joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

文学を読む

2004年08月28日 | Book
本を読むとき、そこに書かれてあることを頭の中に貯め込もうとします。せっかく本を読むのだから、知識を蓄えて、これからの生活に活用しようと思います。本は道具で、生活のためにあります。

生活は、道具を用い、武器を用いて切り開いていくべき荒野のようです。それは未来へと向かっています。

文学を読むときも、わたしは、最初はそういう「利用しよう」という気持ちで本を読んでいます。しかし、読みすすめるうちに、文学は利用するものでも貯め込むものでもないと感じ始めます。文学とは、その一文字一文字で完結している世界であり、それを読んでいるときの私は、未来へと向かっておらず、まさにそのときの時間と同化しているのです。文学を読むことは、未来へと向けて何かを貯め込むことではなく、過去も未来もない世界へと一人で入り込んでいくものであるかのようです。

国際試合の日本人

2004年08月28日 | スポーツ
シンクロナイズド・スイミングで日本チームが銀メダルを取りました。ロシアとの差はぼくにはわかりませんでしたが、専門家には歴然だったのでしょうか。選手の皆さんや関係者の方々はいつもロシアの後にいるのでとても悔しいのかもしれません。その心中は私たちが察するのはむずかしいでしょうが、でもやはり世界で2番目なのですから、本当におめでとうございます。

シンクロにしても新体操の村田選手にしても、演技をする際に「日本文化」をあらわすような曲が使われていました。太鼓などを使ったり。わたしたち日本人にとってはこの日本文化は決して馴染み深いものではないし、もっと西洋的な音楽(?)を使えばいいのに、などと思ったりもします。無理に合わない「日本文化」を表さなくても、と。

ただ、これは、国際試合を何度も積んでいる選手やコーチからすれば、自然な選択なのかもしれません。わたしは一年半ドイツに留学していたことがありますが、そのときは自分は本当に西洋コンプレックスをもった日本人なんだ、と思わされました。同時に、ヨーロッパにいる日本人を見ても、西洋人と友達をつくったりすることで優越感をもったり、他の日本人を低く見たり、あるいは日本人同士で固まってヨーロッパの人のことを噂したりと、自分が日本人でしかありえないことを強く意識させられました。

国際化(死語)とか言っても、日本人のほとんどは向こうの社会に同化できない東洋のサルなのです。

そのドイツにいるときに、日本文化に関する催しがあって、尺八の演奏会がありました。尺八などに私は全く興味がなかったのですが、成り行きでその会場に知人と行きました。しかし、尺八の音を聴いた瞬間、とてもなつかしい感情がわきあがってきたのを覚えています。自分が日本の土地で育ち培った感覚が一挙に湧き起こったのです。

シンクロや新体操などの選手・コーチたちがどういう理由で日本文化的な音楽を選ぶのかはわかりませんが、国際試合の経験を積み、ヨーロッパの選手たちの演技に囲まれることで、自分たちが出せるものはなんだろうかと考えたときに、自然に日本的な音楽にむかうのかもしれません。

なぜありがたいの?

2004年08月28日 | reflexion
「感謝は大事」とよく言われます。でも、むずかしいですよね。わたしたちの意識は惰性で反応することに慣れているので、なにかあっても感謝の感情はなかなか湧いてきません。

そこで、「ありがとうございます、と言うことが大事」だとも言われます。このことについては、いろいろな本で最近は言われていると思います。ありがとうございます、と意識的に言うことで感謝の気持ちがわいてきます。これは、何かいいことがあったときに言うのもいいけど、むしろ何もないときにこそ言うのもいいようです。「ありがとうございます」と唱えること自体が、自分のこころを和やかにしていくのです(詳しくは、野坂礼子さんの一連の本など。例えば『「ありがとう」で願いがかなう不思議な話』)。

これは、ほんとうにそうだと思います。気持ちのいい夕方、静かな夜などに散歩に出たとき、「ありがとうございます」と唱えると、世界の恵みを一身に感じられるようになります。

でも、歩いていてとても疲れているとき、とくに感謝すべきことも見当たらないときなどには、私の場合は、「ありがとうございます」と唱えても言葉が空しく響くだけのことがあります。「ありがとうございます」を口にしても、ただの言葉・記号でしかないのです。

そういうときにわたしが使うのは、「なぜありがたいの?」という言葉です。この言葉は、宝彩有菜さんの一連の著書(たとえば『続 気楽なさとり方』など)で詳しく説明されています。

私たちがなにかに感謝するのは、感謝する理由があるからです。しかし、感謝する理由があらわれるまで待っていては、感謝するチャンスは中々ありません。最初に書いたように、わたしたちの意識は怠慢なので、なにに感謝すべきかに関してよく気づかないからです。

そこで「ありがとうございます」と唱えると、頭が勝手に感謝すべき理由を探し出すのですが、場合によっては「なぜありがたいの?」と自分に聞くことで、明確に理由を頭が探し出してきます。

たとえば、暖かいお風呂に入っていても、それって当たり前のことですよね。でも、そのときに「なぜありがたいの?」と自分に聞くと、こんなタイル張りの部屋で、ステンレスの浴槽で、暖かいお風呂に入れるなんてなんて幸せなのだろう。昔だったらこんな気持ちの言いお風呂に入れなかっただろうし、今でも場所によってはこんなに清潔で快適なお風呂はないのかもしれない。社会が豊かになってくれたおかげで、こんな気持ちのいい思いができるんだなぁ」といろいろと頭が考え出します。ここまで細かく頭が動くことは私にとっても稀ですが、「ああこんなお風呂の設備があってありがたい」ぐらいは思います。そうすると、とても感謝の念がわいてきます。なんだかミもフタもないですが、ありがたいとおもいます。

会社帰りの疲れた帰り道、退屈な時間、つらいことがあったときなど、唱えてみてください、「なぜありがたいの?」と。頭が感謝すべき理由を探し出し、感謝が湧き起こるかもしれませんよ。

こんな素敵な言葉を教えてくれた宝彩有菜先生に感謝感謝です。ありがとうございます。