水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

自己表出(1)

2010年11月24日 | 国語のお勉強

言葉には「指示表出」と「自己表出」の二つの機能がある。
 「指示表出」とは、文字通りその言葉が、ある指示内容を表現すること。
 「自己表出」とは、その言葉によって、その言葉を用いた主体の自己が表現されること。
 と自分では理解している。
 吉本隆明氏が『言語のとって美とは何か』で提出されたこの概念は、多くの国語の先生にとって、単語自体聞いたことはあるけど、ふだんは意識してない、といったぐらいの術語ではないだろうか。
 最近、この意味が少しわかってきたような気がして、そういう目で見てみると、いま授業している「こころ」に表出されている、「私」の自己がうまく説明できるのだ。
 たとえば、今日は「思い込んでしまったのです」を授業した。
 って、突然言ってもわからないですね。こんな本文です。

 ~ Kの果断に富んだ性格は私によく知れていました。彼のこの事件についてのみ優柔なわけも私にはちゃんとのみ込めていたのです。つまり私は一般を心得たうえで、例外の場合をしっかり捕まえたつもりで得意だったのです。ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭の中で何べんも咀嚼しているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐら動き始めるようになりました。私はこの場合もあるいは彼にとって例外でないのかもしれないと思い出したのです。すべての疑惑、煩悶、懊悩を一度に解決する最後の手段を、彼は胸の中に畳み込んでいるのではなかろうかと疑ぐり始めたのです。そうした新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた私は、はっと驚きました。そのときの私がもしこの驚きをもって、もう一ぺん彼の口にした覚悟の内容を公平に見回したらば、まだよかったかもしれません。私はただKがお嬢さんに対して進んでゆくという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうといちずに思い込んでしまったのです。 ~ 

Q「思い込んでしまった」とあるが、「私」は何をどう「思い込んだ」のか。
A Kは、道への精進を捨てて、お嬢さんへの恋に進んでいこうと覚悟を決めたのだと思い込んだ。

Q「~てしまった」と言ったのはなぜか。
A あとで考えると、この思い込みが間違いであったと後悔しているから。

 と、ここまでは3年前の授業でも話していた。
 今回はさらに、こう問う。

Q この表現で、「私」は読者に何を告げているのか。この「~てしまった」にはどのような自己が表出されているのか。

コメント
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