イネの種子にはアブシジン酸という植物成長ホルモンが含まれております。
これは発芽を抑制する物質で、つまりこのアブシジン酸が種子の中にあると発芽しないんです。じゃ、発芽させるにはどうするか、というと種子を水に浸けるんです。アブシジン酸は水に溶けやすい物質なので、乾いた種子が水分を吸収するにしたがって徐々に排出され、その結果、種子の発芽スイッチが入る、と。
というわけで、水が無い状態ではアブシジン酸が溶け出すことなく、発芽スイッチが入らず種子は発芽しません。周囲に水が無い状態で発芽してしまったらすぐに枯死してしまうことは明らかで、非常に単純なメカニズムではありますが、うまく機能しているようです。
品種によっては種子のアブシジン酸含有量が少なくて、降った雨を頼りに収穫前に発芽しちゃう気の早いオッチョコチョイもいますけど。
日本では5月の連休に田植えをすることが一般的なので、4月の中旬が種まきシーズンになります。播種前に水温15℃くらいの水に種子を漬け込み、数日かけてアブシジン酸を洗い流します。発芽しやすくしてやるんです。
この時、種子が非常に強い匂いを発します。水に溶け出たアブシジン酸の匂い。植物が成長の準備をする時に発する独特な匂いです。どんな匂いか、うまく形容できません。他に似た匂いを知らないんです。植物ホルモンですから有機物質であるはずですが、少々化学的な雰囲気もある。
特に良い匂いではないのですが、日本にいる間は毎年4月になると出会う匂いなので、私にとっては最も春を感じさせる匂いとなりました。
私はまだモザンビークにおります。
こちらのイネの種子の品質を調べるため、発芽試験を繰り返しています。
毎日シャーレを開ける度に私の鼻先にアブシジン酸の香りが小さく立ち上り、祖国の春を思い出しております。