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弁護士とはそういう商売?

2007-09-04 23:39:17 | 風景
 光市の事件の被疑者に22人の弁護士がついたという話がいまホットな話題になっている。

 常々思うのが、弁護士って所詮法律の中のスーパーマン。弁護が仕事であるが、過剰な、弁護士本人の信念をパフォーマンスをするのと弁護を一緒にするようなことは絶対にあってはならない。

 なぜなら、弁護した後の被疑者が再び犯罪を犯しても、弁護士にはなんの責任も問われないのだから。


 事実に基づいて、憶測や想像の余地をいれず、法に則って弁護するのが仕事ではないか?

 光市の件は、あまりに「憶測や想像の余地」を入れすぎていて、かつ「死刑反対」を主張する弁護士らが集まった弁護団の編成と来ている。

 そういうことを、だれかの弁護を利用してはいけない。死刑反対だから、弁護するなんてことになってやしないか?あいまいな記憶を引きずり出し、犯した事実よりも、その裏付けの取れない、ものを元に被疑者を弁護する。


 弁護士達は勝っても負けても満足だろう、死刑に反対して必死に戦ったとか、人権が守られただとかと言うだろう。


 でも、ちょっと待てよ!



 殺された人はどうなる。抵抗できない幼い命が奪われた事実はどうなる。しかもゆがんだ欲望によって。

 反吐が出そうになるくらいの浅ましい行為は、どういう理由があっても弁護に値しない。弁護するに値するのは、その犯人の心情までであって、やった行為に弁護は必要ないのだ。

 罪を憎んで人を憎まずということばがあるが、ならば、やった事実はきちんと事実として認め、その心情は心情として訴えるまでは良いとしても、だからといって「死刑反対」だの、22人もの弁護士で弁護するなどは


 過剰もいいところ



 呆れてものが言えない。






 いいかげんにしなさい。司法試験に受かって弁護士になれる知性を持ち合わせながら、なぜ、被害者の心情を図ることが出来ない。なぜ加害者の罪を罪として認めない。


 法のテクニックを駆使する為の知識はあっても、被害者の心をおもんばかる感情は無いのか?



 オウム真理教という取るに足らない宗教集団に、心酔する高学歴者と、この弁護士達にどんな違いがある?


 バランス感覚の無い、“弁護士”ワールドしか見えない人たちが弁護士をやっているのだという恐ろしい事実がここにある。