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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『働くということ - グローバル化と労働の新しい意味』ロナルド・ドーア(著)

2006年09月20日 | Book


ロナルド・ドーア著の『働くということ - グローバル化と労働の新しい意味』(2005)を読みました。

扱われている内容は、

 ・イギリス・アメリカそして日本での新自由主義の台頭
 ・労働組合の衰退
 ・従業員のためではなく、株主価値のための企業経営
 ・新しいエリート層―コスモクラット(アメリカでMBAを取り、自国語より英語で話し、自国民より海外の同じ階層と人と交流がある)―の出現
 ・基幹従業員と周辺従業員(派遣社員など)との選別
 ・不平等の固定化
 
といった、最近では馴染みのあるものばかりで、一つ一つの議論に目新しさはないと思います。

著者はイギリス人で著名な方ですが、私はこれまで彼の本を読んだことがありませんでした。ただこの本を読む限りでは、経済的な平等というものの価値を強く信じている人だと思います。

この本の内容で印象に残ることの一つは、著者が経済構造や労働の現場の変化の事例を挙げながら、そこに社会的な倫理の変化を指摘すること。

完全雇用によって「国民」に雇用を確保するという理念が疑われ始めると同時に、アングロサクソン諸国では、企業のトップは平均的な従業員とは比べようもないほどの収入を得ることが当然であるという理念が普及しました。

経済的不平等の広がりというのは、単純に全体の中で上下が半分に分かれることではなく、僅かな上層が社会の富の大半を得ることができるシステムのことを実際には言います。

この企業のトップの収入がその人の能力を公正に反映しているかどうかが問題になります。

雇われる側の従業員の収入は、「労働市場」の需給バランスによって決定されます。そこでは、従業員が文化的に満足のいく生活を送ることを考えて給料が決定されるのではなく、その従業員の企業組織への貢献の度合いが重要になります。

しかしアメリカなどの企業役員の収入は、そのような「市場競争」で決定されるのではなく、役員たち自身の決定で決まります(139頁)。

雇用者と被雇用者のこのような違いは、資本主義が出現した当初から指摘されたことだと思います。ただ問題になるのは、新自由主義が席巻して以降は、経営者が自分たちのこのような特権を十全に活用することにためらいを感じることがなくなり、平均的な従業員の1000倍の収入を得る事態も起きていることです(137頁)。

この役員の収入の決定には、おそらく新古典派経済学者が想定するような「競争」による決定メカニズムは働いていません。従業員の収入は、需給バランスによって「中立的」に決定されているのに対し、役員の収入は恣意的に・感情に影響されて決まります。著者は、「自分の給与を決める報酬委員会のメンバーを、社長自身が任命する仕組み」が多くなったこと、「報酬調査専門のコンサルタントが、各社の経営トップの報酬に関する情報を広く定期的に集め、そうしたデータを、各社の報酬委員会が利用するようになったこと」という事実を指摘します。

このような「報酬調査」を利用している事実は、役員の報酬というものは、従業員の給与とは異なり、需給バランスではなく、社会的な「常識」なり「通念」なりといったものを頼りにして決まることを表しています。中立的に誰もが納得できる給与決定システムがないので、「報酬調査」という統計を当てにします。つまり、「社会規範」によって決まるのであって、効率性を考えて決定されるのではありません。

しかし、従業員の給与はそれに対し、生産手段を持たない労働者と経営者との間で、需給バランスによって「中立的」に価格が決定され、労働者の生活に対する考慮はなされません。

また需給バランスではなく、「報酬調査」という統計から“妥当”な線を探るという、恣意的な金額の決定がなされるにもかかわらず、企業のトップは、それが自らの能力を公正に反映したものだと考えるようになっています。著者はあるCEOの次のような言葉を引用します。

「私のCEOとしての何百万ドルの年収は、会社に対する、したがって株主や社会に対する私の潜在的な貢献の客観的評価を表しています。客観的というのは、取締役会の報酬小委員会が、経営人材市場における世間相場についてヘイズ・コンサルタンツやインカムズ・データ・サービシズなどから、徹底的に市場情報を集めて決めた報酬であるからです。つまり、私の仕事に対する公正な報酬です」(136頁)。

しかし、外部の情報に頼る時点で、経営者の報酬というのは、明確な決定方法というものはなく、「他の経営者もこれくらいだから」という“通念”に頼っていることを意味しているのではないかと思います。

労働組合が力を持っていた時代には、大企業の従業員の年収もそのような「世間相場」で決まっていたのですが、組合がその力を失うにつれて、従業員の年収は「世間相場」ではなく「需給バランス」で決まるようになり、報酬額の決定権を持つ者は自らの給与を恣意的に決めることが可能になりました。

ただ恣意的と言っても、完全に個人の自由で決まるわけではなく、社会的な通念と言うものを考慮しつつ、経営者の給与は決まります。そこで問題となるのは、なぜ新自由主義が席巻して以降は、経営者の給与は平均的な従業員の1000倍以上の額に上ることが社会的に許容されるようになったかです。もちろんその際には、従業員を“リストラ”することで、株主を価値を高めたという理由で、高い報酬を得る経営者も出現しました。

従業員の生活と人生を脅かすことで企業の価値を上げた場合には、賞賛されるような規範が欧米で、そして日本でも生まれました。その経営者の年収で1000人の従業員の生活を救うことができるにもかかわらず。

これはあまりにもマルクス主義的な偏向した考えになるでしょうか。

このような規範の変化の原因として著者は、

 ・戦争にはぐまれた国民的結束の喪失
 ・豊かな社会における社会的連帯の喪失
 ・性的欲望の解放による規範の喪失
 ・女性運動による個人主義の台頭、家族の連帯感の低下

を挙げています。

労働組合が力を持ちえたのは、戦時にはぐくまれた「国民」という観念の強化と、男が妻子を養うという家族の価値が信じられていたがゆえに、すべての労働者(=成人男性)には家族を養うだけの報酬を得る権利があるという社会的通念が生まれ、社会の誰もがそれを当然と考えたため、そのような「世間相場」で従業員の年収も決まりました。

しかし、それら「国民」「社会」「家族」といった価値が失われると(それは労働運動が国民にとって勝ち得た経済的権利がもたらした事態でもあるのですが)、従業員は単なる「個人」とみなされます。

一人の従業員の背後には家族がいるという観念がある場合には、従業員の年収は家族を養うだけの額になるべきという社会的規範の強制力が働き、経営者はそれを考慮せざるを得ませんでした。

しかしもはや従業員が「一個人」でしかなく、彼には守るべきものも何もないとされるとき、その「一個人」は家族といった労働世界以外の世界を維持する生活者としてはみなされず、ビジネスのために利用される一つの「道具」として見做され始めます。

「一個人」は自分のためだけに働く者とみなされ、そのような者に十分な年収を与えるべきという規範は生まれにくいのではないでしょうか。20代、30代の派遣労働者やアルバイトが時給1000円前後で「使われ」、彼らの人生を考慮した給与の決定が行なわれないことは、このような社会通念がもたらした(つまり、私たち社会全体の想念)事態であるように思えます。

個人が個人のために生きることが正当なこととみなされていないのではないかということです。そのため、そのような個人は自分の生活を維持することもままならない給与しか受け取ることができません。

また個人の生活・人生を考慮した給与の決定が行なわれていないことと、経営者の給与が平均的従業員の1000倍にも上るというアングロサクソン諸国での事態とは、つながりがあるのだと思います。つまり、経営者の給与も、経営者という個人の生活を考慮した額とはかけ離れた、およそ“非現実的”な、本来ならヴァーチャルな世界でしか想像できないような数字に設定されているのです。生活を行なうのに必要な額という基準から見れば、周辺労働者の額はそれか遙に低く設定され、経営者の給与はその基準から遙かに高く設定されているのです。

ここには、“現実感覚”というものが失われている事態があります。

この本は、主に従業員という立場の改善というものに主眼を置いた議論がなされているので、企業経営者の視点、創業者の視点というものがありません。それだけに経済的な不平等というものを「不公平」なものと見る視点が強調されている傾向があります。

それが“偏向”なのかどうかはともかく、最近の企業文化と従業員の立場にある人の状況をあらためて眺めるには、議論が上手く整理された本なのではないかと思います。

ただ経営者と言っても、創業で苦労した中で誰もが真似できない創意工夫で競争を切り抜けた人もいるし、借金してでも従業員に給与を払って死に物狂いで経営している人もいます。

だから、この本が想定しているのは、経営者全般ではもちろんなく、すでに巨大組織化している企業や、株式上場で莫大な利益を上げているベンチャーなどを指しているのではないかと思います。このあたりの事情については、私自身もっと勉強が必要です。


参考:派遣業の問題点について『貞子ちゃんの連れ連れ日記』

   ストックの分配による不平等の是正“404 Blog Not Found”


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