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神戸いじめ自殺事件

2007-09-26 01:36:34 | 社会・経済
 いじめによって自殺に追い込まれた高校生、いじめた同級生が逮捕されて教育現場は大混乱の様相。

 当初、この高校から発表された「いじめの事実は無い」という内容に怒りを覚えたが、次第に事の重大さが分かってきたのか、学校長を始め非を認めて、いまは対応に追われている。

 ニュースでは学校名が出ては居ないが、今回の事件が起こったのは神戸市須磨区の滝川高校である。地元でももちろん県下でも知られた高校。既にこの学校のHPには学校長名による謝罪が発表されている。

 
 学校側としては、事実確認の際、生徒を一方的に追求するのも難しく、どうしても希望的観測で見たいだろうし、見てしまうのはしかたないと思うが、現実に起こったことを正面から受け止めれば、そんなことは言ってられない筈である。こういう時こそ先生は父兄と合意のもとに相当の覚悟をもってしっかり究明しなければならない。

 死をもってでしか訴えられなかった生徒の気持を、関係者は真っ正面から逃げずに受け止めるべきである。

 いじめた生徒にしては、事の重大性はまだ理解できていないかもしれないが、それでは駄目である。いじめた子どもの親たちは、すべてのことをなげうってでも自分の子どもに分からせなければならない。


 「自分はそんなつもりは無かった、自殺するほどの大したことをやってない」などと言おうものなら、繰り返し同じ事をやる可能性は500%以上あると考えなければならない。


 「やったことの大小ではないのだ。」ということを親は子どもに教えなければならない。以前にも書いたが、「10円のガムを万引きしただけ」という感覚では、駄目なのだ。どんな些細なことでも、犯罪は犯罪。やってはいけないことは絶対にやってはいけないと教えなければならない。





 理屈ではない、条理である。モーセの十戒の時代から語られ続けている条理である。


 
 何度でも繰り返し繰り返し教えなければならないものとして、親は子どもに教える責任がある。


 良い学校へ行かせて、良い大学、良い企業に入ることを教えるよりも、もっともっと大切な話である。




 繰り返されるいじめ。




 いじめた側の親、いじめられた側の親、そして学校内で生徒の様子を見ている教師それぞれがもっと子ども達の様子をしっかり見られないものか?


 

 親にそういう気持の余裕が無ければ、強制的にでもそういう時間を作るべきではないか?




 親と子の間の会話が出来ないのに、先生に生徒の変化を見て欲しいというのは親の怠慢である。  



 「いじめ」は親とのコミュニケーション不足が原因だといったら、それをどれほど素直に受け入れられる親がいるだろうか?




 いじめをなくすには、もしかしたら、そういう所からスタートしなければいけない気がする。