五月も去った。

2010年05月31日 | 日記
今日が五月尽、はやいものよ。
体調が全く良くならない。悪化している気しかしない。最早、不治の病か!?というくらいに。咳が止まぬし、今日は鼻水も出る。ここ一月くらいそうだ。今日も病院へ行こう。きっと、「またか」と思われるに違いない。
我がバカ田大学でも、この手の風邪にてこずっておられる方も多いように聞き及んでいるし、K女史とかUさんとか、思い起こすと結構多い。これが最近のはやり病なのかもしれぬ。

いい加減そろそろ治したいものだが、六月も七月も、フル稼働が確定的なので、治る見込みがない。なんてこった。

こう体調が悪くては、何にもする気にならぬ。

心に心かなうまじ

2010年05月29日 | 日記
思うことと、していることがかみ合わない。体がついて来ないともいうべきか。
ともあれ、いい現象ではない。
要は働き過ぎなのかもしれないが、休むわけにもいかず(あれこれ単位は取らねばならない)、かといってそれらの雑務を軽快にかわせるほど器用でもなく、毎週末力尽きる日常が続いており、なんだかんだで、前期も半分来たわけだが、どうしたもんだか。

もはや、英語の単位が苦痛でしかない。あの授業はやっても全く為にならないばかりか、このような不利益のみを生み出し続けているのである。まったく、大学側もいつまであんな化石みたいな、役に立たない爺を雇っておるのか。

しかも、授業時間が偏っていて、時間割がうまく組めない。教育方法研究なんぞは酷過ぎる。これも、改善を要求したい。

とかくこの世はこんなもんだろうよ。真面目で、器用でないものが損をして、不真面目で、適当に手を抜ける奴だけが得をする。世の中損得勘定だけとも言い切れぬがね。結局そんなものだろう。

物思ふとすぐる月日も

2010年05月28日 | 日記
気が付いたら、今週ももう終わりではないか。
今週もいつもと同じように、つまらぬ一週間を送ったということなのか、ここに書く気力もないほど精神が疲弊していたのか、私には判らない。何か気力というものが足りない気もする。

今週は、我がバカ田大学にて古本市が行われた。戦利品は、旧全集の『大鏡』・三田村雅子『記憶の中の源氏物語』・片桐洋一『歌枕歌ことば辞典』・国文学解釈と鑑賞の四冊で、全部で二六〇〇円。まあまあの成果かな。大学近辺の古本屋は旧全集・旧大系はかなり物価が安く、きれいなものが多いので大いに活用している。アマゾンもいいけれど、実物が見られないのと送料の分で、やはりここで買った方がいい気がする。

今日は副幹事長殿とT氏・I君とMへ。今日は最終週なので、T氏と激辛に挑戦。・・・敗北。I君はMが初めてで、普通の(?)辛さのものを食べていた。来週は副幹事長殿とギヤに行くことになる。うぅ~ん。

今週末はSK戦というバカげた(?)行事があり、その後の呑みに参戦することに。参った参った。

今週も鈴木日出男先生にお会いする。六月X日に呑みに行くから来なさいと言われる。しかし、その日は米国から帰還なさるK教授の慰労会が重なっていた。まぁ、時間差で梯子が理想だろう。


何だろう、疲れているはずなのに疲れていないような、平気なはずなのにそうでない気もする。よくわからない。まるで、無明長夜を彷徨い続けているような気がし、行きつく先が判らない。ドハマリ英語のせいな気がする。

古代和歌の世界

2010年05月23日 | 音楽と読書の日記
今回は偉大なる鈴木日出男先生の『古代和歌の世界』を紹介する。

本作は先生の和歌史論を一般向けに噛み砕いて著されたもので、先生の著書『古代和歌史論』の抄出版ともいうべき内容である。しかし、内容は濃く、国文学を、殊に平安文学や和歌文学を志す者にとって必読の一著であると思われる。

要旨は、和歌がいかにして詠みなされ、発展したかである。ここに集団意識を見とり、協調と個性のあいだに和歌の面白さを見出すところに先生の眼力の素晴らしさがある。また、和歌を扱っていて、古典を苦手な人にとっては敬遠されそうであるが、和歌には丁寧な解釈が付してあり、初心者にも優しい構成となっていることも、この本を薦める理由である。つまりは、初心者から研究者を目指す学生にも、読まれるべき名著なのである。

しかし、残念なことに本書は現在絶版となっていて、図書館で見つけるか、古本で購入するかしなければならないのである。ここに書評を載せたのは、一つにはこのような名著を埋もれさせてはならないと思うからであり、もう一つには再販を強く望むからである。

ちくま新書さま、どうか再販を!!!!!

休日は

2010年05月23日 | 日記
久方ぶりの連休に、精神の安寧を得た気がする。
これまで、休みがなかったり、後輩たちに気を使って気張っていたり、ドハマリ英語のせいでどうにも疲れていたらしく、一時期本当に鬱っぽくなっていたが・・・。

つまりは、人というのは安寧を得るときがとても重要であるということだ。思うに、大学では、殊に所謂難関大学では、アスペルガー症候群の疑いの強い人が多いのだから、教養科目なんぞは極力負担にならないようにするのがよいと思われるのだが・・・。バカ田は英語があのくそ爺を雇ったりとまことにひどい。逆に専門科目は、もっとしっかりするべきだ。やる気のない学生に合わせているから、本当に才のある学生を腐らせてしまっているきらいがある。