(前回の続き)
紹興市からバスは郊外を走って40分、紹興訪問のハイライトである蘭亭に着きました。
蘭亭は書道を齧ったことのある人なら誰でも知っている書聖・王羲之が隠遁した地で、彼が生きた時代は東晋時代ですので4世紀頃になると思われます。もちろん当時の蘭亭がそのまま残っているわけではなくて、ここは蘭亭があったと思しきところにそれらしいものを作った蘭亭チックなテーマパークです。入場料40元(=500円)。
碑文によると蘭亭は過去数度にわたってこの近辺を転々と移動しており、現在のものは明朝時代に、そして清朝の頃に大幅に改修されたとのことです。
王羲之の作品の中でも最も有名なのはこの「蘭亭序」です。彼の作品は歴代皇帝にも愛されたため死後に遺体とともに埋葬するよう希望する皇帝も現れ、そのために王羲之自身の真跡が存在せず、現在我々が目にしているのは後世に作られた臨模品です。
パッと見は同じに見えるのですが臨模にも様々なバージョンがあり、見分けるポイントもさまざまです。例えば1行目の「歳在癸丑」に関して言うと、真跡は字間が詰まって少々潰れ気味であったと言われています。
これなんかは行書というよりもむしろ楷書に近く、ほとんど原形をとどめていないのではないかと思います。
王羲之はガチョウをペットとして可愛がっていたという逸話が残っています。この碑の「鵞」の字は王羲之が、「池」の字は息子の王献之が書いたものとされています。
ちゃんとガチョウがいます。
こちらは流觴曲水の宴が催された舞台です。この流れに酒の入った杯を浮かべて、自分のところに流れてくるまでに詩を作って披露するという文人のお遊びです。中国語では「曲水流觴」と語順が入れ替わりになっていました。
「蘭亭序」のデカい石碑のある建物。石碑はおよそ7m、建屋は10m以上あります。清朝の康煕帝が蘭亭序を書いたものを彫った碑だそうです。字体は本家に劣らない流麗な美しさで、これが本当なら康煕帝のマルチな才能に脱帽です。
永和九年歳ハ癸丑ニ在リ、暮春ノ初メ會稽山陰ノ蘭亭ニ會ス、禊ノ事脩ムル也……
王羲之の書いた「太」の字を巨大に引き延ばした碑があって、その前に水で濡らした毛筆で字を練習できる石板がありました。韓国人の個人旅行者がハングルで「대한민국(大韓民国)」と書いているのを発見して少し寂しい気がしました。
裏手には川が流れており、川の向こうにも小規模ながら石碑の類いがちらほら見受けられました。
帰りのバス停にもやはり全ての停留所が記載されており、漢字が読めることを非常に心強く思いました。
バス車内の風景。荷物の多い婆さんが乗ってきたので席を代わってあげたら、「あっちに空きがあるからあっち座っとき(想像訳)」と婆さんは車掌と一緒になってボクが座れる場所をコーディネートしてくれました。
16:30
夕景の紹興市内。杭州に較べると割とのどかな地方都市でした。
17:50
阜陽行きの電車に乗ります。行きは和諧号でしたが帰りは見ての通りの小汚い電車でした。いかにもテレビで見る中国の鉄道といった趣で、座席は窮屈、車両連結部で煙草をふかすので車内は臭く、杭州に着くまでの1時間は苦痛であると同時に、中国にいる実感をヒシヒシと感じました。
杭州に着いてホテルに戻り、杭州人の友達と待ち合わせをしてご飯を食べました。21時を回って多くのレストランが店じまいに入っていたので、台湾系中華ファストフード店の永和大王で番茄牛肉麺(トマト牛肉麺)をご馳走になりました。トマトの酸味が良いですね。
小籠包も。チェーン店なのでまぁこんなもんかなといった感じでした。
ものの善し悪しが分からないので杭州名物の龍井茶を買ってきてもらいました。中国では低価格を求めればトコトン低品質のものを掴むことになり、価格と品質の均衡がとれたものは地元っ子に判断してもらう方がいいと思ったからです。
龍井茶のついでに白茶を買ってきてくれたようで、プレゼントとしていただきました。お茶は洋の東西を問わずいろいろ試してきましたが、白茶は今回が初めてです。
もらってばかりじゃ申し訳ないので、関西空港で買ってきた日本酒をお礼として差し上げました。ジャパンブランドが通用していますように。
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