joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『ペーター・カーメンチント』 ヘルマン・ヘッセ(著)

2004年08月22日 | Book
ヘルマン・ヘッセ著『郷愁』をよみました。

ヘッセといえば『車輪の下』を思い浮かべる人が多いと思いますが、これは『車輪の下』以前に書かれたとのことです。

『車輪』が過去の暗い体験を吐き出したように感じられるのに対し、『郷愁』はもっと成熟した人間が自分の人生の記憶を辿ってたんたんと描写したように感じられます。

なにか一つのストーリーがあるというより、本当にこれまで主人公が体験したことを思い出すように綴っているだけなのです。

自然の描写などは、彼が自然から受けたものがたんなる鑑賞の域を超えた“なにか”であることが伝わってきます。

人から見れば、その自然体験や人物描写は一種のエリート主義にも見えると思いますが、それも嫌味をこえてひとつの文章芸術にまで高められています。これは訳者もすごいのでしょう。

27歳の時の作品だそうですが、一つの域に到達したような、そんな感じがします。ここですでに、いったん人生を受け入れることを学んだようです。

その後ヘッセがどういう彷徨をしたのかも、知りたくなりました。




ちょっとおかしくない?

2004年08月22日 | スポーツ
福原愛ちゃんというのは卓球が上手いだけじゃなくて、スター性というかタレント性がありますね。トークなんてあたまの回転が早くて見ていて面白い。

でも、愛ちゃんと同じく卓球の4回戦に進出した選手は他にもいたはず。僕の知る限りは、その選手たちの試合は、中継はもちろん、ニュースですら見ませんでした。

これはちょっとひどいよ。愛ちゃんに注目するのはわかる。日本に帰ってからいくらでもインタビューすればいいでしょう。

でも、せめてアテネでやってる間でも同じ活躍した選手たちには平等に接して欲しい。だって、その選手たちを支えてきた人たちはその選手の姿を全然テレビで見れなくて、同じ選手の試合ばかり見せられるのだ。愛ちゃんの試合なんて、同じ試合を3回ぐらい再放送していたぞ。

ぼくはアトランタ以降まともにオリンピック中継なんて見てきませんでした。だから僕の記憶にあるオリンピックはロスアンゼルスとソウルです。もちろんそこでも中継されなかった試合は沢山あったのかもしれない。でも、今回のような不公平はあったのだろうか?

オリンピックが商業主義になっていることは仕方がないと思う。そうしなければ五輪は経済的に自立できなかったのだから。

だけど、正直言って、中居くんやさんまさんをアテネでみたいとは思わないよ。これじゃあオリンピックという特別な雰囲気がなくて、テレビ局の(いつもの)安直なバラエティ発想でスポーツの楽しみが半減です。

もちろん選手にとっては、こういうときぐらい目立ちたいだろうし、スター扱いしてもらいたいかもしれないけど。

放送の公共性というものを考えたら民放とはいえ今回の五輪中継には?なのだけど、そんな真面目なことを言ったって無駄なだけかもしれない。でもNHKだったらもっと平等に試合中継すべきなんじゃないでしょうか。