いま、『平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学』という本を読んでいます。
まだ途中までなのですが、この「うそ」というのは、一市民として礼儀正しくふるまいながら、巧妙に他人をコントロールして自分を思い通りにしようとする人たちのことです。
これは特別な人をさしているわけではなく、どこにでもいる人たちの中に潜む邪悪な心性を描いています。すなわち、一見倫理的に正しく振舞いながら、巧妙な形ですべての責任を他人に押し付け、それによって他人の人生を思い通りにしようとするのです。
読んでいて身につまされました。ここに潜む邪悪さは、まさに誰もが体験していることではないでしょうか。
戦争など目に見える蛮行を悪とみなすのは、間違ってはいなくとも、簡単なことです。
しかし、社会の規範にそって規則正しく生きる人たちの倫理的怠惰、すなわち自分の責任を直視せずに、責任を他人に押し付けることで他人を操る人たちの「悪」は、よほど注意しなければ、こちらがからめとられてしまいます。
著者は言います、他人を支配する人と同様に、他人に支配される人も、その怠惰な態度によって「うそ」に加担しているのだ、と。他人に支配されることで、自分で主体的に生きる責任を意図的に放棄しているのです。
自分の中に潜むもう一人の自分を見つめなおすのに、最適な本のようです。
まだ途中までなのですが、この「うそ」というのは、一市民として礼儀正しくふるまいながら、巧妙に他人をコントロールして自分を思い通りにしようとする人たちのことです。
これは特別な人をさしているわけではなく、どこにでもいる人たちの中に潜む邪悪な心性を描いています。すなわち、一見倫理的に正しく振舞いながら、巧妙な形ですべての責任を他人に押し付け、それによって他人の人生を思い通りにしようとするのです。
読んでいて身につまされました。ここに潜む邪悪さは、まさに誰もが体験していることではないでしょうか。
戦争など目に見える蛮行を悪とみなすのは、間違ってはいなくとも、簡単なことです。
しかし、社会の規範にそって規則正しく生きる人たちの倫理的怠惰、すなわち自分の責任を直視せずに、責任を他人に押し付けることで他人を操る人たちの「悪」は、よほど注意しなければ、こちらがからめとられてしまいます。
著者は言います、他人を支配する人と同様に、他人に支配される人も、その怠惰な態度によって「うそ」に加担しているのだ、と。他人に支配されることで、自分で主体的に生きる責任を意図的に放棄しているのです。
自分の中に潜むもう一人の自分を見つめなおすのに、最適な本のようです。