18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

ゲームの理解

2005-11-12 21:26:23 | ノンジャンル
仕事の関係で、地元を離れている事もあって、今日はヴィッセル神戸のアウェイの試合を観戦することができた。

普段はホームゲームしか観ないのだが、アウェイ独特の雰囲気の中、はるばる神戸からやって来たわずか100人にも満たないサポーターだが、スタンドのほとんどを埋め尽したフロンターレサポーターにも負けないくらいの力強い応援も虚しく、敗戦という結果に終わってしまった。

いわゆるJ2降格の瀬戸際の試合である。本当に負けてはいけない試合での敗戦。選手も監督も分かっている筈なのに、現実には勝利の歓喜を聞くことが無いのはなぜだろうか?

例えプロと言えども勝つことは難しい。といえば分かった風に聞こえるが、一方で連敗から一転、監督の交替から連勝し、早々と降格圏外へと離脱できたチームもあるのだから何か勝利の為の最低限のエッセンスが何処かにあるのではないかと期待したくなる。

そう言った期待は別として、何時も試合を観ていて思うのは、強いチームと弱いチームの差は、選手たちのサッカーというゲームに対する理解度の差ではないかと言う点である。

スペースを作り、相手よりも前に出て、ボールをゴールに撃ち込む。オフサイドと言うルールの存在も、そういう事がキープレイであることをを証明している。

いかに絶妙なタイミングで前に出るか、いかに相手のいないスペースに出るか、を攻める側は常に考えていて、スペースが出来るタイミングを試合中に見つけると、そこに対して皆がそれぞれの役割や位置などからコンビネーションでチャンスをうみだしてゆく。

強いチームは選手一人一人がそのことを分かっていて、お互いのポジションや役割、試合中に交された会話などからタイミングを合わせるのだ。

スペースの存在は中盤の選手の方がよく見える。走りこむ側の選手は基本的には自分の前に生まれたスペースしか見えない。スペースが出来そうなタイミングで、中盤の選手とアイコンタクトを交して、後は普段の自分のスピードで走りこむ。中盤の選手は走りこむ選手がオフサイドにならないタイミングでボールを送りだす。

トップチームは、この様な、流れるようなプレーをいとも簡単にやって、観るものを魅了してくれる。

ゲームの理解とはこの上に実戦で鍛え上げられた判断力が加わり更に磨きを掛けて行くものだ。

これはサッカーだけに通用する話ではなく、ビシネスを獲得する時にも通じる話なのだ。ビジネスというゲームを理解し攻め手を考え前進する。そこでは消極的な姿勢は許されない。ゲームの理解が出来ない人は脱落するか、おいてけぼりにされるのだ。
プロスポーツは厳しい世界だが、普段のビジネスの世界だって同じく厳しい。ゲームを理解出来ない人たちにとっては尚更である。


楽天市場

2005-11-12 12:10:38 | 社会・経済
 TBSと楽天との問題がなかなか膠着状態から抜け出せないで居る。ライブドアのニッポン放送フジテレビ問題にひきつづき、今回の騒動。なんでこういう事になるのか?

 ライブドアによる時間外のニッポン放送株取得。それでいきなりフジテレビと友好的な関係を結びたいという理屈は、以前このブログでも紹介したとおり、人の家に土足で上がりこんで仲良くしようというような物だと感じたが。今回のTBSと楽天の件も全く同様である。もしかしたら何らかの打診が楽天からあって、その上での株取得だったのかも知れないが、なんとなくそのようには想像できないで居る。

 「人の家に土足で・・・。」といったソフトバンクインベストメントの社長は、その一言から、「怪しげな存在」「恫喝じみた発言」から”その筋”の関連かと思われたらしく、それ以来マスコミの前での発言にはかなり気を遣っているとは本人の弁。あの件以来殆どテレビで姿を見ることが無くなってきた。

 今回の楽天の一件も、もし何の事前の会話も無く株取得が行われていたとしたら、ライブドアの場合と同じく、「人の家に土足」のパターンである。かれらには「人のふり見て我がふり直せ」という言葉は存在しないのだろうか?それとも楽天イーグルスの時のように、自分はライブドアとは扱われ方が違うとでも思ったのだろうか?

 このように繰り返される、いままでの常識(必ずしも良い事ばかりではないが)では考えられたい段取りで前進する姿を見ていると、彼ら、いわゆるITの寵児達がなぜほんの数年間にここまで成長したのか?を伺い知ることができる。

 つまり”理屈が正しければいいのだ”という物。義理人情はどっかに捨てて、成功することが正しいと。残念だがこの考えは、資本主義経済の中では正しい。

 とは言う物の、この経済を動かしているのは人間であることを忘れてはならない。人間はともかくメンタリティを重要視するものだ。ライブドアも、楽天も社内では”目的を共有し、共に目標に向かって進む”という心の一体感を大切にしている。つまりその部分は理解しているのだが、それが社外になるとなぜかそうはなっていない。

内柔外剛とでも言おうか、主導権を獲ることが勝利のセオリーというのは理解できるが、それがあまりにも唐突すぎるのである。

 ライブドアも、楽天も成功する為のプロセスの半分は実践して実現して半分は成功しているが、問題はこれからである。彼らが本当の難局にあった時、本当に強い企業は人間力で復活できるが、株主論理を振りかざす彼らの方法論ならば、事業を切り捨ててリセットしてやり直すということになりはしないか?そうなったときに本当に一緒についてくるのは誰なのか?

 社内外含めて、自らの態度が社会に対して影響を与えていることを自覚しておくことが重要なのではないかと思う。