社会人学生の遅れてきた学習意欲

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侵略者の論理

2007年04月27日 | スペイン語




ラテンアメリカの歴史講義で南アメリカ大陸の南の南、先っちょのフエゴ島に住んでいた先住民の話を聞きました。住んでいたと過去形で言っているのは、もう既に先住民はいないからです。絶滅したんです。

彼らは約3、4千年前から同じ生活スタイルを守り続けていたらしく、近年まで狩猟採集&移動式の生活をしていたみたいです。定住しないから農耕もせず、したがって富の蓄積も無く、19世紀に至るまで旧石器時代の生活をそのまましていたということです。

15、6世紀にアステカやインカがキリスト教徒のスペイン人に滅ぼされてからも、スペイン人たちは彼らの住む大陸の端までは大量に来なかったので、そのままの生活を維持できていたらしいです。

しかし時は19世紀、だんだんチリ人やアルゼンチン人も南下してきて彼らのテリトリーに侵入してきました。勝手に鉄条網を張って羊を放牧する→放牧地に先住民がいる→邪魔だから殺す…

先住民にキリスト教を仕込んで奴隷として働かせればいいじゃないかという声もあったみたいですが、飯食べさせて服着させるのに金を使うくらいなら、殺す(狩る)ために銃弾1つ使う方が安上がりだ、と当時の(といっても19世紀の)人間は考えたようです。ここまでが授業内容。

これと同じようなことはさっきも言ったように15、6世紀のアステカやインカでもあったし、もうちょっと時は下って北米の先住民、それからオーストラリアでのアボリジニ虐殺など枚挙にいとまがありません。

「あぁ、お可哀想にね」で他人事のように終わらせるのは簡単ですが、われわれ日本人だってこのような目に遭う可能性があったことは、歴史を振り返ってみれば簡単に分かることです。

15、6世紀はスペインとポルトガルが世界のあちこちで先住民の虐殺と植民地化を推し進めていた時代で、日本にもその手先としてイエズス会のヴァリリャーノやコエリョが来てその下地作りとして盛んに布教活動をしてました。

幸か不幸か日本は中国大陸からそれほど遠くないところに位置していて、その都度先進的な文化を移入していたし、時はちょうど群雄割拠の戦国時代で組織化された軍隊があちこちにあり、鉄砲も数万挺普及していたので武力による侵略は諦めたみたいです。

今の教科書ではこのスペインが画策していた日本の植民地化の野望を記述していないので、秀吉が最初キリスト教の布教を容認していたのになぜ突然禁教令を出したのか、なぜ明を征服するために朝鮮に出兵したのかが分からなくなっています。

また徳川幕府が鎖国政策を取っていたにもかかわらず、相変わらずオランダと朝鮮との貿易を続けていた理由も明快にはなっていません。これはどう考えても帝国主義の手先であるキリスト教の宣教師を締め出したかったからにほかなりません。

その数世紀後には欧米列強がアジアに進出してきて本格的にあちこちの国が植民地化されていきました。日本はこれまた幸い、アヘン戦争での清の体たらくを見ていたので、それを他山の石として危機感を募らせ明治維新に繋げることができたのはラッキーだったと思います。

何が言いたいかと言うと「キリスト教」「自由貿易」「民主主義」「人権」「歴史認識」などを旗印に他国に踏み込んでくる国ってなんとも独善的で、その相手国の人間が幸せになった例は皆無だということです。そんな野望を打ち砕いてくれた日本の先人たちに感謝。