晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

検察審査会の議決についての一考察/中世魔女裁判と同じ発想で出口無しの閉塞感

2010-10-05 23:55:33 | 政治と社会
何処まで続くぬかるみぞ。

一独独立国の政府が、ここまで国民を裏切り、国を誤る行いしか出来ないなどと、他国の誰に語れようか。

と、嘆き哀しんでいた挙げ句に、とうとう<亡国的最終兵器>が登場した。


『検察審査会』


「怒れる11人」が、決断を下した。
国民が、国民の手で、国民の将来を破壊した。

2010年10月4日。

子々孫々に語り伝えて行く事になるだろう。
「目の前に迫っていた民主主義が、とうとう日本人の手から永久に離れた日」


こんな事になったのは、一体何処に原因が有ったのだろうか。


その前に、今回の「審査会による小沢氏の強制起訴」が、どのような問題点を含有しているのかを、改めて書き出してみよう。

最初は、自民党の「強権発動」に始まった。
森英介法務大臣。

麻生政権の敗退と、政権交代が濃厚になった2008年、「西松」を小沢潰しの具とする為に、森法務相は検察に対して「強権」を発動。
2009年3月に小沢一郎の公設秘書である大久保隆規と西松建設社長の國澤幹雄と西松建設幹部1人が政治資金規正法違反で逮捕された。

ここからは、『ロッキード事件』の再来であった。
新聞テレビ、あらゆるマスコミは、「巨悪の逮捕を求めて」国民を煽り立てる事となる。

東京地検は(ストーリーに沿って強制自白させた)西松建設幹部の証言から、西松建設の迂回献金が胆沢ダムの利権目的であるとして、斡旋利得罪での立件を視野に入れていたが、最終的には起訴にまで持ち込む証拠が全く得られず、斡旋利得罪での立件を断念。

大久保と国澤は政治収支報告書に虚偽記載をした政治資金規正法違反で起訴され、西松建設幹部1人は起訴猶予となった。

結局、小沢氏の代表辞任を伴いつつも、2009年8月30日、政権交代がなされた。


ここからは、事件が「自民党内」の陰謀から、旧体制を形づくり、旧体制に巣食った『利権派集団』全体の共同闘争へと、発展する。

何しろ、「小沢民主党」の掲げた政治目標が、旧体制の破壊であったのだから、堪った物では無い。

日本は「官僚が支配」する。
その官僚達は「アメリカ」の国策へ配慮する。
アメリカは日本から「最大限の利益」を吸い上げる。
官僚組織に寄生する形で、マスコミ人は「有形無形」の利益の分け前にあずかる。


そのシステムは、日銀の金融政策と、それを基にする経団連の経済活動と、マスコミによる国民誘導とが、リンクされた構造体であった。

『政治主導と脱官僚支配』
『アメリカとの対等外交』
『経団連の政府への影響力を無くす、陳情受付制度の変更』
『新聞と放送とのマスコミ企業のクロスオーナー・シップの禁止』
『記者クラブ制度の撤廃』

これらの政策が実行されれば、戦後営々と築き上げて、安住して来た「既得権益受益層」の、総ての根幹が、崩れ去る事になる。

全力を挙げて、阻止すべし。
小沢を潰せ。


さあ、そこからの「反小沢ネガティヴ・キャンペーン』の加速度が一気に上昇した。

2010年1月、現職衆議院議員「石川知裕」を、国会開催直前に逮捕、と言う暴挙に出る。

その根拠が、単なる「政治資金報告書」の記載期日ずれ。
全く同じ「西松」で、二階俊博の秘書が「不起訴」になったのと同じ程の重さしかない事例に過ぎ無かった。

野党が共同提案した『議員辞職勧告案』は、推定無罪の原則を、完全に無視する暴挙であった。


さて、話はここに留まる物では無かった。


政権与党となった『民主党』内部による、小沢外しの陰湿なる陰謀である。

元来民主党内には、「旧民主党」派と、「旧自由党」派との、相容れない感情的しこりが残っている。

特に「旧民主党」勢力は、人数で劣る「旧民主党」に主導権を奪われた、との大人気ない感情がしこりとなって、政権獲得に至るまでに民主党の勢力を発展させた「小沢」に対して、言い得ぬ「嫌悪感」が増幅して行く。

その、人間関係の軋轢の中で、外部から巻き起こっている「反小沢」のウネリは、これ以上無い「有り難い」物であったのだ。

後は、記憶に新しい。

つまり、今回の「強制起訴」に至る経緯は、反民主党守旧派と、民主党内反小沢派との、連合軍が一丸となってのの「総攻撃」であったのだ。

堪った物では無い。

つまり、今回の騒動の原因は、外敵と身内との「挟み撃ち」という事に尽きる。
応援団は、自分では何も考えない「国民」。


敵味方共同して「ネガキャン」張り続けられれば、一介の素人である「検察審査会」の審査部員など、はなっから「洗脳」された状態で望んでいる訳だから、正常な判断など、出来よう筈が無い。

しかも、聞き取り相手が、「起訴出来ずに」苦杯を飲んだ『検察』である。

(以下読売新聞10月6日(水)3時6分配信より引用)
9月上旬には、「起訴議決」を出す場合に義務付けられている検察官の意見聴取を行った。意見聴取では、東京地検特捜部の斎藤隆博副部長が1時間以上にわたって説明。斎藤副部長は「元秘書らの供述だけでは、小沢氏と元秘書らとの共謀の成立を認めるのは難しい。有罪を取るには、慎重に証拠を検討することが必要です」などと、審査員らに訴えたという。
(引用終了)


つまり、検察幹部が、素人に「お願いしている」訳だ。

その前に、「検査審査会」の審査員の選抜の怪がある。

第一回目の「第2審査会」では、最初の募集は「他薦」であったそうな。
その中から200名を「クジ」で選んだ」
次に、その200名を、「個人情報」を基に「検察の意向に添う』と思われる11名を決めた。

第二回目の「第5審査会」では、まず先に「有望者」を選出しておいて、その中から「クジ」で決めた。

伝聞であるが、そんなところであろう。

審査員に法律的な助言をする「審査補助員」も、当然「有る基準」で選ばれる。
しかも、たった一人(乃至二人)である。

一人の法律のプロが、11人の素人に、短期間で「検察側の資料」のみで判断させる。


これが、『国民の声』(前原外相)だとは、私は認めない。


その、システム上の欠陥はさておいて、今回の決定によって導き出される結果は、国の司法制度に、見過ごせない重大な齟齬を生じさせる事と相成った。


◇『特捜部』という、国の最高の捜査権力が「捜査」した結果を、素人が否定した。
つまり、「特捜部」の失態を指摘している訳である。

◇『検察』という「公判維持」機関が「不起訴」とした決定を、素人が否定した。
つまり、「検察」の無能を指摘している訳である。


以上の二つの事実は、「特捜」と「検察」とが不要である、という宣言に等しいのだ。

刑事訴訟法その他への、重大な挑戦であり、逆に言えば司法上の齟齬を来してしまった意外の、何物でもない訳だ。


そして、「強制起訴」の決定理由が、「起訴の決定権が検察のみに有る事」への
異議であったことである。
「国民にも起訴する権利をよこしなさい」と言っている訳だ。

司法体系への、大胆なる謀反。


今回の「強制起訴」決定がもたらす意味については、多くのブロガーの方々が欠いていらっしゃるので、ここで敢えて同じ事を重ねる事はしない。


しかし、整理してみると、恐ろしい結論に到達する。

▷『特捜部』は、検察で有りながら捜査権をも持っている。
▷『検察審査会』は検察の「滑り止め」である。
▷『裁判所』は、検察が起訴した事案は、ほぼ有罪とする。
▷マスコミが、外堀を固める役割を果たす。
▷資金は、某国の活動資金から、潤沢に供給されている。


つまり。

→『検察特捜部』は自分達が捜査するべき「犯罪を見つける」事が出来る。
 =冤罪をでっち上げる事ができる。

→捜査は、検察の描くシナリオに基づいて行われる。
 =冤罪をでっち上げられる。

→取り調べの可視化は為されない。
 =冤罪をでっち上げられる。

→万一計算通りに起訴出来ない際は、『検察審査会』に「頼む事が」出来る。
 
→審査員は、検察の意向で決まる。
 =冤罪画でっち上げられる。

→裁判所は、検察側の証拠はほぼ総て認める。
 =『冤罪が完成する』


さあ、どうする?


もし、貴方が身に覚えの無い罪で逮捕されたとして下さい。

新聞雑誌テレビで、貴方は既に犯人扱いされています。
「自分はやっていない」と言う事を、逮捕された状態のままで、貴方は証明出来ますか?


世間は、小沢氏が「収賄」で起訴された、と思い込んでいる。
恐るべし、マスコミ。
国民の大半を、いとも簡単に洗脳している訳です。


逮捕起訴する側が、「やった」と言う事を証明する事は、証拠のでっち上げなどで、いかようにも出来る。
しかし、やっていない事を証明する事、は至難の事である。

やっていない証拠など、生半にはそろえられない。


誰かを「失脚させよう」と権力が思いついたときは。
権力の意志で、そらが簡単に実行出来るのですよ。


このような制度は、民主主義に有っては、存在させてはならない。


「検察審査会」の設立の趣旨は、たいそう民主的に見えた。
しかし、実際にそれを使う時に、公平なガラス張りの運用でなければ、今回の様な事が、簡単に行えるのです。


14世紀の『魔女裁判』と同じである。

ハメられたら、絶対に助からない。。。


コメント (20)
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