西丸震哉というヒトが書いた「野外ハンドブック」(光文社刊)は、少年期の私の愛読書でありました。
この本は小説ではなくタイトル通りとても実用的な本で、たしか1頁に一つ、野外活動の様々なノウハウが書かれていたと記憶しています。どのページも独立した項目となっており、あまり脈絡がないのでどこを開いても楽しく読める本でした。
すでに手元にないのでうろ覚えですが、その項目は、水筒の水をいかに冷たくするか、とか、いかだを作る方法、とか、疲れずに早く歩く方法、デブと戦う方法、ノッポと戦う方法、など、少年にとってわかりやすく魅力ある項目ばかりでした。
しかし、その内容はというと、今考えればかなりいい加減なものが多く、例えば疲れずに早く歩く方法は「身体を極端に前傾させて、倒れる直前に足を前に出すことを繰り返せば、重力を有効利用して早く歩ける」というものでした。実際に試してみるとわかるのですが、これは「転びそうになった時に大きく足を踏み出してバランスをとる」という行為を繰り返すことなので疲れないわけないのです。大股を繰り出すスピードと前方移動する速度が釣り合わず、数回繰り返しただけで足がついていかなくなって、本当に転んでしまう。実際に試して何回か転び、その後はあきらめて普通に歩くことを選択した中1の夏でした。
デブと戦う方法は「デブはたいてい足が遅いから、身軽に逃げ回ってバテさせてからケンカに持ち込もう」という京の五条の牛若作戦でしたし、ノッポに対しては「ノッポは重心が高いから足にタックルして倒す」というカンタン戦法でした(「ケンカした後は仲直りしておくと、高いところにあるものを取ってもらうのに役立つ」なんていう親切なフォローも書かれてありましたっけ)。
山で熊にバッタリ出会ってしまった時の対処法と言うページもありました。本来、警戒し合う相手なので、近距離の遭遇では熊の方が避けてくれるのだそうですが、お互い気が付かないまま近づきすぎてしまい、出会った途端に攻撃態勢に入ってしまったら、どうするか?
熊という動物は前足が短くて自分の胸元を触ることができないのだそうです。だからすきを窺って懐に入ってしがみついてしまえば熊の攻撃を受けない。そこですかさず胸にナイフを突き立ててしまえばこちらの勝ち、なんだそうです。
ヒトの何倍も敏捷であるはずの野生動物の懐に入るなんて、うまくいく可能性は0.1%以下ではないかと思われますが、それを読んだ後は「これでいつクマと対峙しても大丈夫」と思い込んでしまう幼い私でありました。
ちなみにその項は「ナイフを持っていなかったらどうするかって? それじゃどうしようもないよキミ。仕方がないからクマにしがみついてダンスでも踊っていたまえ、そのうち友情でも芽生えるかもしれない」と締めくくられており、当然、私はいつどこでクマに出会っても大丈夫なように小さなフォールディングナイフを常にポケットに忍ばせるようになったのでした。
いい加減な内容ではありましたが、著者がどんな少年期を送ってきたかが具体的に想像できるストーリー性に富んだ本であり、ページをめくるたびに私の野外活動への夢はどんどん膨らんでゆきました。当時の私にとって「バイブル」であったと言えるでしょう。
成人後に訪れたケニヤ最北部のトゥルカナ湖のロッジで、魚料理しか出てこないダイニングホールの壁に黒々と漢字で書かれた氏のサインを見たとき、師匠の背中が見えたような感慨を覚えたものです。
少年期に大きく影響を受けたヒトですが、気が付いたらすでに故人となっておりました。
お誘い、ありがとう。じゃ、近いうちに行きましょう♪