水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

共通テスト2021年 古文(2)

2021年01月20日 | 国語のお勉強(古文)
〈本文〉
進(じんの)内(ない)侍(し)と聞こゆる人、聞こえたり。
   契りけん千代は涙の水(みな)底(そこ)に枕ばかりや浮きて見ゆらん
中納言殿の御返し、
   起き臥しの契りはたえて尽きせねば枕を浮くる涙なりけり
また東宮の若宮の御乳母(めのと)の小(こ)弁(べん)、
 X 悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か
御返し、
 Y 慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり

〈現代語訳〉
進内侍と申す女房が(長家に)申し上げた。
 契りけん……
  一緒にいようと約束したという千年は、悲しみの涙の水底に沈み、あなたの枕だけが浮いて見えているのでしょうか。
中納言殿(長家)のお返しの歌は、
 起き臥しの……
  起きても寝ても誓った約束がすっかり尽きてしまうことはないので、枕を浮かせる涙なのですよ。
また、東宮の若宮の御乳母である小弁は、
 X 悲しさを……
  悲しみを一方では慰めてください。誰もがずっとは生きてとどまれないこの世なのですから。
(長家の)お返しは、
 Y 慰むる……
  悲しみを慰めるすべもないので、世の無常も納得することができないままですよ。
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直木賞は?

2021年01月20日 | おすすめの本・CD
 部活がないので、直木賞の候補作をまあまあ読めた。
 『オルタネート』。気になる人の一挙一動にどきどきしたったひと言に傷ついたりひと言で傷つけたりする高校生の描写が上手だ。「オルタネート」とよばれる高校生限定のSNSという設定は必要だったのかという根本的疑問がうかんだ。そう思わせるくらい日常の高校生活が上手に描かれてると感じたから。
 『汚れた手をそこで拭かない』。日常に潜むちょっとした違和感、それがそのままにされず恐怖や狂気にまで時にふくらんでいく人間の様子。「かまいたち」のネタをじっくりふくらませたような感覚を味わえる。
 『アンダードッグス』圧倒的なスケール感。一気呵成観。主人公、さすがに死ななすぎ観。一気読みさせる力の強さ。一気読みしないと話がわかんなくなるけど。
 『八月の銀の雪』手に汗握る感が全くないけど、いつのまにか引き込まれている。理系的うんちくが見事に日常の生活の描写に溶け込み、人生をちがう視点でみなおせるような感覚。現代人に必要な癒やしはこれかなと思わせるような、今ままであまり読んだことない感じ。
『心寂し川』上手。ただ、時代物をあまり読まない自分にとって、山本周五郎とか藤沢周平が比較対象になってしまうからなあ。『インビジブル』は読み終わってない。
 予想は、本命『八月の銀の雪』、対抗『アンダードッグス』、大穴『オルタネート』で。
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共通テスト2021年 古文(1)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(古文)
第3問 次の文章は、『栄花物語』の一節である。藤原長家(本文では「中納言殿」)の妻が亡くなり、親族らが亡(なき)骸(がら)をゆかりの寺(法(ほう)住(じゆう)寺(じ))に移す場面から始まっている。これを読んで、後の問いに答えよ。


 出典は、平安時代の歴史物語『栄花物語』より。古文の出典としては、ど真ん中のストレートで、その意味では「試行テスト」で示されていた方向性どおりだ。東大二次でも繰り返し出題されているが、それより本文は難しい気がする。ていうか、古文はやはり難しい。理系の子はなかなか手が回らないだろう。
 もし今自分が高3の古文をもつなら、授業の半分は『栄花物語』か『大鏡』を読みたい。あと『源氏』少しと「歌論」をいくつか読んでおけば、奇を衒わない大学の入試には100%対応できると思う。
 問5で『千載和歌集』との比較問われているのは、複数テクストを出題するとの方針に従うものだろうが、別になくてもよかったなんじゃないかな。


〈本文〉
 大北の方も、この殿ばらも、またおしかへし臥(ふ)しまろばせたまふ。これをだに悲しくゆゆしきことにいはでは、また何ごとをかはと見えたり。さて御車の後(しり)に、大納言殿、中納言殿、さるべき人々は歩ませたまふ。いへばおろかにて(ア)〈 えまねびやらず 〉。北の方の御車や、女房たちの車などひき続けたり。御供の人々など数知らず多かり。法住寺には、常の御渡りにも似ぬ御車などのさまに、僧都の君、御目もくれて、え見たてまつりたまはず。さて御車かきおろして、つぎて人々おりぬ。
 さてこの御忌(いみ)のほどは、誰(たれ)もそこにおはしますべきなりけり。山の方をながめやらせたまふにつけても、わざとならず色々にすこしうつろひたり。鹿の鳴く音(ね)に御目もさめて、今すこし心細さまさりたまふ。宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。

〈現代語訳〉
 大北の方(亡き妻の母)も、故人と縁故のあった人々も、また繰り返し転げ回って悲しみなさる。このことさえも、悲しく不吉なことだと言わないとしたら、他に何を言うだろうかと思われた。さうして(亡骸を運ぶ)お車の後ろに、大納言殿(斉信)・中納言殿(長家)が乗り、しかるべき方々は歩いて付いていかれる。(その悲しみの大きさは)言葉で表しがたく、〈ア そのまま書き写すことなどできない 〉。
 大北の方のお車や、女房たちの車などをその後ろに引き連れている。お供の人々は数しれず多い。法住寺では、普通のお越しではないお車などの様子を見て、僧都の君も、涙に暮れて、拝見なさることもできない。そうして御車から牛をはずして車をとめ、続いて人々が降りた。
 さて、この服喪の期間は、人々は皆、そこ(法住寺)に籠っていらっしゃらないといけないのだった。(長家は)山のほうをぼんやりと眺めなさると、木々の葉はそれとなく様々に色変わりしている。鹿の鳴く声に目を覚まされて、さらに少し心細さがつのっていく。(彰子や妍子の)姉宮さま達からも、気持ちを慰めくださるお頼りがたびたびあるけれど、今はただ夢を見ているようにばかり感じられて、そのままにして過ごしなさる。月がたいそう明るいのを見ても、思いをとどめなさることはない。宮中の女房も、あれこれとご連絡申し上げるけれど、まずまずの相手に対しては、〈A 長家は「すぐに自分で(行きますから)」とだけお書きになる 〉。
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共通テスト2021年 論理的文章(3)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(評論)
10~18〈日本の妖怪観の変容〉前半

10 では、ここで本書の議論を先取りして、B〈 アルケオロジー的方法 〉によって再構成した日本の妖怪観の変容について簡単に述べておこう。
11 中世において、妖怪の出現は多くの場合「凶兆」として解釈された。それらは神仏をはじめとする神秘的存在からの「警告」であった。すなわち、妖怪は神霊からの「言葉」を伝えるものという意味で、一種の「記号」だったのである。これは妖怪にかぎったことではなく、あらゆる自然物がなんらかの意味を帯びた「記号」として存在していた。つまり、「物」は物そのものと言うよりも「記号」であったのである。これらの「記号」は所与のものとして存在しており、人間にできるのはその「記号」を「読み取る」こと、そしてその結果にしたがって神霊への働きかけをおこなうことだけだった。
12 「物」が同時に「言葉」を伝える「記号」である世界。こうした認識は、しかし近世において大きく変容する。「物」にまとわりついた「言葉」や「記号」としての性質が剥ぎ取られ、はじめて「物」そのものとして人間の目の前にあらわれるようになるのである。ここに近世の自然認識や、西洋の博物学に相当する(注)本(ほん)草(ぞう)学(がく)という学問が成立する。そして妖怪もまた博物学的な思考、あるいは嗜(し)好(こう)の対象となっていくのである。
13 この結果、「記号」の位置づけも変わってくる。かつて「記号」は所与のものとして存在し、人間はそれを「読み取る」ことしかできなかった。しかし、近世においては、「記号」は人間が約束事のなかで作り出すことができるものとなった。これは、「記号」が神霊の支配を逃れて、人間の完全なコントロール下に入ったことを意味する。こうした「記号」を、本書では「表象」と呼んでいる。人工的な記号、人間の支配下にあることがはっきりと刻印された記号、それが「表象」である。
14 「表象」は、意味を伝えるものであるよりも、むしろその形象性、視覚的側面が重要な役割を果たす「記号」である。妖怪は、伝承や説話といった「言葉」の世界、意味の世界から切り離され、名前や視覚的形象によって弁別される「表象」となっていった。それはまさに、現代で言うところの「キャラクター」であった。そしてキャラクターとなった妖怪は完全にリアリティを喪失し、フィクショナルな存在として人間の娯楽の題材へと化していった。妖怪は「表象」という人工物へと作り変えられたことによって、人間の手で自由自在にコントロールされるものとなったのである。こうしたC〈 妖怪の「表象」化 〉は、人間の支配力が世界のあらゆる局面、あらゆる「物」に及ぶようになったことの帰結である。かつて神霊が占めていたその位置を、いまや人間が占めるようになったのである。
15 ここまでが、近世後期――より具体的には十八世紀後半以降の都市における妖怪観である。だが、近代になると、こうした近世の妖怪観はふたたび編成しなおされることになる。「表象」として、リアリティの領域から切り離されてあった妖怪が、以前とは異なる形でリアリティのなかに回帰するのである。これは、近世は妖怪をリアルなものとして恐怖していた迷信の時代、近代はそれを合理的思考によって否定し去った啓(けい)蒙(もう)の時代、という一般的な認識とはまったく逆の形である。
16 「表象」という人工的な記号を成立させていたのは、「万物の霊長」とされた人間の力の絶対性であった。ところが近代になると、この「人間」そのものに根本的な懐疑が突きつけられるようになる。人間は「神経」の作用、「催眠術」の効果、「心霊」の感応によって容易に妖怪を「見てしまう」不安定な存在、「内面」というコントロール不可能な部分を抱えた存在として認識されるようになったのだ。かつて「表象」としてフィクショナルな領域に囲い込まれていた妖怪たちは、今度は「人間」そのものの内部に棲(す)みつくようになったのである。
17 そして、こうした認識とともに生み出されたのが、「私」という近代に特有の思想であった。謎めいた「内面」を抱え込んでしまったことで、「私」は私にとって「不気味なもの」となり、いっぽうで未知なる可能性を秘めた神秘的な存在となった。妖怪は、まさにこのような「私」を(オ)〈 トウ 〉エイした存在としてあらわれるようになるのである。
18 以上がアルケオロジー的方法によって描き出した、妖怪観の変容のストーリーである。

注 本草学――もとは薬用になる動植物などを研究する中国由来の学問で、江戸時代に盛んとなり、薬物にとどまらず広く自然物を対象とするようになった。


⑪中世の妖怪

 妖怪の出現……「凶兆」
   ∥
 神秘的存在からの「警告」
   ∥
 妖怪……神霊からの「言葉」を伝えるもの
   ↓
 一種の「記号」
   ↓
 人間……所与の「記号」を「読み取る」 → 神霊への働きかけをおこなう


⑫⑬⑭近世の妖怪

 「物」……「物」そのものとして人間の目の前にあらわれる
    ↓
 近世の自然認識・本草学の成立
    ↓
 妖怪……博物学的な思考・嗜好の対象

 「記号」……約束事のなかで作り出すことができる
    ∥
人間のコントロール下
    ↓
 「表象」……形象性、視覚的側面が重要な役割を果たす「記号」

 妖怪の表象化 = キャラクター化
    ↓ リアリティの喪失
 フィクショナルな存在・娯楽の題材

問4 傍線部C「妖怪の表象化」とは、どういうことか。→対比・変化の把握。「やや易」

 ① 妖怪が、人工的に作り出されるようになり、神霊による警告を伝える役割を失って、人間が人間を戒めるための道具になったということ。
 ② 妖怪が、神霊の働きを告げる記号から、人間が約束事のなかで作り出す記号になり、架空の存在として楽しむ対象になったということ。
 ③ 妖怪が、伝承や説話といった言葉の世界の存在ではなく視覚的な形象になったことによって、人間世界に実在するかのように感じられるようになったということ。
 ④ 妖怪が、人間の手で自由自在に作り出されるものになり、人間の力が世界のあらゆる局面や物に及ぶきっかけになったということ。
 ⑤ 妖怪が、神霊からの警告を伝える記号から人間がコントロールする人工的な記号になり、人間の性質を戯画的に形象した娯楽の題材になったということ。

 ①「人間が人間を戒めるための道具になった」、③「人間世界に実在するかのように感じられるようになった」、④「人間の力が世界のあらゆる局面や物に及ぶきっかけになった」、⑤「人間の性質を戯画的に形象した娯楽の題材になった」が×。②が正解。

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共通テスト2021年 論理的文章(2)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(評論)
6~9〈方法論〉

6 妖怪に対する認識の変容を記述し分析するうえで、本書ではフランスの哲学者、ミシェル・フーコーの言う「アルケオロジー」の手法を(ウ)〈 エン 〉ヨウすることにしたい。
7 アルケオロジーとは、通常「考古学」と訳される言葉であるが、フーコーの言うアルケオロジーは、思考や認識を可能にしている知の枠組み――「エピステーメー」(ギリシャ語で「知」の意味)の変容として歴史を描き出す試みのことである。人間が事物のあいだにある秩序を認識し、それにしたがって思考する際に、われわれは決して認識に先立って「客観的に」存在する事物の秩序そのものに触れているわけではない。事物のあいだになんらかの関係性をうち立てるある一つの枠組みを通して、はじめて事物の秩序を認識することができるのである。この枠組みがエピステーメーであり、しかもこれは時代とともに変容する。事物に対する認識や思考が、時間を(エ)〈 ヘダ 〉てることで大きく変貌してしまうのだ。
8 フーコーは、一六世紀から近代にいたる西欧の「知」の変容について論じた『言葉と物』という著作において、このエピステーメーの変貌を、「物」「言葉」「記号」そして「人間」の関係性の再編成として描き出している。これらは人間が世界を認識するうえで重要な役割を果たす諸要素であるが、そのあいだにどのような関係性がうち立てられるかによって、「知」のあり方は大きく様変わりする。
9 本書では、このアルケオロジーという方法を踏まえて、日本の妖怪観の変容について記述することにしたい。それは妖怪観の変容を「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再編成として記述する試みである。この方法は、同時代に存在する一見関係のないさまざまな文化事象を、同じ世界認識の平面上にあるものとしてとらえることを可能にする。これによって日本の妖怪観の変容を、大きな文化史的変動のなかで考えることができるだろう。


⑥⑦⑧
 ミシェル・フーコーの「アルケオロジー」
   ∥
 知の枠組み(エピステーメー)の変容として歴史を描き出す試み
    ↓
  西欧の「知」の変容
    ∥
 「物」「言葉」「記号」「人間」の関係性の再編成

⑨⑩
  妖怪観の変容
    ↓
 「物」「言葉」「記号」「人間」の布置の再編成として記述 = アルケオロジー的方法


問3 傍線部B「アルケオロジー的方法」とは、どのような方法か。→ 言い換え部分を見つける。「標準」

 ① ある時代の文化事象のあいだにある関係性を理解し、その理解にもとづいて考古学の方法に倣い、その時代の事物の客観的な秩序を復元して描き出す方法。
 ② 事物のあいだにある秩序を認識し思考することを可能にしている知の枠組みをとらえ、その枠組みが時代とともに変容するさまを記述する方法。
 ③ さまざまな文化事象を「物」「言葉」「記号」「人間」という要素ごとに分類して整理し直すことで、知の枠組みの変容を描き出す方法。
 ④ 通常区別されているさまざまな文化事象を同じ認識の平面上でとらえることで、ある時代の文化的特徴を社会的な背景を踏まえて分析し記述する方法。
 ⑤ 一見関係のないさまざまな歴史的事象を「物」「言葉」「記号」そして「人間」の関係性に即して接合し、大きな世界史的変動として描き出す方法。


 ①「その時代の事物の客観的な秩序を復元して描き出す」×
 ③「「物」「言葉」「記号」「人間」という要素ごとに分類して整理し直す」×
 ④「同じ認識の平面上でとらえることで、ある時代の文化的特徴を社会的な背景を踏まえて分析し記述する」×
 ⑤「関係性に即して接合し、大きな世界史的変動として描き出す」×
 ②が正解。
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共通テスト2021年 論理的文章(1)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(評論)
第1問 次の文章は、香川雅信『江戸の妖怪革命』の序章の一部である。本文中でいう「本書」とはこの著作を指し、「近世」とは江戸時代にあたる。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に1~18の番号を付してある。

 出典は、香川雅信『江戸の妖怪革命』。「妖怪」をテーマにした文章は、入試評論文として珍しくない。同書から出題された2017年の北海道大学の問題を放課後講習で扱った。コロナ禍でアマビエが脚光をあびたことを踏まえて作られた問題だろう。
 出題型式は、従来のセンター試験とほぼ同じだった。写真や絵、グラフや表と言った、文字ではないテクストは扱われなかった。
 「生徒がつくったノート」という形で、本文とは別のテクストが示されたとはいえ、目新しさはない。
 共通テストの目標として、複数テクストの読解力や高度な思考力を問うことが挙げられていたが、拍子抜け感は否めない。
 センターの過去問を普通に練習してきた子が、ふつうに実力を発揮できる問題という意味では、よかったと言える。


問1は、例年どおり五つの漢字問題。選択肢が4つになったのは大きな変化だ。「標準」

(ア)ミンゾク 民俗 → ③
 ① 楽団にショゾクする 所属
 ② カイゾク版を根絶する 海賊
 ③ 公序リョウゾクに反する 良俗
 ④ 事業をケイゾクする 継続

(イ)カンキ 喚起 → ①
 ① 証人としてショウカンされる 召喚
 ② 優勝旗をヘンカンする 返還
 ③ 勝利のエイカンに輝く 栄冠
 ④ 意見をコウカンする 交換

(ウ)エンヨウ 援用 → ②
 ① 鉄道のエンセンに住む 沿線
 ② キュウエン活動を行う 救援
 ③ 雨で試合がジュンエンする 順延
 ④ エンジュクした技を披露する 円熟

(エ)ヘダてる 隔てる → ③
 ① 敵をイカクする 威嚇
 ② 施設のカクジュウをはかる 拡充
 ③ 外界とカクゼツする 隔絶
 ④ 海底のチカクが変動する 地殻

(オ)トウエイ 投影 → ①
 ① 意気トウゴウする 投合
 ② トウチ法を用いる 倒置法
 ③ 電気ケイトウが故障する 系統
 ④ 強敵を相手にフントウする 奮闘


 本文を読み始める前に、設問にざっと目を通すのは受験国語の大原則。
 定石にしたがうと、問5に示された「ノート1」に、本文の段落分けが載っていることに気づく。
 小見出しまでつけてくれてあるし。
 分け方が問われているわけではなさそうだから、これを参考にして本文の意味段落を把握できる。


1~5〈問題設定〉

1 フィクションとしての妖怪、とりわけ娯楽の対象としての妖怪は、いかなる歴史的背景のもとで生まれてきたのか。
2 確かに、鬼や天狗など古典的な妖怪を題材にした絵画や芸能は古くから存在した。しかし、妖怪が明らかにフィクションの世界に属する存在としてとらえられ、そのことによってかえっておびただしい数の妖怪画や妖怪を題材とした文芸作品、大衆芸能が創作されていくのは、近世も中期に入ってからのことなのである。つまり、フィクションとしての妖怪という領域自体が歴史性を帯びたものなのである。
3 妖怪はそもそも、日常的理解を超えた不可思議な現象に意味を与えようとするミン(ア)〈 ゾク 〉的な心意から生まれたものであった。人間はつねに、経験に裏打ちされた日常的な原因―結果の了解に基づいて目の前に生起する現象を認識し、未来を予見し、さまざまな行動を決定している。ところが時たま、そうした日常的な因果関係では説明のつかない現象に遭遇する。それは通常の認識や予見を無効化するため、人間の心に不安と恐怖を(イ)〈 カン 〉キする。このような言わば意味論的な危機に対して、それをなんとか意味の体系のなかに回収するために生み出された文化的装置が「妖怪」だった。それは人間が秩序ある意味世界のなかで生きていくうえでの必要性から生み出されたものであり、それゆえに切実なリアリティをともなっていた。A〈 民間伝承としての妖怪 〉とは、そうした存在だったのである。
4 妖怪が意味論的な危機から生み出されるものであるかぎり、そしてそれゆえにリアリティを帯びた存在であるかぎり、それをフィクションとして楽しもうという感性は生まれえない。フィクションとしての妖怪という領域が成立するには、妖怪に対する認識が根本的に変容することが必要なのである。
5 妖怪に対する認識がどのように変容したのか。そしてそれは、いかなる歴史的背景から生じたのか本書ではそのような問いに対する答えを、「妖怪娯楽」の具体的な事例を通して探っていこうと思う。


①②
 フィクションとしての妖怪 = 娯楽の対象としての妖怪……近世の中期以降に成立

③日常的な因果関係で説明のつかない現象に遭遇
    ↓
 不安・恐怖 = 意味論的危機
    ↓
 説明できない現象を意味の体系に回収する文化的装置
    ∥
 妖怪……切実なリアリテュイをもつ
    ∥
民間伝承としての妖怪
    ↑
④⑤  ↓
 娯楽・フィクションとしての妖怪……どのように生まれたのか


問2 傍線部A「民間伝承としての妖怪」とは、どのような存在か。→ 言い換えを探す。①を読んだ瞬間に選べるはず。「易」

 ① 人間の理解を超えた不可思議な現象に意味を与え日常世界のなかに導き入れる存在。
 ② 通常の認識や予見が無効となる現象をフィクションの領域においてとらえなおす存在。
 ③ 目の前の出来事から予測される未来への不安を意味の体系のなかで認識させる存在。
 ④ 日常的な因果関係にもとづく意味の体系のリアリティを改めて人間に気づかせる存在。
 ⑤ 通常の因果関係の理解では説明のできない意味論的な危機を人間の心に生み出す存在。

 ①が正解。②「フィクションの領域においてとらえなおす存在」、③「未来への不安を意味の体系のなかで認識させる存在」、④「意味の体系のリアリティを改めて人間に気づかせる存在」、⑤「意味論的な危機を人間の心に生み出す存在」が×。
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アップデート力

2021年01月18日 | 学年だよりなど
3学年だより「アップデート力」


 共通テストおつかれさまでした。
 会場模試さえほとんど経験していないみなさんにとって、勝手の分からない試験だったかもしれない。そして教科によっては、予備校さんなどの予想も超えた問題もあったようだが、その程度の想定外ぶりは予想どおりだ。
 問い方自体にいろいろ変化はあったとはいえ、本質はまったく変わっていない。個人的には、どのへんを思考力強化だと言いたいのか、疑問に思うくらいだ。
 とりあえずは、第一歩を踏み出せたことを喜ぼう。
 採点しながら「やらかしちまった」「失敗した」などとアピールする人を見かける。
 厳しい言い方かもしれないが、それこそが実力だったはずだ。
 何点くらい取りたかったという気持ちは、あくまでも「希望」であり実力ではない。
 本番ゆえに発見できた自分の弱点を、ノートに書いておこう。
 教科、科目の知識として覚えておくべきことや、試験受け方そのものへの準備不足だと気づいたことなどを、具体的にまとめておこう。
 この作業は、けっして目先の試験のためだけにあるのではない。
 将来の目標を叶えるために今の受験はあるわけだから、人生全体を見据えての課題発見ということになる。次の試験までの宿題ではなく、長いスパンで取り組み続けていく自分の課題だ。


~ 課題とは、学生の頃に先生から出されていた宿題とは違う。
 やらなくてもいいモノではないし、ズルも無駄だ。
 課題とは、自分自身の成長、そして夢の達成のためにある。
 そして課題をやるかやらないかは、オマエ次第だ。
 やらなかったときに、誰かに怒られるわけではない。
 だからといって甘えれば、成長などできるわけがない。
 オマエがオマエに対して、もっとも厳しい人間であれ。
 その手助けになるのが、ノートだ。
 課題をリストアップしろ。
 具体的な目標、そして達成する期限を書き込め。
 スマホに打ち込むよりも、【書く】という行為のほうが、より客観的に課題を把握できるし、なにがなんでも達成する、という決意を込めやすい。
 書いただけで満足せず、毎日一度はノートを開き、未達成の課題に対する具体的な行動を決め、動き出せ。
 いつまでも攻める姿勢を忘れずにいれば、数年後には必ず、理想の自分の出会えるはずだ。
 GACKTの【課題ノート】は月刊少年チャンピオンほどの厚みがある。
                   (GACKT『GACKT超思考術』サンクチュアリ出版) ~


 こうして自分をアップデートし続けた結果として、夢の実現がある。
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漢文最終チェック〈故事に基づいて出来た言葉〉

2021年01月15日 | 国語のお勉強(漢文)
漢文最終チェック〈故事に基づいて出来た言葉〉

 圧巻(あっかん) …… 他を圧倒するほどすぐれている
 守株(しゅしゅ) …… 古いしきたりにとらわれ進歩がない
 墨守(ぼくしゅ) …… 古い習慣や考えをかたくなに守る
 蛇足(だそく) …… ない方がよいもの
 推敲(すいこう) …… 詩や文章の字句を練る
 杞憂(きゆう) …… 無用な心配
 白眉(はくび) …… 最もすぐれているもの
 断腸(だんちょう) …… はらわたがちぎれるほどの悲しみ
 杜撰(ずさん) …… いい加減
 逆鱗(げきりん) …… 目上の人の怒り
 傾城(けいせい) …… (国を傾けるほどの)絶世の美女
 画餅(がべい) …… 実際の役に立たないもの
 矛盾(むじゅん) …… つじつまがあわない
 助長(じょちょう) …… よくない面を伸ばしてしまうこと

 登竜門(とうりゅうもん) …… 立身出世のために通る関門
 太公望(たいこうぼう) …… 釣り人
 破天荒(はてんこう) …… 誰もなしえなかったことを行う(=前代未聞・未曾有)

 温故知新(おんこちしん) …… 古い事柄を調べ新しい知見を見出す
 朝三暮四(ちょうさんぼし) …… 目先だけ変えてうまくごまかす
 捲土重来(けんどちょうらい) …… いったん敗れたものが再び巻き返す
 呉越同舟(ごえつどうしゅう) …… 敵と味方が同席する
 鶏口牛後(けいこうぎゅうご) …… 大きな集団の下っ端より、小さな集団の頭になる方がいい
 馬耳東風(ばじとうふう) …… 他人の意見を聞き流す
 漱石枕流(そうせきちんりゅう) …… 負け惜しみが強いこと
 画竜点睛(がりょうてんせい) …… 最後の仕上げ
 羊頭狗肉(ようとうくにく) …… 表面は立派だが中身がともなわない
 孟母三遷(もうぼさんせん) …… 子どもの教育には環境を選ぶべき

 烏合の衆(うごうのしゅう) …… まとまりのない群衆
 出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ) …… 弟子が師よりもすぐれる
 髀肉の嘆(ひにくのたん) …… 実力を発揮する機会がないことを嘆く
 背水の陣(はいすいのじん) …… 一歩も引けない気持ちで立ち向かう
 漁夫の利(ぎょふのり) …… 第三者が利益をよこどりする
 無用の用(むようのよう) …… 一見役に立たないものが実は役に立つ
 蟷螂の斧(とうろうのおの) …… 自分の力量も顧みず大きな敵に向かっていく
 他山の石(たざんのいし) …… 他人のマイナスの言動も自分に役立てられる
 塞翁が馬(さいおうがうま) …… 人生の幸不幸は予測できない
 隗より始めよ(かいよりはじめよ) …… 言い出した者から始めよ
 顰みに倣う(ひそみにならう) …… 意味も考えずただまねをする(謙遜にも用いる)
 病膏肓に入る(やまいこうこうにいる) …… 趣味道楽が度を超したレベルになる
 牛耳を執る(ぎゅうじをとる) …… 主導権を握る
 鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう) …… 権力者の力量を疑う 
 覆水盆に返らず(ふくすいぼんにかえらず) …… 一度した過ちは取り返しがつかない
 人口に膾炙す(じんこうにかいしゃす) …… 世の中に広く知れ渡る
 羮に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく) …… 一度の失敗に懲りて慎重になりすぎる
 李下に冠を正さず(りかにかんむりをたださず) …… 疑わしい行為はしない
 禍福は糾える縄のごとし(かふくはあざなえるなわのごとし) …… 幸不幸は交互におとずれる 
 舟に刻して剣を求む(ふねにこくしてけんをもとむ) …… 因習にとらわれ時代の変化に気づけない
 木に縁りて魚を求む(きによりてうおをもとむ) …… 手段を間違って目的を果たせない
 五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ) …… 本質的な差は無いこと
 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる) …… 約束事を守るために親しい者も厳しく罰する
 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや) …… 小人物に大人物に志を知ることはできない

 知音(ちいん) …… 親友、知り合い、恋人
 刎頸の交わり(ふんけいのまじわり) …… (相手のために首をはねられることさえ厭わない)親密な交友
 水魚の交わり(すいぎょのまじわり) …… (絶対に離れられない)親密な交友
 管鮑の交わり(かんぽうのまじわり) …… (互いを理解しつくしている)親密な交友
 糟糠の妻(そうこうのつま) …… 苦労をともにして支えてきた妻
 琴瑟相和す(きんしつあいわす) …… (琴と瑟の音がよく合うように)夫婦が仲睦まじいこと
 偕老同穴(かいろうどうけつ)  …… (共に生き同じ墓に入るように)夫婦が仲睦まじいこと
 比翼連理(ひよくれんり) …… (翼をならべた鳥、連なる枝のように)夫婦が仲睦まじいこと
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強運力

2021年01月14日 | 学年だよりなど
3学年だより「強運力」


 やるだけやったら、あとは祈ろう。最後に頼りになるのは、神様だ。――というと、「は? 意味わかんない、非科学的だ」と感じる人は、現代文の勉強が足りないかもしれない。
 「科学」は近代知が生み出した一つの物差しに過ぎず、科学への過信こそが現代の様々な問題の原因だと、さんざん学んできたではないか。
 いまだ科学は解明できてないが、「運がいい・悪い」は存在する。
 入試当日は、予想していないちょっとしたアクシデントがおこるものだ。
 すべてが予定どおり、期待どおりに進んでいくと、かえって気持ち悪い。
 予想外のことが起きたときに、「ついてないなあ」とへこむのと、「この程度ですんでよかった」ととらえる場合とでは、その後の展開が全くことなる。
 結果的に、後者のように捉えられる人は「運のいい人」になっていく可能性が高い。
「やれることは全部やりきろう」という意志を持ち続け、同時に「どんな結果も受け入れよう」とどんと構えていることが大事なのだろう。


~ 先日、社員教育のために、次男がとある企業の社長のセミナーをセッティングしてくれたのですが、そのセミナーでこんな話がありました。
「何気なく過ごしている今日だけど、昨日亡くなった人にとっては死ぬほど生きたかった明日が今日なんですよね」
 その言葉を聞いて、私は涙が止まらなくなりました。
 明日が当たり前のように訪れると思っていなかっただろうか? 反省する気持ちとともに、感動が一気に押し寄せてきました。
 人間は、どんなに長生きしても200歳までは生きられません。聞くところによると、人間の細胞は、もともと126歳までしか生きられないようにできているのだとか。限られた命ですから、生きている間は1日1日を特別の日と思って全力投球しなければと、このセミナーを通じて改めて感じたのです。
 人は年齢を重ねるほどに経験という貴重なスキルを積み上げていくことができます。でもその一方で、悲しいかな感動に鈍くなってしまうものです。
 けれど、毎日生きていられることが奇跡だと思えば、当たり前として通り過ぎてしまいそうなことにも、感動したり、感謝したりできます。
 孫の純粋な表情や言葉に感動したり、社員が日々成長する姿に感動したり、代表からの言葉をありがたく感じたり……。些細なことでも感じ取れるように、毎日感動のアンテナをピッカピカに磨いていたいと思っています。
          (元谷芙美子『強運 ピンチをチャンスに変える実践法』SB Creative) ~


 あたりまえのように、朝起きてごはん食べて勉強して、ときどき寒いとか辛いとか文句まで言ったりするけど、それ自体が幸せではないか。まして健康に共通テストまで受けに行けるのだ。
 この奇跡的な強運に感謝しよう。武運長久を祈る。
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まもなく

2021年01月13日 | 日々のあれこれ
 郷里の福井では、雪のために今週いっぱい休校になる学校もあるという。
 雪国といえど、街中で1メートル積もれば、さすがにいろんなことがまひする。
 週末の共通テストも大変だろうなあ。
 小論文や志望理由書の指導をしてきて、今年急に多く増えたのが「SDGs」関連の話題だった。
 ご存じの通り「Sustainable Development Goals」ですね。
 国連で決めた「持続可能な開発のための国際目標」のことで、2030年までに、貧困や格差の問題について確かな成果を出さないといけないことになっている。
 その一つに「気候変動への対策」も取り上げられているので、小論文では、とりあえず「地球温暖化、ダメ、ゼッタイ!」と書くことになってるのだが、ほんとにそうなのかな。冬はもっと暖かい方がよくないですか?
 「温暖化」現象の一つの波及として、大雪もあるのだと言われても、にわかに信じられないし。
 そもそも、何十億年の歴史をもつ地球に関して、ここ何十年かの平均気温データで何か語ること自体のうさんくささが、どうしても拭えない。貧困問題とか地球環境とかを気軽に小論文のテーマにする大学さんの知性って、どうなのかなあと思うこともあった1年だった。
 まもなく共通テスト。表日本の高校生は、試験会場についたときにはすでに長靴の中がびちょびちょで、その気持ち悪さからスタートするなんてことはないだけでも幸せだ。
 朝9時までに入室して、リスニングが終わるのが18時10分。そのころは暗くなってるが、雪も積もってないし、電車も動いてる。 一見長丁場だけど、朝7時代の大宮バスに乗り、授業して部活して19時バス、ごくまれに20時の水バに乗ることを思ったら、なんでもない。楽勝だな、吹部にとっては。
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