人は、太古の昔より『光』に特殊な感情を抱いて来た。
光に頼って生き、光に依って行かされて来た。
人は、光から<生命の力>を与えられて来た。
古代のペルシアでは、この世には『光』と言う原理が存在した。
その光が、全ての形有る物を造り上げる、創造主の住む地であった。
その、光の地を羨み、ねたみ、光溢れる「永遠の地」を奪おうとする「闇」の存在が有った。
世界は、光と闇との戦いの場であった。
これを『二元論』と言う。
古代ペルシアの人々は、『宇宙の総て』である『光』を、手近にする為に、「火を焚いて」崇めた。
『アフラマツダ』という光の神を、火を焚く事でたぐり寄せようとしていた。
『拝火教』である。
光は、神であった。
ずっと後になって、ツラトウストウラが現れ、社会の不公平や、邪悪な存在に対する正義の行使を『最後の審判』で表し、人々の信仰心を多いに高めた。
「今は辛くとも、悲惨であっても、最後に神は永遠の救済を下さる。」
「今、驕り高ぶり、贅をこらして暮らす悪しき支配者どもは、最後の審判で地獄に送られる。」
こう考えると、生きて行く力が湧いて来た。
その後、キリスト教が現れる。
「ユダヤ人のエジプト幽囚」の際の移動中に接触の有った「ツアラトウストウラ」の教えを受け継いだ『マニ』の教えをつたえる人々との接触により、『最後の審判』の発想を受け入れたユダヤの教えを基に、イエスが新しい教えを伝え始めた。
時は過ぎ去り、イエスの純粋な教えは「教条主義的」な罠に陥り、教会組織の官僚化と、高位聖職者達の貴族化とに依て、大衆の心から乖離して行く。
しかし、『マニ』の伝えた「真理」のみを尊び、真理を求め続ける生き方に依って、最後に救われ「神の光り輝く場所」に召されると言う教えが、地中海岸に沿って細々と受け伝えられていた。
彼等の時代に、「キリスト教」の神とか、「マニ教」の神、或は「イスラム」の神、などと区別などしない。
「汝は<神>を信ずるか?」
「我は<神>を信ずる者なり」
と言うやり取りに過ぎず、その信じている神は、お互いに同じ神であるかどうかは、定かでは無くなっていた。
ちゃんと、教区に神父が居て、洗礼を行い、結婚の秘跡を授け、臨終の秘跡を与えた。
そして、『マニ』の教えに忠実なる神父達は、一切の私有財産は持たず、肉食を拒否し、物的拘りを否定していた。
そして、清貧に喜びを見いだして、苦しい修行を喜びを持って行っていた。
その為、人々の信頼は熱く、大切に崇められていた。
一方、ローマに忠実なる高位の神父達は、王侯と同じ態度を取り、豪奢を極めた宮廷を営む様になって行く程に、人々の尊敬も信頼も失い、民衆と乖離して行く。
その差は大きかった。
ローマ・カトリック教団は、人々の離反を恐れ、『マニ』の教えを信じる者達を<異端>と呼び、彼等の言う<善>と<悪>との戦いを「二元論」と捉えず、『二神教』と非難した。
ついに弾圧に踏み切る。
『アルビジョワ十字軍』である。
異端とされた人々は『カタリ』と呼ばれた。
『カタリ』とは<真理>と言う意味である。
南西フランス、ミディ・トウールーズ地方が、その舞台となり、全欧の軍勢を持って攻め込み、『カタリ派』の街を次々と全滅させて行く。
純粋に信仰に殉じていた人々は、ピレネーの山中に追いやられ、殲滅されて行く。
一世紀をかけてカタリ派の拠点を殲滅した後も、数世紀に渡って悪評高い『異端審問会議』が、存続した。
『カタリ派のエレジー(哀歌)』は、今なお多くの人々の記憶に留まり続けている。
スペイン国境のピレネー山中に、険しい峯の頂きに、壮絶な戦いの末全滅した『カタリ派の隠れた』城が、廃墟となって転々と残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/2c/806690b0d516aec532d15f60543fbc96.jpg)
朝日に浮かぶ、カタリ派の討伐の部隊となった城址。
毎日、あまりにも悲惨な日々が続くので、今日は「光」を写真でお届けしようと思い立った。
その、ピレネーのフランス側に、太古の昔の「氷河」が削った「カール」が、幾つか存在しています。
その中でも、最も大規模な『シルク(=カール)・ド・ガヴァルニー』は、世界遺産に登録されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/86/bf07da9aac848e7fe9cf4ca620f524ab.jpg)
標高差1000メートルの大岸壁を持つ『ガヴァルニー』の朝。
そのピレネーから2~00キロ北上すると、ワインの大産地『ボルド-』地方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/b6/b14b2a284f95fea12dc2af7b94b57225.jpg)
朝日にけぶる秋口の葡萄畑。
ボルドーから東へ300キロ程、フランス中央部の『オーヴェルヌ地方』から地中海の方角へ南下して来るルートに、ミヨーと言う街が有ります。
昔から「手袋」生産で名高い街です。
盆地に有るその街へ、一旦下りる国道が「大渋滞」を引き起こしていた為に、近年街の上を通過する大道路橋が完成しました。
現在、世界で最も地上高の高い橋、として認知されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9a/97f37d96db74732c9f34aa8db98b40d4.jpg)
逆光の『ミヨー大橋』
一気に『コート・ダジュール』までくれば、中世期に地中海の海賊から身を守る為に、高い場素へと逃げて、頂きにへばりつく「鷹の巣」の様な村が沢山出来、そのまま今日まで残っている物が幾つも有ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d7/d643f0cfb9be5a2f8a975c0ceb43b573.jpg)
『エズ村』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/67/aaeefc18ad8ad821a9f5e436965b59ea.jpg)
高見から『地中海』を見下ろす絶景。
東の国境まで行くと、ヨーロッパで最も「透明度の高い湖」として知られる『アヌシー湖』が有ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/82/cea3fb3a0af13f6cac61fff9208420ba.jpg)
古代ローマ皇帝『アウグストウス』も愛でた湖の光の変化は素晴らしい。
『プティ・サン・ベルナール峠』を越えてイタリアに入ると、かっての『サヴォイ公国』の地。
首都の一つアオスタから、スイス側に北上すれば、『マッターホルン』の麓に出ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d9/4eb769e67fd4cc6d8fc2d8ce3546e363.jpg)
朝の弱い光に浮かぶ『マッターホルン』を麓から見上げる。
今度は、地中海を渡って、北アフリカへ。
サハラの朝日は、行った人しか味わえない「かけがえの無い最高の体験」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6a/e81b9ac9711f0efc45502cd3d390136f.jpg)
夜中は零下5度、昼間は45度のサハラは、人間の毒素を総て抜きさってくれます。
もっと、アフリカ奥地へ下ると、西アフリカの雄『カメルーン』。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d6/a29903b070ab3ab714b7256f99ec197b.jpg)
『サバンナ』の夜明け。
人は、太陽無くして生きられません。
その『太陽』が、今隠れている。。。
一番必要なこの時に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a5/ac9cc503c279779aa0b20aa411eced9a.jpg)
2009年の『皆既日食』
今の様な、希有の大災害に見舞われた時こそ、日本は明るくきらめく陽光を必要としている。
復興の為の太陽を待望する。。。
光に頼って生き、光に依って行かされて来た。
人は、光から<生命の力>を与えられて来た。
古代のペルシアでは、この世には『光』と言う原理が存在した。
その光が、全ての形有る物を造り上げる、創造主の住む地であった。
その、光の地を羨み、ねたみ、光溢れる「永遠の地」を奪おうとする「闇」の存在が有った。
世界は、光と闇との戦いの場であった。
これを『二元論』と言う。
古代ペルシアの人々は、『宇宙の総て』である『光』を、手近にする為に、「火を焚いて」崇めた。
『アフラマツダ』という光の神を、火を焚く事でたぐり寄せようとしていた。
『拝火教』である。
光は、神であった。
ずっと後になって、ツラトウストウラが現れ、社会の不公平や、邪悪な存在に対する正義の行使を『最後の審判』で表し、人々の信仰心を多いに高めた。
「今は辛くとも、悲惨であっても、最後に神は永遠の救済を下さる。」
「今、驕り高ぶり、贅をこらして暮らす悪しき支配者どもは、最後の審判で地獄に送られる。」
こう考えると、生きて行く力が湧いて来た。
その後、キリスト教が現れる。
「ユダヤ人のエジプト幽囚」の際の移動中に接触の有った「ツアラトウストウラ」の教えを受け継いだ『マニ』の教えをつたえる人々との接触により、『最後の審判』の発想を受け入れたユダヤの教えを基に、イエスが新しい教えを伝え始めた。
時は過ぎ去り、イエスの純粋な教えは「教条主義的」な罠に陥り、教会組織の官僚化と、高位聖職者達の貴族化とに依て、大衆の心から乖離して行く。
しかし、『マニ』の伝えた「真理」のみを尊び、真理を求め続ける生き方に依って、最後に救われ「神の光り輝く場所」に召されると言う教えが、地中海岸に沿って細々と受け伝えられていた。
彼等の時代に、「キリスト教」の神とか、「マニ教」の神、或は「イスラム」の神、などと区別などしない。
「汝は<神>を信ずるか?」
「我は<神>を信ずる者なり」
と言うやり取りに過ぎず、その信じている神は、お互いに同じ神であるかどうかは、定かでは無くなっていた。
ちゃんと、教区に神父が居て、洗礼を行い、結婚の秘跡を授け、臨終の秘跡を与えた。
そして、『マニ』の教えに忠実なる神父達は、一切の私有財産は持たず、肉食を拒否し、物的拘りを否定していた。
そして、清貧に喜びを見いだして、苦しい修行を喜びを持って行っていた。
その為、人々の信頼は熱く、大切に崇められていた。
一方、ローマに忠実なる高位の神父達は、王侯と同じ態度を取り、豪奢を極めた宮廷を営む様になって行く程に、人々の尊敬も信頼も失い、民衆と乖離して行く。
その差は大きかった。
ローマ・カトリック教団は、人々の離反を恐れ、『マニ』の教えを信じる者達を<異端>と呼び、彼等の言う<善>と<悪>との戦いを「二元論」と捉えず、『二神教』と非難した。
ついに弾圧に踏み切る。
『アルビジョワ十字軍』である。
異端とされた人々は『カタリ』と呼ばれた。
『カタリ』とは<真理>と言う意味である。
南西フランス、ミディ・トウールーズ地方が、その舞台となり、全欧の軍勢を持って攻め込み、『カタリ派』の街を次々と全滅させて行く。
純粋に信仰に殉じていた人々は、ピレネーの山中に追いやられ、殲滅されて行く。
一世紀をかけてカタリ派の拠点を殲滅した後も、数世紀に渡って悪評高い『異端審問会議』が、存続した。
『カタリ派のエレジー(哀歌)』は、今なお多くの人々の記憶に留まり続けている。
スペイン国境のピレネー山中に、険しい峯の頂きに、壮絶な戦いの末全滅した『カタリ派の隠れた』城が、廃墟となって転々と残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/2c/806690b0d516aec532d15f60543fbc96.jpg)
朝日に浮かぶ、カタリ派の討伐の部隊となった城址。
毎日、あまりにも悲惨な日々が続くので、今日は「光」を写真でお届けしようと思い立った。
その、ピレネーのフランス側に、太古の昔の「氷河」が削った「カール」が、幾つか存在しています。
その中でも、最も大規模な『シルク(=カール)・ド・ガヴァルニー』は、世界遺産に登録されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/86/bf07da9aac848e7fe9cf4ca620f524ab.jpg)
標高差1000メートルの大岸壁を持つ『ガヴァルニー』の朝。
そのピレネーから2~00キロ北上すると、ワインの大産地『ボルド-』地方です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/b6/b14b2a284f95fea12dc2af7b94b57225.jpg)
朝日にけぶる秋口の葡萄畑。
ボルドーから東へ300キロ程、フランス中央部の『オーヴェルヌ地方』から地中海の方角へ南下して来るルートに、ミヨーと言う街が有ります。
昔から「手袋」生産で名高い街です。
盆地に有るその街へ、一旦下りる国道が「大渋滞」を引き起こしていた為に、近年街の上を通過する大道路橋が完成しました。
現在、世界で最も地上高の高い橋、として認知されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9a/97f37d96db74732c9f34aa8db98b40d4.jpg)
逆光の『ミヨー大橋』
一気に『コート・ダジュール』までくれば、中世期に地中海の海賊から身を守る為に、高い場素へと逃げて、頂きにへばりつく「鷹の巣」の様な村が沢山出来、そのまま今日まで残っている物が幾つも有ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/d7/d643f0cfb9be5a2f8a975c0ceb43b573.jpg)
『エズ村』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/67/aaeefc18ad8ad821a9f5e436965b59ea.jpg)
高見から『地中海』を見下ろす絶景。
東の国境まで行くと、ヨーロッパで最も「透明度の高い湖」として知られる『アヌシー湖』が有ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/82/cea3fb3a0af13f6cac61fff9208420ba.jpg)
古代ローマ皇帝『アウグストウス』も愛でた湖の光の変化は素晴らしい。
『プティ・サン・ベルナール峠』を越えてイタリアに入ると、かっての『サヴォイ公国』の地。
首都の一つアオスタから、スイス側に北上すれば、『マッターホルン』の麓に出ます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d9/4eb769e67fd4cc6d8fc2d8ce3546e363.jpg)
朝の弱い光に浮かぶ『マッターホルン』を麓から見上げる。
今度は、地中海を渡って、北アフリカへ。
サハラの朝日は、行った人しか味わえない「かけがえの無い最高の体験」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/6a/e81b9ac9711f0efc45502cd3d390136f.jpg)
夜中は零下5度、昼間は45度のサハラは、人間の毒素を総て抜きさってくれます。
もっと、アフリカ奥地へ下ると、西アフリカの雄『カメルーン』。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/d6/a29903b070ab3ab714b7256f99ec197b.jpg)
『サバンナ』の夜明け。
人は、太陽無くして生きられません。
その『太陽』が、今隠れている。。。
一番必要なこの時に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/a5/ac9cc503c279779aa0b20aa411eced9a.jpg)
2009年の『皆既日食』
今の様な、希有の大災害に見舞われた時こそ、日本は明るくきらめく陽光を必要としている。
復興の為の太陽を待望する。。。
今回の写真ブログも素晴らしいですね。
「シルク(=カール)・ド・ガヴァルニー」この様な場所が有るとは、知りませんでした。一度行ってみたいです。
ピレネーと言えば、ルルドの水はこの辺ですか?かなり前に、知り合いに白血病の子供が居り、ルルドの水を飲むと効く、とか言い、何処で手に入れたか、ルルドの水、と言われます物を、飲んで居りました。親にしてみれば、藁をも掴む思いで手に入れたのでしょう。ピレネーの名を見ましたら、思い出しました。その時、ピレネー山脈の麓、とか言って居た様に思いましたので。記憶違いでしたら、ごめんなさい。
時々パリさま、又次回の写真ブログ楽しみに致して居ります。
本当はこの様に能天気にしていたら被災者に申し訳ないのでしょうが・・・。
24時間国会を開くべし。
震災被災者へ脱出用の車として全国の廃車を政府が一括して買い上げ被災地へ緊急配給し、ガソリンをすべての被災地へ緊急ピストン輸送して脱出用車を政府負担で満タンにしておくこと。
避難行動や被災地救助物資搬入に対する交通規制などもってのほかの国による国民大量棄民犯罪行為である。
首相交代は、この地震対策が一応の形を採り終わるまで、無理でしょう。
それまでに、菅直人のお陰で亡くなる方々の数を考えると、彼は極楽には決して行けません。
連日連夜のツイッター出のご活躍、ご苦労様です。
時に「気を抜ける」時間があると良いですよね。
ルルドは、ガヴァルニーから直線だと近いです。(直線のルートは有りませんが)半日有れば、行けます。
私の家人が、眼病になりかかった時(ものもらいが出来まして)たまたま手元に「お水」が会ったので、洗ってみた所、翌日平癒していました!
私が東京で知り合った、神父に聞いたのですが、その彼の同僚の、来日70年と言う神父が、来日の時ルルドの水を持参して、60年後にも腐っていなかったとか。。。
世の中、理解でき無い事も有る様です。
原子力を「稼ぎのサカナ」にした罰が、当たっている様です。
何か「霊薬」の様な解決方法は無い物か。。。
時に神は自分の創造物である浅はかな人間たちの驕りに怒り天変地異をもって人間に対し災難を与え警告を発するのかも知れませんね。
たまたまその犠牲となった東北地方の人々はお気の毒としか云いようがありませんが、これは全人類に対して示された神の啓示であって、だからこそ日本人はもちろんのこと世界中の人が犠牲となった人たちを助ける様に努めなければならないと感じます。
またわれわれの知らない世界に連れて行って下さい。
コメントありがとう御座いました。
人間は、時に「思い上がって」しまう事が有るようです。
折に触れて、謙虚に自らを見つめ直す必要が有ると思います。
ただ、そのきっかけが、これほどの大惨事であった事が、やはり何か「人知」の及ばない大きなものを感じる様な気がします。
災いを転じて、日本の社会を快方に向かわせる為にも、犠牲にならなかった者達に、重要な義務が課せられていると感じます。