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祝!安保関連衆院通過(習近平の憂鬱)

2015年07月31日 13時13分04秒 | 日記
『習近平の憂鬱』

・五つの問題
もし、八九年の天安門事件の時、学生の要求に応じて民主化を行っていたら、どうなっていたろう。大国と言われていたかどうかは分からないが、社会は、もっと公平で安定し、人民は呑気に暮らしていたに違いない。

七八年に経済改革を開始して三十余年、開放政策は行われたが、中共は、それに伴う政治改革は行わなかった。天安門事件の後、開放政策に拍車がかかり、経済は急成長したかに見えるが、官僚の腐敗、貧富の差、民族問題等々を生みだし、現在、それぞれの問題は、危機的状況に陥っている。以下は、楊中美著『習近平ー歴史の十字路に立つ中共新指導者ー(習近平 站在歴史十字路口的中共新領導人)』二○一一年版に列挙される、現代中国が抱える問題点だ。

一、小平の説いた「一部の者から先に富裕になれ」は、特権階級、特に太子党に、公然と国家権力を利用して、蓄財をする機会を与えた。その一方で、二億の農民工と彼等の六億の農村の家族、合計八億の貧困階級が生まれた。彼等は都市で危険・きつい・汚い仕事に従事しながら労災補償もなく、狭い部屋に押し込められ、進学もできず、帰郷のための切符を買う事もままならない。一方、農村では、子供や老人の面倒を見る者もいない。高級官僚・資産階級の豪華な生活が、これら貧困層を作りだしている。中国は、既にキルギス・タイ・チュニジア・エジプトのような、革命の起こった国よりも 貧富の差がある社会になっている。

二、中国では毎年六百余万人の大学生が卒業するが、そのうちの30%前後が、卒業と同時に失業に陥る。○六年から、毎年約二百余万の大学生が失業し、現在では累計一千万人にのぼる。中国の大・中国営企業の公務員は、既に「官二代」や「関係者」の天下で、学歴があり能力があっても、コネが無ければ就職は難しい。その為、多くの地域で、大学生と農民工が職を争っている。○七年に軍の給料が上がってからは、陝西省の様な貧しい地区でさえ、一人につき二万元の謝礼が必要だという。

また、運良く就職できたとしても、家を買う事ができない。二○一○年の中国社会科学院の社会調査白書によれば、家の価格は年収の三から六倍以内が望ましいが、一○年当時の部屋の価格は、都市の住民の年収の八.三倍、農民工の二二倍だ。中国史上、陳勝(?~前二○八年、秦末の農民反乱の指導者、秦打倒の口火を切った)・黄巣(?~八八四年、唐末の逆臣、僖宗(きそう)の時に乱を起こし、長安をおとしいれて斉帝と号した)・洪秀全(一八一三~一八六四年、清の宗教家・革命家。上帝会の教主となり、一八五○年乱を起こし、南京を都として太平天国を建てた。十五年目に清朝軍に敗れて自殺した)・毛沢東と言った、失意の知識青年による造反運動は、枚挙にいとま無い。しかも、不遇の知識青年は、絶えず増え続けている。

三、中国では、毎年二十人以上の集団事件が十万件以上起こり、○九年以降は十二万件以上に増えており、計算上、毎日、各省都市で三百件以上の「造反」が起きている。その60%以上が、各級政府の「独裁」によって、特に大量の農地・山林を強制接収された事が原因だ。中共各級の政府官僚が、蓄財のために、或いは、GDPを高め昇進するために、接収運動を巻き起こしている。

四、中共の貪官汚吏の腐敗は、既に共和国を骨の髄まで蝕んでいる。二○一○年一二月、山東省の国営電力企業「魯能集団」が巨額の損失を出した。中央紀律委員会と関係機関が共に調査をしたところ、事件の中心には曽偉がいた。調査によれば、曽偉は、オーストラリアのシドニーに一億元の豪邸を購入し、貯金十数億豪ドル、合わせて約百億人民元相当を所有しており、それは、「魯能集団」と関係の企業から、不正に流用して作った物だった。

曽偉は、中共中央政治局常務委員・中央弁公庁主任等の職を歴任し、江沢民と最も関係の良い曽慶紅の息子だ。曽慶紅は、中共内務部長曽山の息子で、当時、太子党で最も力のある人物だった。江沢民と胡錦濤に、将来の国家主席として習近平を紹介したのも曽慶紅と言われている。曽偉の家族は数年前にオーストラリアに移住しており、曽慶紅の人脈で、事前に事件発覚を知った曽偉は、シンガポールからオーストラリアに逃亡した。

中共には、暗黙の了解がある。中央政治局委員級の高級幹部は、中央指導者に反対しない限り、汚職まみれであっても立件される事はない。例えば、黄菊(一九三八年九月~二○○七年六月没、一九九五年から二○○二年まで中央政治局委員・上海市委書記。二○○三年三月、国務院副総理に就任)の汚職は有名だったが、葬儀の弔辞にも、彼は優秀な共産党員でありマルクス主義者であった、と読まれた。但し、中央に反対すると辞職させられる。陳良宇(十六期、中央政治局委員、上海市委書記、市長を歴任、○六年九月、上海社保基金の問題で失脚)は、温家宝と胡錦濤を蔑視し攻撃したために、上海市社会保険基金の流用問題で捜査を受け、多くの汚職の事実が明らかになり失脚した。江沢民時代の北京市委書記陳希同(一九三○年六月~二○一三年六月、八三年~九三年まで、北京市長・北京市委書記を歴任。九五年汚職により罷免)は、江沢民と対立したために、汚職の罪で倒された。

五、次第に激しくなる地域格差と民族の矛盾。中国の地域格差は、歴史と地理等の客観的要素もあるが、政策の過ちによる所も大きい。そもそも、小平の八八年当時の計画では、沿海地区を対外開放し、そこに住む二億人が先に発展し、ある程度発展した後、沿海部が内地の発展を引っ張るはずだった。しかし、李鵬が総理の時代には、内地と西部開発は、議論の俎上にはのぼらず、東部沿海と中西部の格差は深刻になった。

七八年、中国東部の一人当たりのGDPは463.7元、中部は310.1元、西部は250.8元で、東・中・西の比率は、100対67対54だったが、九八年には、その格差は、東部は8848元、中部は4511元、西部は3824元で、100対56対43と広がった。このため、江沢民と朱鎔基は、九九年、「西部大開発」を提唱した。これは、地域と民族の格差を解消し、石油と鉱物資源を確保し、西部を安定させる為の物だった。※西部とは新疆ウイグル・甘粛・陝西・寧夏・青海・西蔵・貴州等の地域。

しかし、西部大開発の計画から十年が過ぎたが、新疆の石油と鉱物資源に関する地域が重点的に開発された他は、東部と西部の格差は依然拡大中で、東部と西部の農村の格差は更に拡大した。

○八年の金融危機が起こった時、四兆元の財政出動をしたが、80%以上が国有企業に流れ、国有企業は資金を手にすると、土地を買い、物件価格をつりあげ、暴利をむさぼった。新興地主の化けの皮を剥げば、九割が国営企業の経営者だった。このため、北京・上海等の高層マンションの七割以上が、投資のために買い付けられた無人マンションだと言う。この様な投資は、都市の畸形な発展を促してしまう。

○八年、西蔵自治区で暴動、○九年、新疆ウイグル自治区で暴動、一一年、新疆ホータンで警察襲撃事件等々、これらは、中共の民族自治政策の失敗を証明している。

・小平の憂鬱
小平が晩年に一番恐れたのは、社会の二極分化と、富の不公平な分配が社会不安を招き、天下の大乱を引き起こす事だった。一九九○年七月、国家オリンピック体育センターを視察した時、「我々が改革開放を実行するのは、どの様に社会主義を行うかという問題と同じだ。制度から言えば、社会主義の前提がなければ、改革開放は資本主義に向かって進む。例えば、二極分化だ。中国は十一億の人口がいるが、もし十分の一が裕福になるとすれば、一億以上が裕福になり、当然、九億人以上が貧困から抜けられなくなる。革命にならざるを得ない!九億人以上が革命を欲する。だから、中国は社会主義を行うほかない、二極分化を招く事はできないのだ。」一九九三年九月にも再び「十二億の人口がどの様に富を実現するのか、裕福になって後、富をどのように分配するのか、これらは皆大問題だ。問題は出揃っている。この問題を解決するのは、発展させる事より困難だ。分配の問題は深刻だ。我々は二極分化を防止しなければならないが、実際は二極分化は自然と起きてしまうからだ。」一部分の人が多くの富を獲得し、大多数の人は何も無い、この様な発展を続ければ、最後には問題が起こる。二極化は、民族の矛盾・地域の矛盾・階級の矛盾・中央と地方の矛盾をも発展させる。小平が特に強調しているのは、現在、もし中国が乱れても、「文化大革命」の様にはならないという点だ。当時は、毛沢東や周恩来がいたので、真の内戦は出現しなかったが、現在、もし内乱が発生すると、内戦の局面が出現し、世界的な災難に発展する可能性が高い、と。

小平の後、中国は、公平な分配に留意せず、権勢を抑制せず、格差は広がり、五百の豪族と数百万の権勢のある資産階級を生みだした。その結果、中国は格差の最も激しい国になっている。

楊中美は、中国の抱える問題を、革命の可能性という観点から取り上げるが、政権の中にも、憂慮すべき問題が潜んでいる。

・主席暗殺の風聞と反腐敗
中国共産党が政権を執って以来、歴代の指導者には、暗殺の影がつきまとう。例えば、七一年、林彪(りんぴょう)等によって計画された毛沢東暗殺計画(専用列車の爆破)、その暗殺計画の失敗で、林彪は妻と共に飛行機でソ連に逃亡したものの、モンゴルで墜落死した。この墜落について、中共は現在に至るまで正式な発表をしていない。二○○九年には、江沢民夫妻が乗車していた列車が湖南省で事故を起こし、負傷者六○名以上、死者三名という犠牲者を出している。小平に至っては、六九年~八八年にかけて、七回も命を狙われていると伝えられている。そもそも、毛沢東の始めた文化大革命では、国家主席の劉少奇が粛清されているので、劉少奇以降、命を狙われるのは、国家主席の宿命なのかもしれない。

胡錦濤にも同様の噂がある。胡錦濤が二○○六年五月、北海を視察した際、二艘の軍艦から砲撃を受けた事件を香港の媒体が発表した。これは、中共の公式な発表ではないが、その後行われた反腐敗の名目の粛清が、全てを物語っている。

一二月二四日の新華社の報道では、中共山東省委副書記・青島市委書記杜世成が、党紀違反で免職になった。報道では、腐敗や職権濫用が直接の理由だが、内部情報によれば、杜世成と張定発とが、五月に胡錦濤を襲撃した事件と関わりがある。青島方面の事情通がリークしたところによれば、現在、青島政府の大小の高官は、何度も入れ替わり、役人は全て済南市から移動してきている。目下、張定発・杜世成と僅かでも接触のあった者は、皆、調査を受けている。

海軍前司令・中共中央軍事委員会委員張定発が、数日前に北京で病没した。慣例とは大きく異なり、新華社や解放軍報で発表される事は無く、僅かに「人民海軍報」で「中央軍委委員・海軍元司令張定発同志、病により一二月一四日に北京で逝去、享年六三歳」とだけ発表された。写真も無く、簡単な履歴が付けられただけだった。

一二月一日の「新唐人電視台」の報道によれば、二○○六年のゴールデンウイーク中、江沢民は泰山・濰坊(いぼう、山東省の地名)等を旅行したが、同時期、胡錦濤も密かに山東青島に行き、北海艦隊の軍事演習を視察した。胡錦濤は最新の導弾駆逐艦に乗船し黄海に入ったが、突然、二艘の軍艦が同時に胡錦濤の駆逐艦に向かって発砲し、艦上の五名の兵士が、その場で亡くなった。駆逐艦は胡錦濤を乗せたまま、直ぐさま艦隊の演習海域を離れ、安全な海域に移動した。その後、胡錦濤は艦上からヘリコプターで青島基地に引き返し、そこから北京ではなく雲南に飛んだ。

新華社は、胡錦濤の日程は、一一日から一五日まで、雲南に視察の予定と発表している。

胡錦濤は、一六日に北京に帰ると、第一に、陳希同の病気療養のための保釈を認めた。元北京市長陳希同は、江沢民と対立し、汚職の容疑で失脚し逮捕された。同失脚後は、江沢民派の人物が市政府を支配した。そのため、陳の釈放は、江沢民を含む上海閥への敵対行為を意味している。第二に、反腐敗の名目で、海軍副司令王守業を失脚させ、王守業とその後ろ盾である江沢民の秘書、現軍委弁公庁主任 賈廷安の共同謀議である証拠をつかみ、江沢民に二度と軍内の事務に手を出さぬよう迫った。

中国問題の専門家によれば、胡錦濤が軍人の襲撃に遭遇した事は、権力闘争に軍人が関わっており、しかも、この様な行動は江沢民派の人物であって始めて可能な事である、と述べた。」(「大紀元」『青島政壇の交替と胡錦濤襲撃事件(青島政壇換班與胡錦濤遇襲)』 2006-12-28)

この事件は、反腐敗運動が、習近平以前から行われてきている事を示していると共に、歴代指導者に関する暗殺の風聞は、そのまま、習近平の未来に起きる可能性のある事を示してもいる。

・習近平の憂鬱
二○一四年二月に、香港の《経済日報》が、習近平の発言に関して一つの記事を掲載した。

二○一三年は、中共総書記習近平の集権の年であり、また、彼が〝反腐敗に拳を振り上げた〞年でもある。最近、ある香港の媒体が事情通のリークを引用して、次の様に述べた。一昨年の北戴河の会議上、習近平は、中共が当面直面する内憂外患の、その弱点は〝民心を失い尽くした〞事だ、常に中国版ジャスミン革命の危険にさらされていると強調した、と。

 *〝十八大の後 必ず迅速に人心を収めなければならない〞
二月四日、香港の《経済日報》が、二○一二年の北戴河会議に参加した消息筋の発表を引用して、習近平が会議上で、中共の現状は、一九四八年の国民党と酷似しており、〝民心を失い尽くした〞段階に置かれている、と強調した。その為、会議後、中共の前指導者と、二○一三年の中共十八大(第十八期全国代表大会、二○一二年一一月八日~一四日に北京で開催)で交替した後、必ず迅速に民心を収める事で互いに合意した、と。

報道は更に、北京ウォッチャーの指摘を引用し、如何に民衆の中共官僚の腐敗に対する印象を変えるかについて、習近平は、公衆の認識を変えるには相当の時間を必要とするが、しかし、時間は中共の側には立っていないと考えている、と。

 *英国研究院:中共は中国の99%の人心を失った
《ニューヨークタイムズ》の報道によれば、二○一一年六月、ロンドンの王立政治事務研究院 アジア事務主管Kerry Brownと、その他五名の外国の学者は、中共主要機関主宰の会議に参加した。Brownは、実際には内部で、中共は明らかに、人民の尊敬を得てはおらず、〝彼等は中国の99%の人口の民心を失っており、これに対して彼等は恐れを感じている〞、と述べている。

Brownの考えでは、主な原因は、人から嫌われる中共の腐敗を含めて、人民の要求が更に多いのは、政府の監督時に恒常的に行われる暴力に対してだ。しかも、彼等が暴力を使用して人民をあしらっているのに、報道は、中共の一大禁忌として一切報じない、と。

〝人民のための服務(为人民服务)〞、これは恐らく、中共の最も有名なスローガンだ。しかし、最近、このスローガンを刻印した看板が、しばしば民衆によって取り除かれている。

二○一○年六月二一日、江蘇省邳州(ひしゅう)市第一中学の学生が、学校移転の問題で、当該学校の学生全員が、市政府に集結して抗議、激怒した学生が、政府入り口の〝人民のための服務〞の文字をこじ起こして削ぎ落とした。すると、その場の民衆は大声で〝好いぞ、偉い〞と叫び、学生の勇敢さを賞賛した。この事件の原因は、地元の教育局が、学校の土地を売却し、学校の移転を要求し、学生達の強烈な不満を引き起こした事に始まるが、反対は無効に終わった。

二○一一年六月、当地の全人代代表※冉建新(ぜんけんしん)が、警察の取り調べ中に死亡した。その後、民衆の怒りは、先週木曜(六月九日)に爆発した。冉が官僚の腐敗との戦いで死んだと信じられたためだ。デモ隊は、湖北省利川の政府庁舎を包囲し、ある住民は、彼等は上部に書かれた〝人民のための服務〞の看板を叩き潰した、と述べた。

二○一三年一○月、浙江省余姚(よよう)市で大規模な洪水被害が出た。現地公務員の救済努力が足りず、被災状況をごまかして、民衆を激怒させた。一○月一五日、一万を超える民衆が余姚市政府庁舎前に集まり、数千人の武装警察と衝突。多くの民衆が捕まり、一部の人々は殴られて血を流した。激怒した民衆は、市政府門前の〝人民のための服務(为人民服务)〞の標語の〝人民〞の二文字をこじ起こして取り除いた。

嫌と言うほど中共当局の〝強制撤去〞に苦しめられている情況で、ある民衆は、これは数年来で最もスゴい〝強制撤去〞だ、気骨がある、有名無実で、皮肉が掛けられているのだ、取り除くのが正解、古来英雄は若者から出る、いつでも中南海入り口のあの幾つかの文字を取り除いてくれ!、と述べた。

 *党報は〝迅速に人心を収める〞と呼びかけるが、中共は既に人心の向背を無くしている
この他、香港《経済日報》の報道に、二○一二年、北戴河会議が行われる前に、中共武漢市委員会の機関紙《長江日報》が〝迅速に人心を収めなければならない〞と題する社論を発表し、群衆衝突事件の中心にあるのは、政府の間違った行いだ、と責め立てた。社論は、〝合法的な資源は無制限に貸し越しはできず、「合法性」に修復する時間も無限ではない〞と警告している。並びに〝 当面の急務は、迅速に人心を収め、もう一度「合法性」を形作る事だ〞と呼びかけている。偶然にも、一九四八年一一月四日、当時の国民党の党紙《南京中央日報》にも同様の標題の社論が掲載された、と指摘している。

二○一二年五月、《人民網》も文章を発表し、人心を勝ち取るのは、極めて困難な事業だ、と述べている。

しかし、大陸の民衆は、人心の向背を執政党に--いわゆる〝是正〞を行うための多くの機会を、中共に与えるつもりは無いようだ。更に多くの輿論は、六○数年来、中共は民衆を〝苦境に堕とし〞ており、八千数万の中国同胞をしておきながら、しかも、その血に飢えた本性は全く変わっていない。すべては一時的な〝妥協〞のための手段で、ただ体制を維持するためにだけ行われる。しかし、中共はとっくに〝是正〞の資格を失っている、と考えている。

二○一四年二月五日まで、《大紀元新聞網》上で、三退(退党・退団・退隊)を発表した人物は、既に一億五千六百八○万人を超え、しかも、人数は日々増加している。大陸の退党した人物は、退党支援者に対して、彼等は中共に対して、極度に失望しており、土地の強制占拠後には農民が生活ができないと感じるだけでなく、内部の官僚は更に、中共は既に付ける薬が無い事を見て取っている、と話している。」(「アポロン新聞網(阿波罗新闻网)」『習近平 私的講話で中共の〝弱点〞を暴露:1948年の国民党のようだ(习近平秘密讲话曝中共〝死穴〞:像1948国民党)』2014-02-05)

※:地方政府が土地を接収し、それに絡んで殺人が起き、その後、デモ(群衆事件)が発生するというのは、中国で現在起きているデモの典型と言える。以下は、冉建新事件を報じる「騰訊新聞」の記事だ。

六月一○日早朝、「利川新聞網」の報道で、利川の千名を超す市民が、市政府庁舎大楼の前に集まり、一部の人々は勤務中の民警に向かって、ミネラルウォーターの瓶や生卵・雑貨を投げつけ、更に、自動開閉の鉄門を押し倒し、勤務中の民警を襲撃した等の事件を伝えた。事態の悪化を防ぐために、公安機関は法によって策を講じ、迅速且つ適切に群衆事件は処理された。衝突の原因は何か?死者の背後に真相はあるのか?適切な処置とは何か?これらの問題はある人物から発生した。その人物は「冉建新(ぜんけんしん)」。

 *突然の死
六月五日、「天涯」等の多くのウェブサイトのニュース欄に、ある人物が、湖北利川の元反腐敗担当局長 冉建新が、巴東の拘置所で打ち殺された、と投稿した事で、一気に注目が集まった。記事によれば、二○一○年一一月、冉建新は利川市紀律委員から涜職罪(とくしょくざい、公務員の職権濫用・職務怠慢により、国家機関の正常な活動を妨害した罪)で双規され、二○一一年六月、湖北省巴東県の人民検察院で亡くなった。“死者は、顔にある七つの穴から流血し、全身鬱血し、どこも傷だらけ、背部には更に多くの火傷があり、見るに忍びない有様だった。”、と報じた。記事には、死者の多数の写真も添付されていた。

冉建新、男、四九歳、利川市検察院反腐敗局長・副検察長・利川市司法局局長を経て、利川市都亭庁舎党委書記・主任に転任。《羊城晩報》の報道によれば、二○一○年一一月一三日、冉建新は“双規”を宣告され、利川市紀律委は、彼が行った“不正命令・不正操作・労働紀律違反の三違”に関する取り締まり中の問題に関して、説明を求めた。二○一一年一月三日、巴東県人民検察院は法に依って要訴追事件とした。二○一一年五月二六日、利川市全人代常務委員会は議案を通過させ、市検察院の冉建新に対する逮捕を許可した。九日後、冉建新は突然死亡した。

冉の死亡に対して、巴東県委宣伝部の見解は以下の如く。六月四日、巴東県人民検察院は、審理中、捜査官は冉建新の具合の悪い事に気がつき、すぐさま巴東県人民医院に送り応急手当を施した。当日一六時三○分、冉建新は手当のかい無く死亡した。天涯ネットの投稿によれば、冉建新の突然の死の知らせを受けると、家族はすぐさま巴東県に至り、死者の取り調べ中の監視ビデオの調査を要求したが、監視ビデオは壊れていたと告げられた。“どうして、全ての検察院の監視ビデオは壊れていないのに、事もあろうに、あの取調室だけが壊れているんだ?”度重なる交渉の結果、遺族はやっと死者の写真撮影を許された、と報じた。

 *民衆からは“冉兄さん”と呼ばれていた
冉建新とはどの様な人物なのか?

利川新聞ネットの報道によれば、今回は、大多数の野次馬を除いて、一部分は“冉建新死亡事件”を名目として集まった群衆事件である。六月七日以来、連続して数日間、少数の市民が市政府庁舎大楼の前に集まっている。六月九日ー早朝、利川市政府庁舎大楼前に、また続々と人が集まり、一○時頃には千余人になり、最も多い時には千五百人を超え、現場の交通は完全に中断された。一部の群衆は制止を聞かず、六月九日一四時、警戒区域を強行突破し、電動の鉄の門扉を押し倒し、ミネラルウォーターの瓶・生卵・雑貨等で勤務中の民警を襲撃し、多くの民警が負傷し、現場は混乱した。

事件の始まりは、恐らく教場村八組からだ。利川は二つの街道の事務所で六鎮六郷を管轄しており、都亭街道の事務所は、利川市の政治・経済・文化の中心だ。しかも、教場村は、都亭街道事務所の中心的地域であり、当該村には十一の小組に、合計三千余人が暮らしている。関係媒体の記者の調査によれば、冉建新が訴えられた“三違”に関する取り締まり中に起きた涜職罪は、まさに教場村の八組と関係がある。

地元住民の紹介によれば、教場村の八組六百余人は、もともと300ムー(1ムー=6.667アール・一五分の一ヘクタール、300ムー=20ヘクタール)の土地を所有していた。二○○二年から、当該小組の土地は続々と徴収が完了したが、しかし、後始末は全部が全部意に沿うものではなかった。中でも体育路は、教場村を通過する重要な幹線道路だが、道の両側の、瓦葺き日干し煉瓦の建物は、道路拡張のために取り壊され、住民は移転をする事になった。当該村民は、自分達で壊して建設する事を提案し、政府が接収した157ムーの土地のうち、9ムーを使用して、村民のアパートを建てる事になった。二○○九年三月、アパートは着工した。これに対して、利川市委書記李偉は現場まで来て、この行動を褒め称えた。しかし、二○一○年“三違反”法執行担当官は、村民が家を建築するのは“三違反”に抵触するので、改善が必要だと述べた。

村民は、“三違反”担当官の態度は強硬だったが、冉建新は圧力に耐えて、建築を支持してくれた、と語った。現在、この建物は、いまだに建設途中だ。土地を失った村民の大多数は職を無くし、自分で活路を開き、彼等は道の両側の歩道で、協力し合って露天を開き、串焼きを売って商売を始めた。これに対して、利川市“三違反”法執行担当官は、たびたび都亭街道事務所に露天を片付けるよう要求したが、冉建新は民の生活が非常に苦しいと考え、行動を起こさなかった。人民代表大会では、彼は李偉に名指しで批判された。二○一○年“幹部三違、一律停職”の八文字が、殆ど毎日、地元のテレビ番組の中で流れるようになった。

 *遺書には機会を利用して報復されたと書かれていた
関連の媒体が六月一○日の報道で、冉建新がトイレットペーパーを用いて書いた“絶筆”を公開した。冉は遺書の中で次の様に述べていた。“(二○一○年)一二月中旬から二○一一年一月中旬にかけて、捜査班のメンバーは、およそ私の知り合いで、仕事上の友人や同僚達だ、事実を確かめると言う理由で、逐一通知しに教育拠点に行き、身柄を拘束する自由を採用し、安全を守るために二四時間監視し、身の回りのあらゆる品物を取り上げ、二重規則のように、毎日の静座は一六時間以上、酷いときには二○時間、細長い鉄板の腰掛けに座り、眠らせず座らせず等の方法で、証拠を収集する。この間、幹部・労働者・村の幹部、一般の村民と個人経営の店主、多くの人々は何も無いのに、十日以上拘束された。”ある冉建新事件に近い人物のリークによれば、冉の連座で、少なくとも四○数名が、利川警束教育拠点に送られ、調査を受けた。教場村だけで二○余人、村の幹部も村民も含まれていた、と。

この他、冉建新は利川政法系統で長年仕事をしており、利川検察院からもまた数十名が、紀律委員から話しを聞かれている。“彼等は、自主的に冉建新に関する問題を説明しさえすれば、紀律委員は決して追究せず、引き立てられるべきは引き立てられ、昇進すべきは昇進し、決して影響は無い、と述べた。”

 *最後の結果を待つ
中国新聞網の最新の報道では、湖北恩施州紀律委員会報道官は、六月九日、初めて冉建新事件について口を開き、冉建新事件は、湖北利川市紀律委員監察局の案件で、捜査の過程で、法にもとる現象があったのか否か、恩施州紀律委員が調査組織を結成し、現在、調査中である、と発表した。

湖北恩施州巴東県の公式ウェブサイトは、六月九日午後六時、巴東県人民検察院調査官 趙小育・譚運龍は、冉建新事件を調査中、職務違犯の疑いがあり、恩施州人民検察院は、法によって立件し、並びに、拘留を決定した。恩施土家苗族自治州第六期人民代表大会常務委員会第三十次会議は、鄭雪松が巴東県人民検察院検察長の職を辞する事を批准した、と発表した。(「騰訊新聞」『利川群衆事件の背後に:冉建新の奇妙な死(利川群体事件背后:冉建新的离奇死亡)』2011年06月13日12:01「南方新闻網」より)


「冉建新事件」は、農民の土地の接収という問題の他に、同僚の報復という側面があったようだ。悲惨な事件だが、これよりも酷い事件が中国各地で起きており、中共指導部の心胆を寒からしめている。

・今そこにある危機
以下は、今年、二○一五年六月中旬に行われたという、ある会合に関する「アポロンネット(阿波罗网)」の記事だ。

中共政権が維持困難となっている今日、既に解体間際に近づく事態もしばしば起きており、中共指導部でさえ〝亡党〞の話題を禁句にすることはできなくなっている。中共政治局は六月中旬に政治局拡大生活会を行っており、会上では中共の政治・経済等の多方面に存在する重大な危機が討論され、習近平は更に、講話の中で、めずらしく〝勇敢に党の脱皮・変質の事実を承認し受け入れるべきだ〞、と呼びかけた。

六月中旬、中共政治局が拡大生活会議を開き、書記処書記・国務委員・全人代と政治協商の党メンバーから軍事委員・中央規律委副書記等が等しく参加した。生活会議は二日間、会議時間は一一時間に及んだ。

会議上、一部の党の組織建設、及び、党員幹部の巡視・考察に関する調査報告書が配布された。報告は、中共中央書記処によって編集され、中央が組・中央弁公室・国弁、及び、中央組織部等を巡視し、総合的な情況を考えて作成された。報告には、中共の〝亡党〞の六大危機が隠す事なく列挙され、並びに、地方政治・社会危機が既に爆発・蔓延・悪化の状況に置かれている事が指摘されている。六大危機は、政治・経済・社会・信仰・前途等の各領域を覆っており、明らかに、体制の腐敗がもたらす官僚政治の腐敗が、既に治療不可能である事を示していた。

六大危機と問題の概況は以下の通りだ、

1.中共の理念・党の使命・理想と奮闘の  目標の喪失、
2.党の組織建設が長期に渡り、徘徊・目  標の喪失の状態に置かれており、基本  的に麻痺状態に置かれている
3.党組織の腐敗・だらけきる・既にしだ  いに社会の魅力・呼びかける力・求心  力を失ってきている
4.党の指導者が、平和・物質的豊富な環  境のもとで、怠惰・まとまらず・堕落  ・疲労し・無能な情況がすっかり暴露  された。
5.党政幹部の職権濫用・越権・権力の乱  用・不正蓄財・風紀の乱れの情況の氾  濫が、社会の恨み・民衆の怒りを激化  させた。
6.政党幹部・公職に就く者の道徳観の喪  失・生活の堕落腐敗が、社会の官僚を  恨む雰囲気を醸成させた。

この調査報告によれば、中央・地方巡視・審査結果から考えて、中央と地方の高級官僚の平均合格率は、僅かに四分の一前後で、地方の下部組織・県級党委員の、不合格、及び、行動が劣る・リストラの必要な〝指導者グループ〞は90%以上にのぼり、これは実際のところ、中共党組織が既に徹底的に腐敗して駄目になった事を示している。

習近平は会議の講話の中で、珍しく〝勇敢に厳しい事実に直面し、党が変質し亡党毀国の危機の事実を承認し・受け入れる。〞と指摘した。」(「アポロンネット(阿波罗网)」『争鳴雑誌:指導部 亡党の6っつの危機を密議 習〝党の変質を承認〞して四座を驚かす(争鸣杂志:高层密议亡党6危机 习〝承认党变质〞惊四座)』2015-07-02)

・結び
もし、暴動が起こったら、軍の指導者は、困窮した人民や理想に燃える人物に銃を向けるだろうか。

中共の直面する問題の解決には、理想を言えば、中共の指導部が独裁を棄てて民主政治へ大転換を果たし、文明大国への路を歩む事が望ましい。しかし、習近平は、掌握した強権で、人民の不満を力で押さえつけようとするかもしれない。或いは、八九年六月に起きた天安門事件のように、人民が再び街に出て民主化を訴え、酷い混乱状態に陥る事は覚悟の上で、二十五年前とは違って、ひょっとすると人民解放軍の支持のもと、腐敗した政権を倒し、政治体制の民主改革を推し進めるかもしれない。

中国が、どの様な選択をするのかは分からない。しかし、習近平の主席就任直前の中国の状態は、決して楽観的な物ではなく、種々の問題に直面していた。しかも、その対処方法として、共産主義という選択と共に、富の公平な分配のためにも、民主化という選択肢も考慮しなければならない時期に至っていた。

だからこそ、保守派と改革派の二つの路線を巡って、またもや対立が激化し、周永康や薄煕来等、上海閥(保守派)にとっても、主席簒奪を行わなければならない情況に陥っていたと言える。

見方を変えれば、簒奪劇が起きた時、既に、中共内部は分裂状態だったのだ。
(終)


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