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18年にもなりますか

感じた事、出来事、いろんなこと書き綴ってます。

お天道様の下を

2007-10-23 22:06:49 | 社会・経済
 人には到底言えない、ハズカシイことをすることを戒める意味で、「お天道様の下を歩けなくなるよ」ということばがあったように思う。



 原材料の偽装、賞味期限の改ざん



 つまり、大嘘をついて商売していたわけで



 特に赤福餅なんて「伊勢の名物」としてお伊勢参りのお土産として堂々と伊勢神宮のお膝元で商売していて、お天道様に感謝、という意識が強くありそうなはずなのに、お伊勢さんに背中を向けて、あっかんべぇをしていたわけだ。


 まさに、お天道様の下を歩けない典型である。




 こういう事を平気でやっている会社の社長や社員。鏡に向かって言ってみればどうだろう?自分は人に堂々としていられる商売をしているか?


 

 商売のために商売をしだすと、なんでも良くなる。倫理なんて無くなる。老いも若いも関係ない。だまされる奴が悪いってな感じだ。いわゆる悪徳商法だ。



 
 長年、堂々と世間を欺いて、悪徳商法を続けてきたのだ。本来なら廃業だ。責任は重い。



もっとゆるくでいいじゃないの

2007-10-22 00:07:29 | 社会・経済
 ぎずぎすした世の中になったとか言われて久しいけれど、この世の中を作っているのはみんななのだから、みんながぎすぎすする方向へ進んでいることを自覚した方がいい。

 負け組だとか勝ち組だとかといった、軽い刹那なことばで自分の人生の価値まで計ってしまうようなことが当然だと思っているところからさっさと抜け出すべきだと思う。

 一時的な勝ち負けは確かに目の当たりにするとそれが世界の、人生のすべてのように思うかも知れないが、実際のところそんなもので価値を計られたらたまらない。


 青い論議をすれば、たとえば、お金持ちの家に生まれて、幼い頃から帝王学と資産に恵まれて成功した奴がいる一方で、平凡な、どちらかといえば質素な家に生まれて成功した奴もいる。どっちが価値のある成功か?なんていうことになるが、こんなの論議してどうする?

 逆もまたしかり。恵まれた環境で失敗した奴と、質素な環境で失敗した奴。どっちが負け組か?なんていうのも意味がない。


 勝ち組、負け組なんていうのは所詮は青くさい価値観。気にすること、気になることがまだ自分自身の価値観がその域を出ていないということ。そんな価値観に悩んでいる時間があるんだったらもっと広い視野と価値観をもって自分自身を鍛えるほうがいい。


 最近また、子どもを殺している親のニュースが続いている。



 子を持つ親なのに、青い価値観から抜け出られていない。



 自分自身がそういった価値観に左右されているという自覚さえ無い場合がおおいので、ここで1つ例を。


 お金はあればあるほうがいい・・・これはもちろんYES。しかし、何にそのお金を使うのかが問題だ。おいしいものを食べる、高級品宝飾品を買う、海外旅行を楽しむ、高級外車を乗り回す、都心の高級マンションに住む、などと言っているようでは駄目。

 そういう価値観は、高度成長期で終わっているべき。しかし残念ながらその時期に育てられた人達は、いまだに価値の再認識をせず。妄信的にこういった価値観でいる。

  
 こういう価値観のままでいるから、持っている人を見て、持っていない自分を悲観する。持っている人になるには有名な大学に入らなければならない、有名な大学に入るには有名な高校に入らなければ・・・という具合になる。


 そうした結果、「自分には、ムリだ。」となって、勝手に勝ち負けを決めてしまう。


 なんじゃそりゃ?と思わないか?


 もう時代は変っているのに、価値観は全く変ってない。団塊の世代の宿題がここにある。


 価値観の再点検。ちゃんとやってみせて欲しいものだ。それなしに引退などは卑怯だ。


 
 
 





最近の弁護って怖くない?

2007-10-03 00:05:06 | 社会・経済
 光市の母子殺人事件にしても、北九州市の飲酒追突事件にしても、最近の弁護士ってなんでもアリ?

 光市の件は、橋下弁護士との件があり、Webに公開される形でその事件の詳細及び、最高裁の審議差し戻しについて詳しく書いてあり、如何に弁護団が「裁判所の意思」を無視した形で裁判を行っているかということが本当によく分かる。

 さらに、今日のニュースでは、北九州市の事件の弁護士が、追突された側が居眠りしていたとまで主張する始末。


 弁護側が状況証拠(にもならない)ことを並べて被告を弁護していいのか?大上さんが異常な低速(時速30KM)で走っていたことが悪いだの、追突してから落下までの40メートルの間になんら回避行動を取っていなかっただのと難癖付けて、被告の情状を酌量するにしても人の神経逆撫でしているというか、常識はずれもいいところだといえる。


 弁護士が幼い?幼稚?なのかなぁ・・・弁護士になるぐらいだから知能指数は高いのだろうけども、あまりにひどい弁護のやり方だし、被害者の気持をくむ必要など一切無いかのような、被害者にも問題があったという裁判所での発言はちょっとひどいというか、かなり、相当ひどい。

 適性検査を受けるべきだ。


 たとえば、時速30Kmだという大上さんの車が、40mもはじき飛ばされるにはどれくらいの勢いで車が追突しなければならないか? また40mもはじき飛ばされる間にかかった時間は何秒だったか?さらに「突然後ろから追突されたら」回避動作以前に、一体何が起こったのかの把握すらすぐに出来ない筈である。常識でわからないのならこの弁護士を車にのせた車を時速30Kmで走らせて、後ろから、タイミングもなんにも知らせずに40mはじき飛ばされるぐらいに追突したときに、どういう判断が可能なのか?回避動作は本当に可能なのかをやってみればいい。


 以前、軽く後ろから追突されたことがある。「コン」っていう程度だ。それでも、何が起こった?と把握するまで5秒ぐらいは要している。ところが、また別の時。前にいた車がバックしてきた。こちらの存在を見ていないのか心配だったので、クラクションを鳴らしたが、聞こえなかったのか、逆追突されてしまった。


 当たり前だが、目の前に見えていて車の様子がしっかり把握できるならば、「あ、この車、こっちに気づいていないかも」と察知してクラクションぐらいは鳴らせるが、それでもそのぐらいの時間的余裕しかない。クラクションを鳴らしてからぶつかるまで5秒とかかっていない。


 北九州の場合、車は後ろから、しかも夜間。どれくらいのスピードかをじっくり見ていると前方不注意になる。加害者言うとおり、車が時速80kmで走っていたら1秒で22.2m進む。最初に車のライトを100m後ろで確認して、2秒後に後方を確認したらどうなるか?

 ライトの認知~後方確認(1秒)、前方の確認(2秒)、再度後方を確認(1秒)とするとこれだけで4秒。この間だけで既に88.88m進んでいて、残りは約11m。ただし被害者の車も前進している訳だから、それがかりに時速30kmだとすると1秒あたり8.3m進むので4秒あれば33.2m進む。この時点で残り44m。80kmで走る車と30kmで進む車なら3.14秒で追突できる。

 

 
 つまり、100m後方のライトの認知(橋が水平で100m先まで見通せたとして)からたったの7.14秒後に衝突しているのである。


 あなたは、夜間の後方の車のライトを認知した最初の1秒で、その車が猛スピードで走ってくると認識できますか?2回目の認識の時にはもう背後に迫っていて、その3.14秒後には追突されていて回避行動が取れますか?


 加害者は時速80Kmぐらいと言ってるが、RV車が40mもはじき飛ばされるには、もっとスピードがいるんじゃないか?と言う点が疑問でもある。そうするともっと短い時間で事故が起こった可能性がある。



 いずれにしても、事故で幼い命がなくなった。車に乗る場合には事故にそれぞれが気を付けるものだと思うが、今回の様に後方からの追突で車が橋から落下し子どもの命が失われたというのは、あまりにも被害者の心情を複雑にしている。加害者は自分のやったことがどれほど大したことではないと言ったとしても、そういうことですまされるものではない事を認識すべきだ。

 50kmで走っていたから責任が軽いのか?100kmで走っていたから責任が重いのかという問題ではないだろう。子どもの命は、間接的であるとはいえ追突した車が奪ったのだから。事実は事実として受け入れた上で、弁護士は弁護をすべきではないか?弁護士は推測でしかない被害者の落ち度を指摘してまでの弁護は本当に必要なのか?




神戸いじめ自殺事件

2007-09-26 01:36:34 | 社会・経済
 いじめによって自殺に追い込まれた高校生、いじめた同級生が逮捕されて教育現場は大混乱の様相。

 当初、この高校から発表された「いじめの事実は無い」という内容に怒りを覚えたが、次第に事の重大さが分かってきたのか、学校長を始め非を認めて、いまは対応に追われている。

 ニュースでは学校名が出ては居ないが、今回の事件が起こったのは神戸市須磨区の滝川高校である。地元でももちろん県下でも知られた高校。既にこの学校のHPには学校長名による謝罪が発表されている。

 
 学校側としては、事実確認の際、生徒を一方的に追求するのも難しく、どうしても希望的観測で見たいだろうし、見てしまうのはしかたないと思うが、現実に起こったことを正面から受け止めれば、そんなことは言ってられない筈である。こういう時こそ先生は父兄と合意のもとに相当の覚悟をもってしっかり究明しなければならない。

 死をもってでしか訴えられなかった生徒の気持を、関係者は真っ正面から逃げずに受け止めるべきである。

 いじめた生徒にしては、事の重大性はまだ理解できていないかもしれないが、それでは駄目である。いじめた子どもの親たちは、すべてのことをなげうってでも自分の子どもに分からせなければならない。


 「自分はそんなつもりは無かった、自殺するほどの大したことをやってない」などと言おうものなら、繰り返し同じ事をやる可能性は500%以上あると考えなければならない。


 「やったことの大小ではないのだ。」ということを親は子どもに教えなければならない。以前にも書いたが、「10円のガムを万引きしただけ」という感覚では、駄目なのだ。どんな些細なことでも、犯罪は犯罪。やってはいけないことは絶対にやってはいけないと教えなければならない。





 理屈ではない、条理である。モーセの十戒の時代から語られ続けている条理である。


 
 何度でも繰り返し繰り返し教えなければならないものとして、親は子どもに教える責任がある。


 良い学校へ行かせて、良い大学、良い企業に入ることを教えるよりも、もっともっと大切な話である。




 繰り返されるいじめ。




 いじめた側の親、いじめられた側の親、そして学校内で生徒の様子を見ている教師それぞれがもっと子ども達の様子をしっかり見られないものか?


 

 親にそういう気持の余裕が無ければ、強制的にでもそういう時間を作るべきではないか?




 親と子の間の会話が出来ないのに、先生に生徒の変化を見て欲しいというのは親の怠慢である。  



 「いじめ」は親とのコミュニケーション不足が原因だといったら、それをどれほど素直に受け入れられる親がいるだろうか?




 いじめをなくすには、もしかしたら、そういう所からスタートしなければいけない気がする。




たらいまわし

2007-09-06 00:15:14 | 社会・経済
 誰が悪いのか分かりませんが、改善されない事の1つがこのたらいまわし。もちろん救急車での急病人やけが人、妊婦の話である。


 端から見れば、救急受け入れ先の病院に連絡しているはずだから、受け入れ拒否なんていうのがあること自体がおかしいと思う。


 しかも「救急」


 つまり救急、緊急の場合に備えているはずなのに・・・


 流産してしまった母親からしたら、無念でならないだろう、考えただけでも辛い話である。


 もちろん、たくさんの人が救急に助けられているのだろう。でも助けて当たり前だからニュースにもならない。ちょっと拒否した“ぐらい”でとやかく非難される。



 いえいえ、その“ぐらい”が駄目なのです。


 普通の話ではない、人の命が関わる仕事をしているのだから。



 事情は色々あれども、早く改善してもらいたいものだ。このネットワークが発達した時代に、おかしい話だと思う。