70才。役に立つ話が次々現われる。

世界で最低の日本人の声を改善する方法を95%まで独自に確立しました。

DIR EN GREY 熱狂的フアン様

2012年02月12日 21時17分38秒 | Weblog

 京さんとその事務所を馬鹿呼ばわりしてから、今日で4,5日目ですか。この間私のブログにアクセスしてくださつた数は7、000を超えます。10年以上、yahooとgooでブログを書いていて、こんなにご訪問いただいた経験はありません。

 ただ私が「馬鹿だ」と思わず書いた言葉に、少数の人が「殺すぞ、死ね」のリアクションがありました。70歳なのに幼稚だ視野が狭い、自画自賛、威張りくさるなどが7000分の20ほどありました。これは7000分の20にとどまらず100、200とコメントには書かなくても思われた方もおられるかと思い以下に書きます。

 先ず、私は・・・GREYの京さんが声帯のトラブルで全米14都市の公演を中止した記事をネットで知り、腰を抜かしました。私のこのときの驚きは馬鹿の何乗倍でした。「アメリカで仕事をするのになんと安易な、気楽な態度で挑むのか」。訴訟大国アメリカでは、医者よりも弁護士のほうが金を儲ける人もいる国です。リゾート地フロリダに自家用ジェット機とその滑走路を持つ弁護士も複数います。カリホルニヤのレイクタホの高級別荘地ではプライベートビーチを広々と持つ弁護士も複数います。訴訟で買った報酬で買っているのです。

 ・・・GREYの公演中止を知った時、どのくらいの大きな金額で収まるのかで腰が抜けたのです。損害補償でカバーするものは辣腕弁護士にかかれば「そこまで支払わされるのか」と死にたくなります。正確には支払えない額です。

 だから私のこのブログで200%完全で望めと書いています。それが聞くところによると日本公演で既に声帯トラブルがあり、50%にも満たない状態で渡米する予定だったと思われます。

 以前、東芝はアメリカの訴訟で負けて100億円を支払いました。それはノートパソコンのフロッピイドライブの不具合です。普通一般では絶対起こらない不具合が起こる可能性を訴訟の勝ち金で暮らすようなマニアに計算上で見抜かれて負けました。東芝はアメリカでのパソコン販売で10年間かけて100億円近くの利益を上げました。それが訴訟マニアの餌食になり100億円全額とりあげれれたのです。その他、莫大なお金を日本人から勝ち取った例がたくさんあります。それで私は「馬鹿だと」本当は「超馬鹿だ」の反応でした。しかしすぐに取り消しました。

 京さんはこの恐ろしさを1mmもご存知なかったと思います。

 最後にVigrante のボーカルの丹羽君の声はたいしたことがないのコメントがありましたが、彼は10年前に完全に歌の世界から消えていたのです。それを蘇らせ
オーストラリアのトップバンドが日本でアルバムを出すにあたり、丹羽君を指名してX-Japan のカバー曲を加えました。そして「本家よりもいいね」といわれました。消えてなくなるっていたかも知れない音声障害者を立ち直らせるたことを否定したいですかね。決して丹羽君を天才とは思いません。しかし努力しだいで外国人に認められるところまで上らせました。彼の努力は並外れています。そして10年以上も名古屋から新幹線で上京して私のレッスンを受け続けました。それでも否定したいですかね。

  

DIR EN GREY を愛している女性のコメント

2012年02月12日 06時24分38秒 | Weblog

 死ねとか、殺すぞ、70歳のてめーは引っ込めとか、衝動、感情的な乱暴なコメントが20件ほどあった。3,4日で5000件ほどのアクセの中の20件だ。私が京さんを心配しているのか、乱暴なコメントの人が愛しているのか、いずれ明らかになる。

 そんな中で、本当に京さんを心配している女性のコメントがあった。

 ご紹介させていただきます。

 「はじめまして。わたくも DIR EN GREAY の京さんを好きな一人です。今回ツアーの中止があつた時、莫大な損失が出るだろう。それをしてまで中止にするのは彼ののどが相当ひどいのだろうと感じました。彼はボイストレーナーをつけません。独自に色んな声を出して来ました。そうすることが彼の生き方であり、彼のプライドなのです。

 そして私はそんな彼が好きです。だけど今回日本のツアーの彼は声の出ない自分に悔しさを見せる時もありました。歌うことが彼の全てならこれからはあなたの様なトレーナーが必要だと思う。のどを痛める発声をしないように。
 
 2月11日にきたコメントです。捏造がないように保存しました。

 正直いって、死ね、殺すぞ・・・など私を全否定する20ほどのコメントで、このブログを廃止する予定でした。

 さて私の生徒のヘビメタ Vigirante のボーカルの丹羽君は30歳前に私の発声教室に入門を希望して来ましたが、お断りしました。私の教室は無差別の参加させていません。かなりの人が断られているのです。しかしお断りの電話の最後に「僕の大学の教授が先生のご本を私にくれて、この先生をたずねてみたら、と進められました」と言葉があり、数日間考えて・・・・・推薦した大学教授に申し訳ないと思い、後日入会を許しました。何しろ「パクリ」が多くて、パクッタ人はろくなトレーニングもできなくて、その生徒さんの害になるからです。

 しかし丹羽君は当時、医師から声帯手術を勧められていました。彼に聞くと「例え手術しても何度も繰り返すだろう、どうか先生助けてください」と泣き付かれました。ヘビメタ歌手生命が終わろうとしていたのです。

 さて、さて、あれから10年以上、私と丹羽君の苦難が始まります。大体先駆者、道先案内がない世界です。毎回、未知を切り開くしかありません。それまでかなりの効果を上げていた私の方法も、人間工学的に無茶な声の出し方は「ヘビメタなんか歌の世界から消えてなくなれ」と恨みました。声帯を削り、血を吐き、そして命尽きるものです。現在の京さんがそうです。

 それまでの30年以上の私の発声法は忘れて、ひたすら丹羽君の声と格闘しました。10年間に3度ぐらい声帯手術の危機がありました。それを乗り越えるために新しい、ある意味で手荒な方法を試みました。苦闘8年やっと丹羽君の声は安定して来ました。それは私の声のトレーニング方が無敵になった、つまり頂上に達したからと思われます。おそらく世界中の誰も知らない境地です。

 それによって世界から丹羽君に「来い、来い、十分通用する」と声がかかるようになったのです。しかし彼には安定した職業があります。それを捨てる気持ちはないようです。ゆえに私も丹羽君も道端の名もない雑草です。