研究発表

2011年11月30日 | 日記
さて、今日は到頭発表当日である。

今朝は、昨日の勤務の所為か、朝から腰が痛く、前屈みになれなくなった。全く、年は取りたくないもんだ。作業台はどうしてあんなにも低いのか。

早めに家を出て、Mで早めの昼食を摂り、会場へ向かう途中で、大荷物のF先生に会い、お荷物をお持ちする。荷物というのは、その発表の場で供される茶や菓子の類。せかせか用意をして、定刻には始まる。

うちの学部からOさんがいらしていた。確か、K教授の斜向いに座られていたような。

途中、少々下らぬ質問などをしつつ、自分の番に。時間に合わせてであろうが、Kさんもおいで下さった。勿論(?)K教授も居られる。「F教授は今日は来ないのかね」と訊かれた。先日、チラシを渡したら、エクステンションセンターで講義があるからねぇ、学生相手ではないから休講にもできないしねぇ、と言われてしまった。

さてはて、下らぬ発表でお耳を穢してしもうたかも知れぬ。有り難くも、四名の方からご質問を賜った。司会は、Yさんが引き受けてくださった。有難う御座います。
もっと精進せねばなぁ。
う~~~む、実に判らない作品である。

トリは、千鳥さん。判るような判らぬような発表であったが、ここでも下らぬ意見を申し上げた。比較対象の歌集自体が難解だったし、その比較に余り意味を見いだせないような気がしないでもなかった。人ごとだから言いたい放題である。

終了後、かたつけのあと、千鳥さんが何故かいそいそ帰ってしまったので、打ち上げに行く顔ぶれが少なくなってしまったので、日を改めてと言うことになる。

帰りは、殆ど同じ行程で帰る、司会をしてくださったYさんと帰る。
今日の発表は、付いている先生と発表内容が、実につきづきしかったですねぇ、などとはなしながら帰る。そう、それぞれにそれっぽいカラーをしておりました。
資料は、四十部くらい捌けたから、わりと盛況であったように思う。


家に帰って、やはりこのままでは済むまい、と思い夕食を食べつつ酒を吞む。二合くらい嘗める程度に。

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うたた寝の夢

2011年11月30日 | 日記
さてはて、今日は二限から。
二限は例の通り。
お昼に、K氏に渡すものを渡し、中央図書館の食堂へ。
ビーフカレーなるものを頼む。因みに、これを学食で頼むと、肉があるのかよく判らない、プレーンカレーみたいなのが出てきますが、ここではなんとビックリ、ちゃんとビーフと認識できる程度のものが出てきます!然もドリンク飲み放題!穴場だな。

三四限は、若干連日の無理が祟ってか、力尽きてしまった時間がある。
そうそう、うたたねの夢の中で、思いっきり野球のバットを振り抜いて、若干やばいと思ったら、現実世界でも動いてしまっていて、ガコッとやってしまった。不覚。

今日はそのまま勤務なので、マックで間食を食べる。今日が期限のハンバーガー無料券と水という無銭飲食をしようかとも思ったが、ついつい百円マックの品を求めてしまった。

勤務は、子の刻の初め頃までで、帰宅すると日が変っていた。

明日は某大きな発表があるのだが、今日(?)中にすべきことがあるので、取り組む。明日の朝も栄養ドリンクかしら。

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ギリギリセーフのOKテイク(?)

2011年11月28日 | 日記
今日は二限からであったが、昨日深夜まで読み原稿を作っていたためか、うっかり(?)三〇分ほど寝過ごしちまったぜ。
慌てて出校する。駅でメイルが来ているのに気付く。目白女子大のT教授からである。今日の授業は休講とのことである。体調を崩されたのだとか。心配である。

丁度、Y駅からの電車が遅れていて、飛び乗ったの。それで、二限は何とか間に合う。

お昼は、明後日の発表の配付資料の提出で呼び出されていたので、Nコースの専修室に行く。
エレベイターのところで、K教授にばったりと。ご挨拶申し上げる。なんと、一番の僻地からの参上であるのに、一番乗りである。
続々集まってくる。Yさんは御菓子の差し入れをお持ちであった。ありがたや。
二〇分程度で、当日の動きの確認やら、何やらをして解散する。
今日はこれで帰宅できるのであるが、部室によって、あれこれをもらう。ついでに、そこにいた後輩などと雑談をして、道すがらのエチオピアでカレーを食べて帰宅した。

一度帰宅して、仕事に行って、帰宅してから、読み原稿に移り、何とか完成させ、当日司会を担当して下さるYさんに送附した。これで、一応の準備はできた、と思いたい。細々とした辞句訂正は明日行おう。
千鳥さんは、J教授に添削をしてもらったらしい。・・・噂によると、その所為で(?)土日のつぶやきは相当荒れていたらしい。

来年の指標石のあれこれを書く。これはK教授がドハマリナンバーワンの称号をお持ちの雑誌である。
引歌(?)ばっかりである。
平均的な僕たちは子どもの頃に憧れたヒーローになれないままバイトに追われているんだ」とか
金金金の世の中で泣くのは弱いものばかり」とかね。

なごみーずはこういう人たちです
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なんたることじゃ

2011年11月27日 | 日記
昨日一日は、部屋に籠もって、ない頭を捻って、何とか来週の配付資料を完成させた。
だが、読み原稿は手つかずである。本当は、リンクさせながら作らないと、順番がメチャクチャになってしまうので、こういう作り方は余りよくないと内心では思うのであるが、致し方ない。

今朝はその所為か、ストレス性の神経過敏で、衣擦れでも痛む箇所がある。参った参った。

今日は、夕刻から勤務である。はぁ。どうしてこうなのであろうか。


そういえば先日、女系天皇の審議があったと云々。如何であろうか。そもそも、伊勢の斎宮が、女性天皇みたいなものであろう、と無学な私などは思う(とうの昔にこの制度は崩壊しているが)のだが、そうするとやはり天皇は一代限りの男系女子は認めるにしても、原則的には男系男子であるべきではなかろうか、などと浅はかながら思うのである。
女系宮家を作るくらいなら、旧宮家を復活させれば良いだけのはなしだろう。宇多帝なども、一時は臣籍降下していたわけだし、旧宮家の復活は、別段悪いことではないように思うが。いや、大体宮家をつぶしたのは、戦後政策のためだったわけだから、本来は必要なものではないか、なんて思うわけであるよ。


由紀さおりが約四〇年ぶりにアルバムチャートトップテンに入ったとか。私的には「晩歌」なんかが好みかな。
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ふぅ

2011年11月25日 | 日記
今日も二限から。
昨日なくした学生証が、ホントにないかどうか探し回ったら、一昨日はいていたズボンのポケットに入れっぱなしにしてあった。洗濯してしまって、裏面が殆ど解読不能に・・・。まぁ、大丈夫だろう。
この二限の授業は、実にいい加減である。「可御心安候」を「おんこころやすかるべくそうろう」と読んだら、違うと云われた。「心安」は、形容詞だと思うのだがね。また、教科書の誤読を見つけて然々、と訊いてみたら、僕には判らぬ、という始末。どうしたもんだか。

お昼はMで。段々込んできて、店員さんが困っていたので、移りましょうか、と合図する。そんなことで、途中で席を移動した。
三限は、先週のN氏の分を移したのと、桜散る氏の担当部の寄合書を読む予定であったが、N氏はすっぽかした上、寄合書の担当部もできて居らぬと云う為体。厳しめに言っておいた。この会、図書館でやっているのだが、裏白学生証でも入ることができたぞぃ。

四限の英語は、適当に済ませ、S先生の授業を受けているI女史に所用があって教室に行くと居なかったので、先生と世間話(?)をした。
五限の時間は、来週の調べ。当初予定していた内容は、段々厳しくなってきて、時間的にも間に合わなそうなので、同じ題目で通用する範囲内で微調整することになりそうだ(発表要旨を出さなくても良いのでこういうこともなんとかできるのである)。
六限は、I氏の発表を聞く。先々週のS氏と同じように、参考文献に振り回されており、どうでもよいようなものであった。というか、そもそも、参考文献自体が、江戸の国学の思いつきみたいな解釈に振り回されているどうでもよいものであったが。

その後、S氏と今週復帰した桜散る氏を引き連れてマックへ行って、なぜか私の政治論を演説してしまった。迷惑な先輩で済まぬ。

帰宅後、名将西本幸雄が逝ったと聞く。
西本氏は、昭和五四年の日本シリーズ、所謂「江夏の21球」の時の近鉄の監督。此の昭和五四年の日本シリーズ第七戦九回裏は、近鉄が、そして名将西本幸雄が最も日本一に近かったときである。私は、「江夏の21球」が日本球界の中でも、屈指の場面であると思うのである。
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