あめのゆふぐれ

2010年05月23日 | 日記
木曜、二限文学史は教授の専門分野らしく、熱く語っていた。
三限演習は今回が初めての発表であった。まぁ、初めてにしては資料がよく揃っていたが、おそらくT教授の差し金であろう。考察がロクなものではなかった。自分で集めたならきれいにまとめてしかるべきである。
四~五限は空いているので部室で時間を潰す。今日は反社会的集団のゼミらしく、一年生が多く何くれと話をした。
その後ひとりでMへ行き、六限へ。今回は割と平和に終わり、さっさと帰る。

金曜は、二限に出た後、サークルの会議へ。議題は夏合宿の行き先についてで、どちらも捨てがたいようなところで、結局、決まった(押しきった?)。その後、T氏とカレー店へ。初めて入ったが、おいしかった。本場インドな感じの雰囲気の店に、そんな感じのカレーでとてもよかった。
最近、四限の演習は実につまらない。発表者の目の付けどころが悪すぎるし、先生の授業の仕方もなんだか上手くないし。潰す気にもならない。
五限六限はいつも通りといえばいつもどおりに片付けて帰宅。二日で三度目のカレーを食す。カレーは人生の友だ。

やっと、実に二カ月ぶりの二連休を楽しむ筈の土曜は部屋の掃除をし、発表資料を書き書きしているうちに終わる。

結局休みは、少ない。はぁ。

むもれぎ

2010年05月19日 | 日記
月曜、先週〆切のネット提出の小レポートを出し忘れたことに気づき焦る。一限の後2~3は図書館講座。もう五人目いい加減辞めたい。しかし、一年生は六人。まぁ、一人くらいいいかなぁ。
帰り際、図書館前でN氏に出会う。合宿時の会計等々について、申し合わせると、なんとN氏、忘れて、いや、記憶が飛んでおって覚えておらなんだ。結局、N氏が持つことになった。
火曜は一限が休校になって、二限から。教場小レポートがあったが、適度に片つけ、学食でお昼。三限は休息して、ドッハー英語へ。もういやだ。しかし、単位はほしい。悩む。
五限は適当に流し、六限へ。こちらの独語は英語より随分楽だ。いい子いるしね。
もう疲れたのでさっさと帰宅。ネット提出の小レポートは水曜の授業だから、「ネットの調子が悪くて…」とか何とか適当ないいわけをして提出しようと、レポートを書く。あれこれ書いてみると、結構時間がかかってしまった。
今日は三限だけだから、必殺を見てから登校。今は「必殺商売人」だ。もっと見たいな。
三限は前述のいいわけが通り、〆切を猶予してもらえた。

新歓合宿

2010年05月16日 | 旅行
土曜、東京フォーラムでなごみーずのライブへ。実にすばらしい!150回記念のものだから、記念演出があった。感慨深いものがある。やっぱり、その場に居合わせて、聴くのはたまらなくいい。

その後、合宿へ。ダッシュで有楽町へ出て、神田に。そこから、中央線で高尾に、そこで小渕沢行に乗り換えて、大月まで。さらに富士急行で河口湖まで行った。実に三時間。鈍行はつらい。河口湖駅から宿までは歩き。地図があっても判る場所ではないと副幹事長殿は言っておったが、地図なしで宿まで行った。コンパの真っ最中である。このために電車の中で予習として、酒を呑んできた。糞ババァが騒いでいて、何とも面白うない。というか、着いた途端にK女史から合宿費を巻き上げられる。朝でもよかろうに・・・。
N氏らと呑みつつ夜は更けゆく。途中、近くのコンビニまで買い出しに行った。
空の白み始める時分に神社へ行き、その様を眺めていると鶯の鳴き声が聞こえる。なんと趣深い。
そして、片つけをして就寝。私はなぜか宴会場の端に重ねてあった座布団の上で寝た。翌朝、朝食を食べるときに、K女史に引きづりおろされて、床で寝る羽目に。10時くらいに起きると幹事長閣下が「既視感のある光景だった」と言っていた。確かに去年もこんな感じだった。その後はうだうだ二時くらいまでダラダラして、昼食にバーミヤンへ行く。わざわざここまで来てのバーミヤン・・・。T氏とM氏と一女とで四人だった。私はバーミヤンの本格四川麻婆豆腐が好きなのだ。という理由で、ここへ来た。バスの時間まで粘って、集合場所へ。
河口湖駅前で記念撮影があり、バスへ乗り込む。他の客がいなかったため、貸切状態であった。しかし、渋滞で一時間以上かかり新宿へ。結局三時間かかった。高速バスなのに、鈍行電車とほぼ同じって・・・。まぁほとんど寝いていたから余り影響はなかったが。
いやぁ、二日間で実によく座った気がする。なんか尾骶骨が痛い。

鈴木日出男先生は偉大だった!

2010年05月14日 | 日記
二限文学史は適当に流して、お昼は後輩SさんとMへ。Mは新歓期新入生を連れて行ってはならないといわれていたが、もういいだろうと思って、連れて行った。ついでに、私が三月に発表した時の資料をお渡しする。どういう感想がくることやら。
そして、地下鉄で九段下へ。九段下大学で鈴木日出男先生の演習に行く。これは高校の時のH先生の斡旋である。い、偉大だ。最早醸し出すオーラが私のような凡人とは違う。そして、授業終了後のみにまでお供した。なんという幸せであろう!?
先生は「バカ田の教授は世代が変わってもう殆ど判らないよ」と仰せだった。確かに、バカ田はここ十年で教授の世代交代が行われた。
ここでは、ビールと紹興酒を頂いた。
まっっっことに、偉大な方であった。

時間が予想より早く跳ねたので、この状態で、六限裏稼業へ。少々遅刻だったが、そのまま参加。遅刻理由に「鈴木日出男先生に逢っていた」と言ったら驚いていた。こちらはかなり長引いて、九時ごろまでやっていた。今回は街へは繰り出さず解散。
駅までの道のりは、「鈴木先生どんな人だった?」や「演習の感じはどうだった?」といった話題であった。

今日も二限から。始まる前にK女史に声をかけられる。どうも私はクラスで変な風に思われているようだ。昼は明日明後日の合宿の最終の打ち合わせ及び早K戦の打ち合わせをする。合宿では概ね問題なく話が進んだが、後者はいろいろ問題があった。チケットが殆ど取れていないらしく、まずそれが問題となり、次に早K戦後の呑みの予約をしていないことが問題に。これについては私が今週の頭にもう手遅れに近いと副幹事長殿に進言したのにもかかわらず、予約を取る渉外は今日の時点で「これから出欠を取って、来週予約で~」なんてふざけたことをいっていた。なんなんだこの危機感のなさは。こういう大学全体で同じ日にドンチャンする日はひと月前から根回しを始めねばいかんだろう。まったく、この体たらくでは先が思い遣られる。大体、今回のような遅すぎることはこれまでにも何度かあり、私が指摘してきたが、いい加減自覚してほしい。副幹事長殿も渉外も教職を取っていないから、集団を動かすということをわかっていないのではないか?まったく。
これが終わってから、N氏とラーメンを食べに行き、上記の愚痴を聴かせる。いやぁ、申し訳ない。N氏は四限も一緒なので、そのまま教室へ。
四限の発表者はよく調べてはいたが、引用の仕方がなっていないし、自分の意見と引用先の書き手の意見とがゴチャゴチャしていて、どうもすっきりしなかった。本人は古典に興味があるらしいが、はっきりいって筋なしだな。思考回路がおかしい。いや、古典学者のほうがおかしいから、普通であり過ぎるというべきか。
五限書道は先生がなかなか現れず、墨を磨りすぎてしまった。ふぅむ、片つけがめんどくさい。今週は六限に出る。今回は教材としての「羅生門」だった。
これでようやく一週間が終わった。だが、明日から合宿か。来週の土日は久々に連休の筈だから本当にゆっくりできるはずだ。頑張ろう。

「解散無用」

2010年05月12日 | 日記
新仕置人』最終回を観る。
いはでぞおもふいふにまされる
これに尽きると思います。

今日は、二限に後輩のための図書館講座をするのだったが、『新仕置人』のためだけに時間を遅らせてもらった。にもかかわらず、来ると言っていたN氏は寝坊で来られなんだ。たるんどるのではないか?それはそれとして、今日の受講者はI君。今月末に我がC部会でのゼミを控えている。今日の講義がその役に立つことを祈っている。
三限はW先生の授業。今日からゼミ形式になったものだが、今日の発表者の方は四年の方らしいが、和歌というか古典を判ってない人だった。それでも国文科の学生かいな。しかし、それでも最低限のことはしていたから、流石に発表慣れしているということだろう。

講師のほうはまた問題が起きているようだった。要は我儘な生徒の対応なのだが、あれでも接客業だから、無下にもできず、どうしたものかといった感じだった。