我が国は、『アメリカ』と『ロシア』と『中国』という、当然ながら自国の利益しか考えない、超大国に取り囲まれている。
しかも、ロシアと中国ととは、国境すら接している状態である。
どのような国家であれ、自国の利益を最優先する事は、「宇宙の真理」と言えるである。
当たり前だ。
ところが、希有の例外として、我が祖国『日本』だけが、自分の利益を優先しないという、恐るべき特殊な状況が、65年の間、続いている。
しかも、国民の意志に反して。
しかも、国民が知らぬ所で。
しかも、国民に知らしめる事も無く。
更に最悪な事は、希有の例外である「自国の利益を優先しない」在り方が、取り囲まれている「超大国三か国」の内の一つに、隷属してその国の意志に総て従ってなされて来た、と言う事である。
しかも、上記三か国は、互いに相手を牽制し、(表面上)平和的に共存する為には、他を凌駕する必要が有る、との「パワー・ゲーム」の観念のみに従っている、と言う事を加えておかなければならない。
左手に剣を握りながらそれを背中に隠し、右手で握手する。
これが、超大国同士の「外交」である。
つまり、非常に微妙なバランスを求められ、何かが少しでも狂えば「一挙に関係が緊張し」て、最悪の場合、紛争に陥るようなパワー・ゲームが、常に変わる事無く進行されている。
そして日本は、そのゲームの為の、「一つの便利な駒」として、当事者達に利用されている、と言う事であります。
隷属させて来たアメリカに取っての「駒」であるのはずなのに、相反する他の二カ国に取っても、やはり有効な「駒」なのだから、自体は深刻で悲惨である。
自民党政権時代は、仕方が無かった。
そう言う状態を、国民自らが選び続けて来た政府が、その道を求めていたのだから。
しかし、2009年8月30日。
事態は変わった筈であった。
何とか、上記超大国三か国と、対等とは行かないまでも、等距離で、自主的に日本の進路を決めて行ける、そのような外交姿勢を、持てる様になる筈であった。
残念ながら、夢は破れた。
所詮、民主党は「自民党」が蓄積して来た老獪さは、持たない。
で有るにも関わらず、自民党と同じやり方を、求めてしまった。
同じ方向を向いているのなら、素人より、老獪なベテランの方がマシ、に決まっている。
アメリカには、増々高圧的に接してこられて、しかもそのアメリカの庇護が無い事を見抜いた中国が、好き勝手に我が国を蝕み始め、元々戦後ずっと蝕み続けて来たロシアは、牙を更に磨き始めている。
政府は、一体どうする気なのだろう。
どうする気もないのか。。。
政治哲学が欠けていては、どうする気も何も、有った物では無いのだった。
改めて考えてみよう。
アメリカに、文字通り「隷属している事」が、日本に取って何かのメリットが有るのだろうか。
この検証から、始めなくてはならない。
『日米安全保障条約』
この「トラウマ」を、打ち消さなければならない。
日本は、戦力を持たない事になっていた。
交戦権を放棄した。
アメリカに「金を払って」守ってもらう事にした。
待て待て。
これは、日本が望んで求めた事では無い。
総て、アメリカに押し付けられた事であった。
(348tsさんあたりから、突っ込まれそうだが)
憲法を含めて「総てアメリカが望んだ」事であった。
大戦後の日本が「再独立」した際、更に経済力を身につけて「軍事力」まで持っていたら、アメリカに取ってまた脅威となりかねない。
お前達は軍備は持つな。
俺たちが守ってやる。
その代わり、精一杯働いて、世界の警察たるアメリカの軍事予算を賄え。
そして、共産圏の太平洋進出に対する『楯』の役目を自覚して居れ。
と言う経過であった。
占領下に有った日本が、如何様な反論も行える訳も無く、また反論する気も、発想も持たなかった。
神様。仏様。 GHQ様。
朝鮮動乱によって「予定が狂った」アメリカは、日本の(一部)再軍備を求めた。
『自衛隊』の誕生。
表面を取り繕う為にも、「集団的自衛権」の放棄やら、何やかんやら言い繕いつつも、我が軍は、世界の5指に入る「強力な軍備」を有するところまでに成長している。
それもこれも、軍事産業で成り立つアメリカ経済を支える為でもあったのだ。
使いようの無い、高性能レーダー・システムや、イージス艦その他、豊富な玩具を与えられて、日本政府は喜んでいた訳であった。
共産勢力は世界から消え去り、「共産国を標榜する独裁国」が、日本周辺を脅かす時代となった。
しかも、好き放題に。
そして、頼みのアメリカはと言えば、「世界戦略」の膨張とともに、世界中に敵を作ってはそれらに対処する、正に「巨大な泥縄」状態に陥っている。
アル・カイーダなど、アメリカの横暴さが無かったら、生まれなかった筈の組織である。
その、「自らがまいた種」を、刈り取る事も能わず、泥沼のじり貧状態を抜け出す為に、次々と強攻策に出て、それ以上に困難を招いている。
アフリカでも、南米でも、そして中東で、更に今又アフガン諸国で、「ベトナム化」を繰り替えす懲りないアメリカに、我が祖国は『軍事同盟』を結ばされてしまった。
国民の知らないうちに。
いまや、沖縄の基地が、イラクやアフガンへの進発基地となって居る。
ヘイワケンポウ万歳。
この様な状態に有って、「独立した主権国家」として生きて行くの事を求めるか。
はたまた、これまで通り、アメリカの出先機関として、先頭に立って「使いっパシリ」をやらされ続ける事を求めるのか。
ロシアは、共産国家時代の「冷戦体質」はそのまま継承し、旧ロシア帝国時代の「プライド」を思い出した。
膨張主義と、権謀術数と、聞く耳持たぬ強権による専制と、元来の民族的「ズルさ」とは、「ソヴィエト連邦」も民主「ロシア共和国」も、同じ体質であり、そこに共産主義時代から変わらず受け継がれて来た「冷酷さ」とが相まって、さらに「資本主義」によって手にした経済力が後押しする事となって、手の付けられない暴君的国家に育って来ている。
自分の利益は独占し、他人の利益は奪い取る。
帝国主義国家そのものである。
それと殆ど同じ体質で、加えて「人民」の動員力で勝る『中国』が加わった今、日本の取るべき道は、はっきりしている。
どれか一カ国に隷属していては、将来は望めない。
国を取り巻く状況に対する、正確な状況判断と、正確な分析とを求められる時代である。
そして、過たぬ正確な外交が、求められる時代である。
先進国と称されている国家は、何れもしたたかである。
頼るべきは頼り、利用すべきは利用し、譲らざるべき所では決して譲らない。
その「当たり前」の姿勢が、日本には無いのだ。
それも、65年の対アメリカ隷属体制により、造り上げられて来た国民性なのであろうか。
それとも、それには関係なく、日本人独特の性格ででも有ろうか。
私を含めて、日本国民は、今や自分自身で考えて行動し無ければならぬ時代になった事を、理解している。
政府とは、国の独立と主権とを確保し、国民の生活と平和とを守る事、がその存在理由であろう。
対米属国の時代を終えて、新たに「真の独立国」として世界で存在して行く為には、何をしなければならないのか。
現政権が、そんな事を自覚している様には、全く見えない。
自覚も感じられなければ、理念も見られない。
ましてや、能力が有るとも思えない。
ただ、政権を取り、その一員として権力を維持して行く、その為には如何なる障害も排除する。そんな事だけが存在意義としか思えない政治家だけが、日本を動かそうとしている。
私個人は、国連と言う組織には、何ら意義を認めていない。
ただ「貢ぐ君」にされてしまっている、こんな組織には思い入れを捨てるべきだ。
私は、360度の等距離外交を良しとする。
その為には、不党不変、あらゆる同盟関係を解消する必要がある。
永世中立を宣言する必要も有る。
そして、出来うる事であれば、国連に変わる、世界中の問題を考え解決を模索する為の、新たな国際機関を「日本が推進役となて」造り上げる必要がある、と思っている。
『ヤルタ協約』による「戦勝国クラブ」に、敗戦国のままで『敵国条項』などとう屈辱的条項を取り下げない国連に、議決権もないまま膨大な予算を負担する必要を、私は認めない。
政界中の国々が、平等の立場で、しかも国際的貢献度に応じての発言権を認められ、それらに応じての負担金を課す、そんな組織を必要とするのでは無いか。
敗戦国で、唯一の被爆国で有る日本は、そのような組織を造り上げる、推進役としての資格を充分に備えていると、確信する。
そして、対米、対ロ、対中政策にあやまたぬ外交力を身につけ、実践するためにも、現在の「アメリカ一色」の霞ヶ関は解体する必要が有る、と思っている。
国防は、自らの手で確保しなければならない。
この事は、決して「九条」の撤廃を意味する物では無い、と固く信じている。
ただ、「先制攻撃を放棄する」事を明示し、日本領土への攻撃がなされる場合は、「交戦権は保有する」事を明記して、『戦争の放棄』いう崇高で高邁なる精神を捨て去る必要は無い。
これはこれで、その求める理想と相矛盾するとは、思わない。
これまでの如き、「運用の解釈」などと言う「言い逃れ」でずるずる行くのではは無く、はっきりと「不戦日本」を確たる信念を打ち出す必要が有ろう。
その哲学に立脚して、の本の独立と安全とを、確保して行かなければならない。
その為に、本物の外交力が求められるのだ。
自主独立を謳う人々は沢山居る。
その為には九条を撤廃する事が必要、と主張する。
実際に、中国と言う、北朝鮮と言う、脅威が存在している、と煽る。
私は、その考えには組みしない。
暴力か無抵抗か。
そんな単純な事では無い。
ともに、自らの平和を求めているのなら、敢えて言いたい。
暴力で、平和はあがなえない。
私が求める事は、無抵抗主義とも違うのです。
人間の英知を総結集して、戦いを起こさず、平和を維持する方法が無い筈が無い、と言いたいだけなのだ。
お花畑を夢見ている訳では無い。
人間は、野生動物と違って、人類誕生以来育んで来た「智慧」が有るはずである。
その智慧を総動員して、戦いを起こさない平和を追求する事、は至難であれども、それをしないで、安易な軍事力に解決を求める事を、「良しとしない」のです。
そんな事を模索している間にも、敵が攻めて来る、と言う類いの理屈を、私は認めない。
厳に、今回の問題で、中国が攻めて来たか。
実際に国を率いている人達は、夫々に自国の為には利己主義ではあるが、決してバカでは無い。
空想論で国際関係を捉えている人達が、その事が理解出来ないだけであると思っている。
今回は、この点を理論の軸として話を展開するつもりでは無かった。
日本が、日本の政府が、我らを取り巻く政治環境、国際環境の中に有って、如何なる決意を持って対処しなければならないか、を自分なりに模索しようと書き始めた訳でありました。
その事を考えるに、菅直人(仙谷由人)政権は、あまりにも卑小である。
国家存亡の時に当たって、ただ個人的権力維持だけに、かまけている。
極めて卑小なる人々。
国会の討論に置ける、菅直人首相の答弁の「意味の無さ」を鑑みるにつけ、日本の危機を増々もって実感させられる。
小沢氏が「離党も議員辞職も考えていない」と発言された。
このような日本の状況にあって、唯一の光明である。
取り敢えず、離党という「パージ」は避けられた。
ただ「石頭幹事長」が、この問題を検討中と言われている。
問題は、少しも解決している訳では無い。
検察の「暗い実態」が、今回の「証拠改ざん事件」と「陸山会事件」とで、明らかになる事を強く望む。
それに依て、既得権益層が如何に日本の利益を裏切って、卑劣な事を続けて来たかが、
明らかになる事を、強く望む。
その「既得権益層』の為に、マスコミがいかに日本人を悪の道へと導き続けて来たか、が明らかにされる事を切望する。
それに依て、大多数の「洗脳されて来た」善男善女が、物事の事実に目覚めてくれる事を期待する。
日本は、待った無しの状況にある。
その状況に有って、自己の利益維持のみに奔走し、醜い醜態をさらけ出しながら、己達の『矮小さ』に気がつかないで、国益を危機にされし続けている『仙谷菅直人政権』を糾弾したい。
小沢氏を待望する。
ただし、改憲と外国人への参政権付与には、断固案対するものであります。
しかも、ロシアと中国ととは、国境すら接している状態である。
どのような国家であれ、自国の利益を最優先する事は、「宇宙の真理」と言えるである。
当たり前だ。
ところが、希有の例外として、我が祖国『日本』だけが、自分の利益を優先しないという、恐るべき特殊な状況が、65年の間、続いている。
しかも、国民の意志に反して。
しかも、国民が知らぬ所で。
しかも、国民に知らしめる事も無く。
更に最悪な事は、希有の例外である「自国の利益を優先しない」在り方が、取り囲まれている「超大国三か国」の内の一つに、隷属してその国の意志に総て従ってなされて来た、と言う事である。
しかも、上記三か国は、互いに相手を牽制し、(表面上)平和的に共存する為には、他を凌駕する必要が有る、との「パワー・ゲーム」の観念のみに従っている、と言う事を加えておかなければならない。
左手に剣を握りながらそれを背中に隠し、右手で握手する。
これが、超大国同士の「外交」である。
つまり、非常に微妙なバランスを求められ、何かが少しでも狂えば「一挙に関係が緊張し」て、最悪の場合、紛争に陥るようなパワー・ゲームが、常に変わる事無く進行されている。
そして日本は、そのゲームの為の、「一つの便利な駒」として、当事者達に利用されている、と言う事であります。
隷属させて来たアメリカに取っての「駒」であるのはずなのに、相反する他の二カ国に取っても、やはり有効な「駒」なのだから、自体は深刻で悲惨である。
自民党政権時代は、仕方が無かった。
そう言う状態を、国民自らが選び続けて来た政府が、その道を求めていたのだから。
しかし、2009年8月30日。
事態は変わった筈であった。
何とか、上記超大国三か国と、対等とは行かないまでも、等距離で、自主的に日本の進路を決めて行ける、そのような外交姿勢を、持てる様になる筈であった。
残念ながら、夢は破れた。
所詮、民主党は「自民党」が蓄積して来た老獪さは、持たない。
で有るにも関わらず、自民党と同じやり方を、求めてしまった。
同じ方向を向いているのなら、素人より、老獪なベテランの方がマシ、に決まっている。
アメリカには、増々高圧的に接してこられて、しかもそのアメリカの庇護が無い事を見抜いた中国が、好き勝手に我が国を蝕み始め、元々戦後ずっと蝕み続けて来たロシアは、牙を更に磨き始めている。
政府は、一体どうする気なのだろう。
どうする気もないのか。。。
政治哲学が欠けていては、どうする気も何も、有った物では無いのだった。
改めて考えてみよう。
アメリカに、文字通り「隷属している事」が、日本に取って何かのメリットが有るのだろうか。
この検証から、始めなくてはならない。
『日米安全保障条約』
この「トラウマ」を、打ち消さなければならない。
日本は、戦力を持たない事になっていた。
交戦権を放棄した。
アメリカに「金を払って」守ってもらう事にした。
待て待て。
これは、日本が望んで求めた事では無い。
総て、アメリカに押し付けられた事であった。
(348tsさんあたりから、突っ込まれそうだが)
憲法を含めて「総てアメリカが望んだ」事であった。
大戦後の日本が「再独立」した際、更に経済力を身につけて「軍事力」まで持っていたら、アメリカに取ってまた脅威となりかねない。
お前達は軍備は持つな。
俺たちが守ってやる。
その代わり、精一杯働いて、世界の警察たるアメリカの軍事予算を賄え。
そして、共産圏の太平洋進出に対する『楯』の役目を自覚して居れ。
と言う経過であった。
占領下に有った日本が、如何様な反論も行える訳も無く、また反論する気も、発想も持たなかった。
神様。仏様。 GHQ様。
朝鮮動乱によって「予定が狂った」アメリカは、日本の(一部)再軍備を求めた。
『自衛隊』の誕生。
表面を取り繕う為にも、「集団的自衛権」の放棄やら、何やかんやら言い繕いつつも、我が軍は、世界の5指に入る「強力な軍備」を有するところまでに成長している。
それもこれも、軍事産業で成り立つアメリカ経済を支える為でもあったのだ。
使いようの無い、高性能レーダー・システムや、イージス艦その他、豊富な玩具を与えられて、日本政府は喜んでいた訳であった。
共産勢力は世界から消え去り、「共産国を標榜する独裁国」が、日本周辺を脅かす時代となった。
しかも、好き放題に。
そして、頼みのアメリカはと言えば、「世界戦略」の膨張とともに、世界中に敵を作ってはそれらに対処する、正に「巨大な泥縄」状態に陥っている。
アル・カイーダなど、アメリカの横暴さが無かったら、生まれなかった筈の組織である。
その、「自らがまいた種」を、刈り取る事も能わず、泥沼のじり貧状態を抜け出す為に、次々と強攻策に出て、それ以上に困難を招いている。
アフリカでも、南米でも、そして中東で、更に今又アフガン諸国で、「ベトナム化」を繰り替えす懲りないアメリカに、我が祖国は『軍事同盟』を結ばされてしまった。
国民の知らないうちに。
いまや、沖縄の基地が、イラクやアフガンへの進発基地となって居る。
ヘイワケンポウ万歳。
この様な状態に有って、「独立した主権国家」として生きて行くの事を求めるか。
はたまた、これまで通り、アメリカの出先機関として、先頭に立って「使いっパシリ」をやらされ続ける事を求めるのか。
ロシアは、共産国家時代の「冷戦体質」はそのまま継承し、旧ロシア帝国時代の「プライド」を思い出した。
膨張主義と、権謀術数と、聞く耳持たぬ強権による専制と、元来の民族的「ズルさ」とは、「ソヴィエト連邦」も民主「ロシア共和国」も、同じ体質であり、そこに共産主義時代から変わらず受け継がれて来た「冷酷さ」とが相まって、さらに「資本主義」によって手にした経済力が後押しする事となって、手の付けられない暴君的国家に育って来ている。
自分の利益は独占し、他人の利益は奪い取る。
帝国主義国家そのものである。
それと殆ど同じ体質で、加えて「人民」の動員力で勝る『中国』が加わった今、日本の取るべき道は、はっきりしている。
どれか一カ国に隷属していては、将来は望めない。
国を取り巻く状況に対する、正確な状況判断と、正確な分析とを求められる時代である。
そして、過たぬ正確な外交が、求められる時代である。
先進国と称されている国家は、何れもしたたかである。
頼るべきは頼り、利用すべきは利用し、譲らざるべき所では決して譲らない。
その「当たり前」の姿勢が、日本には無いのだ。
それも、65年の対アメリカ隷属体制により、造り上げられて来た国民性なのであろうか。
それとも、それには関係なく、日本人独特の性格ででも有ろうか。
私を含めて、日本国民は、今や自分自身で考えて行動し無ければならぬ時代になった事を、理解している。
政府とは、国の独立と主権とを確保し、国民の生活と平和とを守る事、がその存在理由であろう。
対米属国の時代を終えて、新たに「真の独立国」として世界で存在して行く為には、何をしなければならないのか。
現政権が、そんな事を自覚している様には、全く見えない。
自覚も感じられなければ、理念も見られない。
ましてや、能力が有るとも思えない。
ただ、政権を取り、その一員として権力を維持して行く、その為には如何なる障害も排除する。そんな事だけが存在意義としか思えない政治家だけが、日本を動かそうとしている。
私個人は、国連と言う組織には、何ら意義を認めていない。
ただ「貢ぐ君」にされてしまっている、こんな組織には思い入れを捨てるべきだ。
私は、360度の等距離外交を良しとする。
その為には、不党不変、あらゆる同盟関係を解消する必要がある。
永世中立を宣言する必要も有る。
そして、出来うる事であれば、国連に変わる、世界中の問題を考え解決を模索する為の、新たな国際機関を「日本が推進役となて」造り上げる必要がある、と思っている。
『ヤルタ協約』による「戦勝国クラブ」に、敗戦国のままで『敵国条項』などとう屈辱的条項を取り下げない国連に、議決権もないまま膨大な予算を負担する必要を、私は認めない。
政界中の国々が、平等の立場で、しかも国際的貢献度に応じての発言権を認められ、それらに応じての負担金を課す、そんな組織を必要とするのでは無いか。
敗戦国で、唯一の被爆国で有る日本は、そのような組織を造り上げる、推進役としての資格を充分に備えていると、確信する。
そして、対米、対ロ、対中政策にあやまたぬ外交力を身につけ、実践するためにも、現在の「アメリカ一色」の霞ヶ関は解体する必要が有る、と思っている。
国防は、自らの手で確保しなければならない。
この事は、決して「九条」の撤廃を意味する物では無い、と固く信じている。
ただ、「先制攻撃を放棄する」事を明示し、日本領土への攻撃がなされる場合は、「交戦権は保有する」事を明記して、『戦争の放棄』いう崇高で高邁なる精神を捨て去る必要は無い。
これはこれで、その求める理想と相矛盾するとは、思わない。
これまでの如き、「運用の解釈」などと言う「言い逃れ」でずるずる行くのではは無く、はっきりと「不戦日本」を確たる信念を打ち出す必要が有ろう。
その哲学に立脚して、の本の独立と安全とを、確保して行かなければならない。
その為に、本物の外交力が求められるのだ。
自主独立を謳う人々は沢山居る。
その為には九条を撤廃する事が必要、と主張する。
実際に、中国と言う、北朝鮮と言う、脅威が存在している、と煽る。
私は、その考えには組みしない。
暴力か無抵抗か。
そんな単純な事では無い。
ともに、自らの平和を求めているのなら、敢えて言いたい。
暴力で、平和はあがなえない。
私が求める事は、無抵抗主義とも違うのです。
人間の英知を総結集して、戦いを起こさず、平和を維持する方法が無い筈が無い、と言いたいだけなのだ。
お花畑を夢見ている訳では無い。
人間は、野生動物と違って、人類誕生以来育んで来た「智慧」が有るはずである。
その智慧を総動員して、戦いを起こさない平和を追求する事、は至難であれども、それをしないで、安易な軍事力に解決を求める事を、「良しとしない」のです。
そんな事を模索している間にも、敵が攻めて来る、と言う類いの理屈を、私は認めない。
厳に、今回の問題で、中国が攻めて来たか。
実際に国を率いている人達は、夫々に自国の為には利己主義ではあるが、決してバカでは無い。
空想論で国際関係を捉えている人達が、その事が理解出来ないだけであると思っている。
今回は、この点を理論の軸として話を展開するつもりでは無かった。
日本が、日本の政府が、我らを取り巻く政治環境、国際環境の中に有って、如何なる決意を持って対処しなければならないか、を自分なりに模索しようと書き始めた訳でありました。
その事を考えるに、菅直人(仙谷由人)政権は、あまりにも卑小である。
国家存亡の時に当たって、ただ個人的権力維持だけに、かまけている。
極めて卑小なる人々。
国会の討論に置ける、菅直人首相の答弁の「意味の無さ」を鑑みるにつけ、日本の危機を増々もって実感させられる。
小沢氏が「離党も議員辞職も考えていない」と発言された。
このような日本の状況にあって、唯一の光明である。
取り敢えず、離党という「パージ」は避けられた。
ただ「石頭幹事長」が、この問題を検討中と言われている。
問題は、少しも解決している訳では無い。
検察の「暗い実態」が、今回の「証拠改ざん事件」と「陸山会事件」とで、明らかになる事を強く望む。
それに依て、既得権益層が如何に日本の利益を裏切って、卑劣な事を続けて来たかが、
明らかになる事を、強く望む。
その「既得権益層』の為に、マスコミがいかに日本人を悪の道へと導き続けて来たか、が明らかにされる事を切望する。
それに依て、大多数の「洗脳されて来た」善男善女が、物事の事実に目覚めてくれる事を期待する。
日本は、待った無しの状況にある。
その状況に有って、自己の利益維持のみに奔走し、醜い醜態をさらけ出しながら、己達の『矮小さ』に気がつかないで、国益を危機にされし続けている『仙谷菅直人政権』を糾弾したい。
小沢氏を待望する。
ただし、改憲と外国人への参政権付与には、断固案対するものであります。