幕末の志士武市半平太(瑞山)の獄中詩が書かれた掛け軸が
高知市の民家で見つかり、14日、高知市立竜馬の生まれた
まち記念館が発表した。「(現体制への)恨み限りなし」と
元土佐藩主山内容堂への不満を表現している。
獄中詩は七言絶句の漢詩。京都で友人らと会って政敵を倒した
夢を見るが、目が覚めて牢に居ることに気づいて限りない恨みを
抱いた、という内容。武市の漢詩を集めた「泣血(きゅうけつ)録」
にも収録されている。
詩が書かれた紙は縦120センチ、横28センチ。付属文書によると、
武市を敬愛する牢番が書いてもらったものを、近くに住む豪商が
入手したとされる。
鑑定した高知県佐川町立青山文庫の松岡司名誉館長は「武市の漢詩
のみが書かれた紙としては唯一の史料だろう。容堂への恨みが素直に出ており、
本心がよく表れている」と評価する。
武市は坂本竜馬も参加した土佐勤王党の盟主。土佐藩政に大きな
影響力を持ったが、山内容堂の怒りを買って1863年投獄され、
2年後に切腹を命じられた。
ソース:http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/07/14/kiji/K20110714001208700.html
こんな資料が今頃出てくるとは・・・。
大河で龍馬を放映してた頃に出てくれば、もっと話題だったろうに・・・。
高知市の民家で見つかり、14日、高知市立竜馬の生まれた
まち記念館が発表した。「(現体制への)恨み限りなし」と
元土佐藩主山内容堂への不満を表現している。
獄中詩は七言絶句の漢詩。京都で友人らと会って政敵を倒した
夢を見るが、目が覚めて牢に居ることに気づいて限りない恨みを
抱いた、という内容。武市の漢詩を集めた「泣血(きゅうけつ)録」
にも収録されている。
詩が書かれた紙は縦120センチ、横28センチ。付属文書によると、
武市を敬愛する牢番が書いてもらったものを、近くに住む豪商が
入手したとされる。
鑑定した高知県佐川町立青山文庫の松岡司名誉館長は「武市の漢詩
のみが書かれた紙としては唯一の史料だろう。容堂への恨みが素直に出ており、
本心がよく表れている」と評価する。
武市は坂本竜馬も参加した土佐勤王党の盟主。土佐藩政に大きな
影響力を持ったが、山内容堂の怒りを買って1863年投獄され、
2年後に切腹を命じられた。
ソース:http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/07/14/kiji/K20110714001208700.html
こんな資料が今頃出てくるとは・・・。
大河で龍馬を放映してた頃に出てくれば、もっと話題だったろうに・・・。