まもなく期末を迎える2011年度は、日本の電機業界にとって忘れられない年になるだろう。
12年3月期の連結業績見通しでシャープは2900億円、パナソニックは7800億円の最終赤字に転落し、ソニーは4期連続となる2200億円の赤字を計上する見通しだ。
3社はそろって社長交代に踏み切る。失敗の原因はどこにあったのか。
「あんたら、よその人は笑うかもしれんが、わしらはいま、本当にうれしいんや。ずうっと悔しい思いをしてきたからな」
10数年前に聞いた、シャープ幹部の話が忘れられない。
「テレビは家電の王様や。ほかの製品とはわけが違う。シャープは日本で最初に白黒テレビを作った会社や。
そやけど、カラーの時代になると松下(松下電器産業=現パナソニック)やソニーに押されて、ブラウン管を自分で作れん時期があった」
――でもシャープはブラウン管のカラーテレビを売ってましたよね。
「簡単な話や。よそから玉を買うとった」
――玉ってなんですか?
「そんなもんも知らんのか。ブラウン管のことや。よそから裸の玉を買うてきて、テレビに組み立てて、シャープのブランドで売るわけや」
――アウトソーシングってやつですね。
「そんな格好ええもんとちゃう。よそは原価よりかなり高い値段でシャープに玉を売るから、シャープのテレビの原価はよそより高い。
ところが、売り場へいったら、うちはブランド力がないよって、よそのテレビより安く売られる。もうかるわけないやろ。
せやけど、王様のテレビをやらんわけにはいかん。つらい仕事やった」
――でも、今は違いますね。
「そうや。亀山で自前の玉をなんぼでも作れる。まあ今は玉やのうて板やけどな。
うちが開発したぴかぴかの板を、よそが売ってくれと頼みに来る。シャープは王様の中の王様になった。わしらはそれがうれしいんや」
目指し続けた“坂の上の雲”をようやくその手につかんだ。言葉の端々からそんな喜びが伝わってきた。
その頃、シャープの旗艦工場だった亀山では、液晶パネルの生産効率を高めるための設備更新が進んでいた。
厳戒態勢の中で最新鋭の生産装置が運び込まれる。工場内部の取材はシャットアウト。
トラックで運ばれた装置を工場に搬入する通路は物々しくブルーシートで覆われた。
「何週間か前に、あの辺りから双眼鏡でこっちを見とるやつらがおった。機械の大きさが分かると、ラインのだいたいの性能が分かるもんなんですわ」。
亀山工場の人々が警戒していたのは海外メーカーの偵察部隊だった。
半導体のDRAMでは製造装置メーカーを経由して生産ノウハウが台湾や韓国に流れ、価格競争に持ち込まれた、というのが業界の通説。
「同じ轍(てつ)を踏むまい」。パネル投資では技術流出に神経をとがらせた。
背後に迫る韓国勢や台湾勢を追い落とすべく、シャープはその後も攻めまくる。
2007年には大阪府堺市に世界最大級の液晶工場の建設を決定。投資額はパネル工場だけで3800億円、部材メーカーの投資やインフラ整備費を合わせれば1兆円にのぼる。
巨大な液晶コンビナートは「シャープグリーンフロント 堺」と名付けられた。
パナソニックも負けじと尼崎市のプラズマパネル工場と姫路市の液晶工場に2010年度末までに総額4000億円を投じた。
このころの日本の電機業界には「パネル至上主義」とも言える高揚感が漂っていた。
ある企業はそれを「製造業の国内回帰」と呼び、別の企業は「ブラックボックス戦略」と呼んだ。
自動車も電機も海外生産が主流になり、日本で作って輸出する「モノ」がどんどん減っていく。
そんな中、世界市場で競争力を持つパネル産業の勃興は「国産品で世界と戦う」という往年の必勝パターンの復活を思わせたのだ。
だが、日本の電機各社がパネル至上主義にのめり込んでいったそのころ、米国はまるで違う方向に動き出していた。
シャープが堺工場の建設を決めた2007年は、
米インターネット検索大手のグーグルがスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)向け基本ソフト「アンドロイド」を公開した年である。
すでに米アップルのスマホ「iPhone」は大人気を博していたが、アンドロイドというライバルの出現でスマホ市場は爆発的な拡大を始めた。
それより少し前の2006年秋にはSNS(交流サイト)の米フェイスブックが一般向けサービスを開始している。
人々の余暇の過ごし方は「居間でテレビを見る」から「スマホで仲間と交流する」に変わった。
この変化がテレビから「茶の間の王様」の地位を奪った。
王様の地位を追われたテレビは年率3割の価格下落が続き、今や40インチの液晶テレビが3万円台で売られている。
「1インチ1万円が勝負どころ」と言われていたパネル事業は「1インチ1000円割れ」の惨状だ。
日本のテレビメーカーは韓国メーカーに敗れたとされるが、日本の家電量販店に韓国メーカーの製品はほとんど並んでいない。
海外では韓国勢が世界市場を制覇したが、先頭に立つサムスン電子ですらパネル事業では利益が出なくなってきた。
日本はパネル戦争で韓国に敗れたというのは近視眼的な見方であり、大局では米国発のネット革命に足元をすくわれたのではないだろうか……。
スマホの付属品であるイヤホンで3万円の高級品が売れている。
情報を取り込むメーンゲートはテレビからスマホに移り、消費者はメーンゲートであるスマホには出費を惜しまない。
一方でサブゲートに転落したテレビは「とりあえず映ればいい」と考えている。テレビの急激な値崩れはその証左ではないか。
戸部良一、野中郁次郎ら複数の政治、経営学者の共著による「失敗の本質」(1984年)という本がある。副題は「日本軍の組織論的研究」。
第2次世界大戦における日本軍の組織や意思決定プロセスを細かく分析している。
この本が日本の敗因の1つと指摘するのが海軍の「艦隊決戦主義」だ。
巨砲を積んだ戦艦を中心とする艦隊が正面から向き合って雌雄を決する戦い方である。
日本の海軍はそれを目指して装備を調え、戦略を練った。
日露戦争における日本海海戦での成功体験がこの考え方につながったと著者たちは指摘している。
敗色濃厚な中で、起死回生を目指して建造されたのが46センチの主砲を持つ戦艦「大和」と「武蔵」である。
しかし艦隊決戦思想の結晶といえる大和と武蔵は、自慢の巨砲の威力を発揮することなく撃沈された。
米国は小回りのきかない巨大戦艦を見限り、より機動的な戦闘機と航空母艦を戦略の中心に据えていた。
巨艦を作ることより、レーダーの性能を高め、暗号を解読することに力を注いだ。
日本が望んだ「艦隊決戦」の機会はついに訪れなかった。
「ニッポン製造業の復活」をかけて作られたシャープの堺工場とパナソニックの尼崎工場では、
新鋭ラインを存分に操業させる前に、拠点集約や生産品目の変更が始まった。
厳しく見れば「巨大工場決戦主義」そのものがアナクロニズムだったのかもしれない。
アップル、グーグル、フェイスブックが仕掛けてきた「新しい戦い」に応戦できる企業は、まだこの国に生まれていない。
今になってみればエコポイントも3Dも徒花だったか・・・・。
完全にコモディティー化してしまったTV事業。あまり革新する要素もなさそうだが・・・。
12年3月期の連結業績見通しでシャープは2900億円、パナソニックは7800億円の最終赤字に転落し、ソニーは4期連続となる2200億円の赤字を計上する見通しだ。
3社はそろって社長交代に踏み切る。失敗の原因はどこにあったのか。
「あんたら、よその人は笑うかもしれんが、わしらはいま、本当にうれしいんや。ずうっと悔しい思いをしてきたからな」
10数年前に聞いた、シャープ幹部の話が忘れられない。
「テレビは家電の王様や。ほかの製品とはわけが違う。シャープは日本で最初に白黒テレビを作った会社や。
そやけど、カラーの時代になると松下(松下電器産業=現パナソニック)やソニーに押されて、ブラウン管を自分で作れん時期があった」
――でもシャープはブラウン管のカラーテレビを売ってましたよね。
「簡単な話や。よそから玉を買うとった」
――玉ってなんですか?
「そんなもんも知らんのか。ブラウン管のことや。よそから裸の玉を買うてきて、テレビに組み立てて、シャープのブランドで売るわけや」
――アウトソーシングってやつですね。
「そんな格好ええもんとちゃう。よそは原価よりかなり高い値段でシャープに玉を売るから、シャープのテレビの原価はよそより高い。
ところが、売り場へいったら、うちはブランド力がないよって、よそのテレビより安く売られる。もうかるわけないやろ。
せやけど、王様のテレビをやらんわけにはいかん。つらい仕事やった」
――でも、今は違いますね。
「そうや。亀山で自前の玉をなんぼでも作れる。まあ今は玉やのうて板やけどな。
うちが開発したぴかぴかの板を、よそが売ってくれと頼みに来る。シャープは王様の中の王様になった。わしらはそれがうれしいんや」
目指し続けた“坂の上の雲”をようやくその手につかんだ。言葉の端々からそんな喜びが伝わってきた。
その頃、シャープの旗艦工場だった亀山では、液晶パネルの生産効率を高めるための設備更新が進んでいた。
厳戒態勢の中で最新鋭の生産装置が運び込まれる。工場内部の取材はシャットアウト。
トラックで運ばれた装置を工場に搬入する通路は物々しくブルーシートで覆われた。
「何週間か前に、あの辺りから双眼鏡でこっちを見とるやつらがおった。機械の大きさが分かると、ラインのだいたいの性能が分かるもんなんですわ」。
亀山工場の人々が警戒していたのは海外メーカーの偵察部隊だった。
半導体のDRAMでは製造装置メーカーを経由して生産ノウハウが台湾や韓国に流れ、価格競争に持ち込まれた、というのが業界の通説。
「同じ轍(てつ)を踏むまい」。パネル投資では技術流出に神経をとがらせた。
背後に迫る韓国勢や台湾勢を追い落とすべく、シャープはその後も攻めまくる。
2007年には大阪府堺市に世界最大級の液晶工場の建設を決定。投資額はパネル工場だけで3800億円、部材メーカーの投資やインフラ整備費を合わせれば1兆円にのぼる。
巨大な液晶コンビナートは「シャープグリーンフロント 堺」と名付けられた。
パナソニックも負けじと尼崎市のプラズマパネル工場と姫路市の液晶工場に2010年度末までに総額4000億円を投じた。
このころの日本の電機業界には「パネル至上主義」とも言える高揚感が漂っていた。
ある企業はそれを「製造業の国内回帰」と呼び、別の企業は「ブラックボックス戦略」と呼んだ。
自動車も電機も海外生産が主流になり、日本で作って輸出する「モノ」がどんどん減っていく。
そんな中、世界市場で競争力を持つパネル産業の勃興は「国産品で世界と戦う」という往年の必勝パターンの復活を思わせたのだ。
だが、日本の電機各社がパネル至上主義にのめり込んでいったそのころ、米国はまるで違う方向に動き出していた。
シャープが堺工場の建設を決めた2007年は、
米インターネット検索大手のグーグルがスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)向け基本ソフト「アンドロイド」を公開した年である。
すでに米アップルのスマホ「iPhone」は大人気を博していたが、アンドロイドというライバルの出現でスマホ市場は爆発的な拡大を始めた。
それより少し前の2006年秋にはSNS(交流サイト)の米フェイスブックが一般向けサービスを開始している。
人々の余暇の過ごし方は「居間でテレビを見る」から「スマホで仲間と交流する」に変わった。
この変化がテレビから「茶の間の王様」の地位を奪った。
王様の地位を追われたテレビは年率3割の価格下落が続き、今や40インチの液晶テレビが3万円台で売られている。
「1インチ1万円が勝負どころ」と言われていたパネル事業は「1インチ1000円割れ」の惨状だ。
日本のテレビメーカーは韓国メーカーに敗れたとされるが、日本の家電量販店に韓国メーカーの製品はほとんど並んでいない。
海外では韓国勢が世界市場を制覇したが、先頭に立つサムスン電子ですらパネル事業では利益が出なくなってきた。
日本はパネル戦争で韓国に敗れたというのは近視眼的な見方であり、大局では米国発のネット革命に足元をすくわれたのではないだろうか……。
スマホの付属品であるイヤホンで3万円の高級品が売れている。
情報を取り込むメーンゲートはテレビからスマホに移り、消費者はメーンゲートであるスマホには出費を惜しまない。
一方でサブゲートに転落したテレビは「とりあえず映ればいい」と考えている。テレビの急激な値崩れはその証左ではないか。
戸部良一、野中郁次郎ら複数の政治、経営学者の共著による「失敗の本質」(1984年)という本がある。副題は「日本軍の組織論的研究」。
第2次世界大戦における日本軍の組織や意思決定プロセスを細かく分析している。
この本が日本の敗因の1つと指摘するのが海軍の「艦隊決戦主義」だ。
巨砲を積んだ戦艦を中心とする艦隊が正面から向き合って雌雄を決する戦い方である。
日本の海軍はそれを目指して装備を調え、戦略を練った。
日露戦争における日本海海戦での成功体験がこの考え方につながったと著者たちは指摘している。
敗色濃厚な中で、起死回生を目指して建造されたのが46センチの主砲を持つ戦艦「大和」と「武蔵」である。
しかし艦隊決戦思想の結晶といえる大和と武蔵は、自慢の巨砲の威力を発揮することなく撃沈された。
米国は小回りのきかない巨大戦艦を見限り、より機動的な戦闘機と航空母艦を戦略の中心に据えていた。
巨艦を作ることより、レーダーの性能を高め、暗号を解読することに力を注いだ。
日本が望んだ「艦隊決戦」の機会はついに訪れなかった。
「ニッポン製造業の復活」をかけて作られたシャープの堺工場とパナソニックの尼崎工場では、
新鋭ラインを存分に操業させる前に、拠点集約や生産品目の変更が始まった。
厳しく見れば「巨大工場決戦主義」そのものがアナクロニズムだったのかもしれない。
アップル、グーグル、フェイスブックが仕掛けてきた「新しい戦い」に応戦できる企業は、まだこの国に生まれていない。
今になってみればエコポイントも3Dも徒花だったか・・・・。
完全にコモディティー化してしまったTV事業。あまり革新する要素もなさそうだが・・・。