新潟の実家は、江戸時代から続く代々の稲作農家である。
田んぼが15反位で、後は錦鯉養殖の池が数ヶ所あり副業にしていた。
私が3才の時までは、養豚もやっていて数頭飼っていた。
国の減反政策もあるなか、鯉に見切りを付けて、むしろ田んぼを増やす事に。
鯉の養殖は博打みたいなもの、売れる鯉が出れば数千万もいく。
普通の鯉では知れている、選別が繰り返されて、ほとんどが淘汰される。
真鯉を家庭の食用として飼っていたが、これは美味しかった。
祖父の、おはこ料理の鯉こくは絶品だった。良き思い出である。
米作と言えども、コシヒカリは売り物、家庭では食べなかった。
その系統の米が主食で、古米や古々米を混ぜたりするので、実は美味しくはない。
コシヒカリは品種改良の賜物、成功したから良かった。新潟を救った。
それ以前は、今とは真逆で新潟の米は大変だった。沼田で倒れた。
越後平野の下流域は信濃川の氾濫が繰り返しあり、泥に浸かって駄目になることも。
泥田では過酷だった。腰どころか、胸まで使って農作業をしていた。
これではいけないとの県民の声で、農業試験場で改良に改良を重ねた結果だった。
実家では、家庭用に野菜も作っていた。ジョロでの水撒きをやってた。
当時は肥料に、アレを撒いていたので、今から思うと、いやはや何とも。
その効果ではないと思うが、良い野菜が出来ていた。もろに有機栽培か。
白菜、キャベツ、トマト、枝豆、玉ネギ、スイカ、トウモロコシなどを作っていた。
私は上京してからというもの、実家の野菜を改めて美味しかったと思う。
40年前に食べたトマト、枝豆、スイカをこえるを知らずである。
私は農家の長男であり、跡を継ぐつもりで途中まで育った。父の再婚で変わった。
様々な事があり、実家を出て今がある。本来であれば、ここにはいなかった。
まあ、それも良し悪し。歳を重ねて来ると、ふるさとが恋しくなる。