水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

慈恵

2010年11月06日 | 日々のあれこれ

 漢文の授業で読んでいる「韓非子」の一節。

 ~ 魏の恵王が卜皮(ぼくひ)に訪ねた。
「そなたは、わしの評判をどのように聞いているか」と。
卜皮はお答えする。「王はたいへん慈恵であると人々は言っています」。
王は思わず破顔した。「そうか。では私の功績はどうなろうかな」
卜皮は答える。「王の功によって、国は亡びます」。
「待て。慈恵は善なる行いではないか。そのために亡ぶとは、いったいどういうことだ。」
卜皮は言う。「王さま、慈者は、人をかわいそうに思い、恵者は人に与えることを好みます。かわいそうに思う心が強いと、過ちを見かけても罰しません。与えることを好む者は、功のない者を賞してしまいます。過ちが有るのに罰せず、功が無い者に与える、この有り様を、亡ぶと言って悪いでしょうか」と。~
 
 これほど今の我が国を言い当てた文章を読むとは思わなかった。
 内閣の問題なのか、民主党の問題なのか、またはそれをいいようにあやつるお役人さんの問題なのか、凍結されたとばかり思っていた公共事業はどんどん行われてるし、八ツ場ダムもはっきりしないし、朝鮮学校の高校授業無償化も決まったというし、まさに慈愛の心と恵む心にあふれた、すばらしい日本国に生きているなあと感じる日々だ。
 一つ言いたいのは、朝鮮学校の無償化を認めるなら、最低限、日本の教科書を使って世界史Aは学んでほしい。
 世界史の未履修問題のとき、私立高校と公立高校をいっしょくたに議論してほしくないと思っていた。私立のカリキュラムには、文科省が決めた必修科目もふくめて裁量が認められていいと思ったし、実際の東京都の私立中高協会がそのように堂々と主張されていた。
 しかし、現実には私立高校も県立と同じように補習を行う形で対応したのは、お上のもつ私学助成金という大きな足かせがあったからだ。
 私立には裁量があってしかるべきだと思いながら、一方で納得もできるのは、莫大な公のお金をいただいているということ、つまりお国に役立つ若者の育成という目的にしたがった学校教育機関の一つであるからだ。
 しかし、今回の無償化を決める基準では、その教育内容は問わないという。
 そんなのってある? 未履修を批判した方々は、今回の決定をどう考えるのだろう。
 教育内容を問われないなら、セクハラサイコロとかやったって、別に問題ない … わけはないですね。
 

  

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 笑コラ2 | トップ | 日曜版 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々のあれこれ」カテゴリの最新記事