。
こんどこそ、このバカバカしい戦争を国民が総出で、阻止できるはずです。
これらの真実はやがて明かされる日が来るでしょう。
地球人類の奴隷解放はもうすぐ!!!
沖縄の人は、長年に渡って希望を見いだせずにとうとう、45年前にコザにて暴動を起こしました。その時の写真展があったようです。いかに住民が抑圧された生活を強いられてきたのかが、わかるものです。沖縄の人は、単に我慢強いだけではなく、このようにして、自己アピールをやむなく暴動という形でしてきた過去があるのです。それだけ重圧がひどかったと言うこと以外に何がありますか?
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http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=144178 沖縄タイムスより転載しました
沖縄】米軍統治下で人権が軽んじられてきた鬱積(うっせき)した不満を爆発させ、住民が国道330号(旧・軍道24号)やゲート通りで米人車両約80台に火を放った、1970年12月20日未明に発生した「コザ暴動」から45年。当時の様子を撮影した新聞社やフリーのカメラマンら8人が10日から、沖縄市中央の「ギャラリーラファイエット」と「ギャラリーM&A」で写真展を開く。20日まで。開館は午前11時から午後7時。入場無料。
もうもうと煙を上げながら炎に包まれる米人車両や、暴動が終息して朝方、車両の残骸を見つめる女性や子どもたちなど110点を展示する。事件を通して日米両政府の基地政策を考えようと、フリーカメラマンらが戦後70年「コザ暴動」プロジェクト実行委員会を組織。20日までの期間中各種イベントを展開する。
12日は午後2時から、「ギャラリーラファイエット」で写真に収められた現場の状況などを紹介するギャラリートークを開催。
16日は市中央の映画館「シアタードーナツ」で午後1時から、米軍基地に囲まれた沖縄を映し出した「沖縄列島」を上映する。上映は計4回で午後7時まで2時間置きにある。入場料千円。
また20日は午後2時から、シンポジウムと上映会を市中央のセンター公民館で開く。琉球大学名誉教授の比屋根照夫さん、新聞記者として取材したジャーナリストの高嶺朝一さん、現場を目撃した住民の古堅宗光さんらが当時の時代背景を説明しながら暴動の意味を考える。
沖縄タイムス中部支社にフリーカメラマンの国吉和夫さん、比嘉豊光さん、今郁義さんが訪れ、「人権を抑圧された住民の怒りのマグマが吹き出たコザ暴動の意味を改めて検証したい。初公開となる写真の展示も多く、ぜひ見てほしい」と呼び掛けた。
◇ ◇
戦後70年「コザ暴動」プロジェクト実行委員会は「コザ暴動」の写真に収まっている少年を捜している。焼け焦げた米人車両のボンネットの上を歩く少年の姿をカメラマンの国吉和夫さんが撮影したもので、「名乗り出れば本人に写真をプレゼントしたい」と話している。
問い合わせは同実行委員会(国吉さん)、携帯090(5944)6990。
http://kdachiku.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html ハイウェーエンジニアのインド観察記より転載しました。
スプートニク日本より転載しました
考古学者らは、最古の刺青は誰のものか、という論争を解決した。それは1991年にアルプス地方でツーリストらに発見された、エッツィことチロル地方の「アイスマン」である
エッツィは体に61個という多数の刺青を刻んでいた。これはおそらく治療目的であった。新研究がJournal of Archaeological Science誌に掲載され、概要はThe Independentで報じられた。
エッツィは紀元前3250年ごろに死亡した。
刺青はほとんどが線または十字であった。皮膚に刻み目を入れ、そこに木炭を塗り込んだものとみられる。つまり、装飾でなく、医学的目的だったのだ。
続きを読む http://jp.sputniknews.com/science/20151220/1345909.html#ixzz3up5GLHCD
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♫ 61個の入れ墨をした者が、どうして、雪山で発見されたのでしょう。
治療目的だとするのは、どうなんでしょう?
もっと別の理由があったのではないかと、私は思います。
雪山に登って亡くなったのは、逃げたからではないでしょうか?
奴隷に刻印を押すのは、昔何かの本で読みました。これではないかと思いますが。
1483B ナポレオンの頭蓋骨に埋め込まれていたマイクロチップAlien Chip in Napoleons Skull hoax or Not by はやし浩司
♫ はやしひろし氏は、この話は、本当とも嘘ともまだわからないとしています。
私は、本当ではないかと思いたいですね。この問題はしばらくお預けです。新たに面白いものが出てくるといいですね。
1203+1202 聖徳太子はミトラだった(2)Shotoku Taishi is Mithras2 太子は巨人だったTaishi was a Giant
♫ はやしひろし氏の考察では、聖徳太子は実在している人物で、ミトラ教のミトラに通じる人物だったということです。
ミトラ教はキリスト教に取って変わられたもので、聖書がミトラ教のコピーであることも、はやしひろし氏は、あげています。
世界の主だった宗教は、最初は宇宙からの使者であり、地球の人類に愛を教えていたのですが、やがてそれらの宗教は、支配者に乗っ取られて、変えられていったのです。
ブッダも聖徳太子も巨人でした。
聖徳太子は襲われても相手を殺すことは、しなかったという伝説があります。
私もはやしひろし氏の考察には賛成です。
その証拠と言えるのが、中宮寺のこのような歴史的な遺産が物語っていると思いますし、
聖徳太子の予言なるものも、あるからです。
支配者には、都合の悪い人であるから、いなかったとする話しが浮上して流布されているのだと思います。
そして、はやしひろし氏の他の動画にありましたが、法隆寺は他の寺とは、線で結ばれていない、ということです。
支配者側ではないと、思われる一つの理由です。
奈良に行かれた人は思うでしょう。
私は京都よりも奈良へ行くと、故郷へ帰ったような気持ちになります。斑鳩の里は、のんびりとして、大きなものを感じます。
明治維新は間違いだった!長州はテロリスト集団=ISIS(イスラム国・ダーイシュ)のようなもの【原田伊織『明治維新という過ち』】歴史ミステリー
♫ 明治維新は長州の朝鮮人の画策ですが、何もないところから、生まれるわけが
ないのです。大金をグラバーが出しているのも、これは日本への投資でした。背後にロス茶がいたのです。
長崎より、イエズス会が入り込み日本をくまなく調査したのです。それにより、長州のこのを操るのに、うってつけな集団だと判断したからですね。
ロス茶の思惑がなぜ、長州だったのか、それはまだ謎です。私はもしかしたら、ハザール国の末裔を探していたのではないかと、疑っています。そのハザール国の末裔がもしかしたら、長州のこのにいたのではないでしょうか?
ハザール国は、ものすごい野蛮な民族でした。表の社会では今はそれを隠していますが、裏の社会は、同じ野蛮な民族をすべて表していると思います。
この歴史ミステリーが、どれだけの人を目覚めさせるのかは、まだまだ未知数ですが、すくなくとも、福島県の皆さんを満足させているのは、確かでしょう。福島県会津は、時代をへても、明治維新のくやしさをつないできた人達でした。
江戸の末期、明治維新をこれほどまでに、時代を近くで見ているのは、日本人が日本の嘘に気づき出したのです。
加えて、犬HKの大河ドラマも低視聴率ですって。笑。
大河ドラマで、明治天皇誕生でもやったらいいのに。本当の歴史でですよ。高視聴率間違いなしです。
誰も知らない、水で走る車
♫ すでに水で走る車が出来ていたのですね。そして彼は暗殺されました。
このような人がどれだけいたのでしょう。
人類の為になるはずの、今では温暖化と言いながら、このような車を作らせなかったことも、
操作ですね。
dot. 12月8日(火)7時9分配信
童話「ムーミン」の訳者は女スパイだった!?――フィンランドの作家、トーベ・ヤンソンの名作として知られる「ムーミン・シリーズ」。これを日本に紹介したのが翻訳家・小野寺百合子(1998年没、享年92歳)だ。エレン・ケイの「児童の世紀」(富山房百科文庫)、バルブロ・リンドグレンの「マックスのくまちゃん」(佑学社)など、日本では数少ない北欧・スウェーデンの書籍を翻訳したことで知られる。
百合子がスウェーデンに携わったのは、夫・信(まこと)の赴任先・ストックホルムへの同行がきっかけだ。百合子の夫は、公使館に勤務するミリタリー・アタッシュ(軍人外交官)として、当時、北欧諸国では「欧州の日本スパイの親玉」と呼ばれた凄腕のスパイ、情報畑の陸軍軍人だった。その活動を妻として支えたのが百合子、その人である。
74年前の今日、1941年(昭和16年)12月8日、太平洋戦争が開戦した。これに先立って今の東京・三宅坂にあった軍中央には北欧・スウェーデンから約30通、ほぼ同じ内容の電報がたて続けに届けられた。
「日米開戦絶対不可ナリ――日本とアメリカの戦争は絶対に行ってはならない」
こうした電報は、暗号に翻訳され中央に打電される。軍人外交官の妻である百合子は、暗号の翻訳と管理、電信係の仕事を担っていたという。
1985年(昭和60年)に放映されたNHK特集「日米開戦絶対不可ナリ ~ 小野寺大佐発 ~ 至急電」のインタビューに応える百合子の映像が残されている。
「金庫とはどんなに精巧に作ったものでも、所詮、人間がつくったもの。2時間あれば開き得る。だから2時間以上の外出はしなかった。昼はいいけれど、晩のご飯が向こう(スウェーデン)は長い。だから暗号書など重要な書類を入れるそれ専用の腹巻を作り、帯の中に入れてました。そうするとちっともわからない」(NHK特集「日米開戦絶対不可ナリ」から)
戦前から戦中のスウェーデンは、各国のスパイが暗躍し、激しい情報戦が繰り広げられた。その真っただ中に百合子もいた。軍人外交官の妻として華やかながらも緊張感に満ちた当時の生活は、百合子の著書、「バルト海のほとりにて―武官の妻の大東亜戦争」(小野寺百合子著・朝日文庫)に詳しい。
<私は相変わらず夜は着物いってんばりで通したが、アフタヌーンドレスやスーツ、それに合わせた帽子や靴をつくらなければならない(中略)当時のディナーというのは夕方六時か六時半の招待で、お開きは十二時過ぎだった。サロンでの食前酒からはじまるが(以下、略)>
着物いってんばり――暗号書を入れた腹巻きを帯の中に隠していたためである。華やかなパーティーの社交の場、そこは各国の威信を担う外交官や軍人にとっては"情報戦"という名の戦場だ。同書には、そんな緊迫した様子もまた描かれている。
<私は夫人たちが時局について自分なりの意見をはっきりと持っていて、誰の前でもはばからず堂々と発言するのに驚いた。(中略)日本の武官夫人がこう言っていたと言われては大変だからと自己弁護して、なるべく黙って聞いていた>
百合子の夫・信は、当時の軍人には珍しい"非戦派"として知られている。「戦争は絶対にいけない」というのが信の口癖だったという。「諜報の天才」と呼ばれた軍人外交官の信だが、北欧・スウェーデンにおける活動は、当時の中央ではほとんど評価されることはなかった。信が送ってくる情報が「英米に傾きすぎ」というのがその理由だった。
もし当時の軍中央が信の情報に耳を傾けていれば、広島・長崎の原爆投下、中国の残留孤児、シベリア抑留の悲劇もなかったかもしれないという歴史学者もいる。
終戦後、日本に引き揚げた小野寺夫婦だが、引き揚げ船から日本に上陸すると同時に信は「戦犯容疑者」としてそのまま家族から引き離されGHQに連行される。そして百合子は上陸後、米軍の施設に収容される。
<婦人専用の建物の中に入れられ、一人一人になって衣服を全部脱がされ、ガウン一枚を着せられた。それから貴重品を隠し持っていないかの厳重極まる検査がはじまった>
それから数カ月後、戦犯容疑の晴れた信が帰宅した。ここから、ようやく夫婦の戦後がはじまる。軍人の妻から民間人の妻へ。信は材木会社でトラックの上乗りを、百合子は婦人服の仕立てを行い生計を立てた。
その後、夫の信はスウェーデン時代の知己とともに「日瑞貿易会社」を設立。再び、小野寺夫婦とスウェーデンの縁が繋がった。そして「ムーミン」シリーズをはじめ、数々の作品が日本に紹介される。
平和な世界に生きるムーミン、だがこの作品を私たちに伝えた翻訳家・小野寺百合子の激動の生涯を知る人は少ない。開戦の日の今日だからこそ、百合子が訳した平和な時代だからこそ読める名作を味わいたいものだ。
なお来夏、この小野寺夫婦のスウェーデンの活動は、主演の薬師丸ひろ子が百合子役を、香川照之が信役を演じる終戦記念ドラマ「百合子さんの絵本」(NHK総合)の放映が決まっている。
※敬称略
(フリーランス・ライター・秋山謙一郎)
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♫ なるほどね。スパイと言えるのかどうかわかりませんけど、少なくとも、情報を集めていたことはあったでしょうね。
奥さんたちがしゃべることも、実は計算して、殿方は奥さんに情報を流していたかもしれません。
私はすっかり疑い深くなりました。
戦争は、することに決まっていた。===それだけは、確かなようです。
一人の人間が出来ることは、砂の粒ほどですが。砂の粒がたくさん集まれば、砂嵐となることもあるわけです。
現代の社会は、すでに歴史から知りえた貴重な情報があるのですから、偽物政府の政策を辞めさせない手はないですね。
戦争に賛成の人はどれほどいるのでしょう?