joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

英単語の木

2007年03月02日 | 絵画を観て・写真を撮って
先日、みんなでつくるフォトライブラリーを通じて、ある会社から私の写真を商用に利用したいという連絡をもらいました。その写真は 赤い手袋 を撮ったものです。

自分の撮った写真を多くの人に見てもらえるのは、ありがたいことです。

英単語の木 という開発中のソフトウェアに使われる(予定)とのことです。英語を勉強されている方で私の写真を見ることがあれば、

「あぁ、これがあの涼風の写真か」

と心の中でつぶやいてください。

陽の光

2007年02月06日 | 絵画を観て・写真を撮って

             公園の階段と街燈


立春になり、戸外がとても白く晴れ渡るようになったように感じます。

秋から冬にかけて写真を撮っていると、陽の光というものがとても貴重なのだなと思わされます。曇りの日も多いし、晴れだと思っていても時間が経つと曇りになっています。光があったほうが気持ちよく写真が取れるのですが、いつもそうなるとは限りません。

それがこれからは日照時間も増え、陽の光も白く外を照らすようになっていくのかもしれません。

同じ太陽の光でも、季節によって色合いは違うのでしょうか。今までそういうことは気にしたことはないのですが。注意してみたいと思います。

中・北欧や東欧は気温が寒く、冬などは夕方の4時には暗くなり、朝の9時まで暗闇が続きます。

その代わり夏はたしかに日照時間が長く、夜は11時くらいまで明るいこともあります。でも、寒い地方なので、全体的には空は暗く鉛色の時間がとても長い印象があります。

そのため向こうの人は、少し晴れ間がのぞくと、みんな家から出てきて公園にゴザ(?)を引いて日向ぼっこします。

私たちには当たり前の太陽も、彼らにとってはとても貴重な時間なのです。

あちらでは冬の夜のランプがとてもいとおしく感じられるのは、そのせいかもしれません。


甘くはない

2007年02月04日 | 絵画を観て・写真を撮って

             「夕暮れの公園で散歩」

             
Flickrがフォトシェアリング・サーヴィスとして便利だったので1ヶ月ほど使っていたのですが、掲載画像が200枚以上を超えると有料サーヴィスになることが分かりました。

1ヶ月2ユーロだから300円ほど。

やっぱり世の中にタダなものはないですね。いや、あるのかもしれないけど、しっかりしたサーヴィスにはやはりお金がかかります。世の中甘くはなかった。

うーん。

他の無料のフォトシェアリング・サーヴィスを見つけて、またそこに一枚一枚画像を掲載するのも面倒だなぁ。

「みんなでつくるフォトライブラリー」は、画像登録から審査の通過までかなり時間がかかるし、また自分が気に入った写真でも審査で不通過になる画像もあるので、kこれもうーんという感じになることもあります。

Yahoo!フォトはとてもデザインがゴテゴテしているんですよね。広告がたくさん入るし、有料なのにとても使い勝手がよくない。

うーーん。うーーん。

なんだか頭がこんがらがってもうどうにでもなれっ!と思います。何もしなければどうにもならないけど。


カメラが変わると / 写真を選ぶ

2007年01月31日 | 絵画を観て・写真を撮って

             「水面にうつる人々」


「カメラが変わると」

以前誰かがネットで、カメラを換えると撮る被写体も変わると言っていました。今の僕は日常の風景ばかり撮っているけれど、それはコンパクトデジカメを使っているからかな。一眼レフを使うと、もっと大自然の風景を撮りたくなるのだろうか。

大自然の写真を見ても、僕は感動することは少ない。それは、大自然の写真はあまりにも多いので見慣れているからだと思う。大自然の写真で、でも人を感動させる写真を撮ることは可能なのだろうか?あるいは、大自然の写真で、人を感動させる写真を撮っている人はいるのだろうか?僕は写真家で知っている人は少ないから、きっといるとは思うけど。

あるいは、カメラをもっといいカメラにすると、同じ日常の風景でも、もっと今とは別な様に撮るようになるのだろうか。

コンパクトデジカメのいいところは、外出しているときに、ふと気づいた場面を手軽に撮ることができる点です。でも、一眼レフだと「さぁ、これから写真を撮りに行くぞ!」と気合を入れるのだと思う。そうすると自然に撮る被写体も変わってくるだろうか。それとも、日常的に一眼レフとレンズをいつも持ち歩いている人っているのだろうか。仕事や別の用事で外出していても、いつも一眼レフを持ち歩いている人って。


「写真を選ぶ」

現像したりネットにアップする写真を選ぶとき、以前のパソコンに取り込んだ写真を見直します。撮ってすぐ「これはいいぞ」と気に入った写真は当然ネットにアップします。

面白いのは、撮ったときは気に留めなくても、大分経ってから見直しているときに「これはいいかも」と思い直して、よく見るとますます気に入って、最初「これはいいぞ」と思った写真よりも気に入るようになることがあること。

撮った直後で見るときの感覚と、大分経ってから見るときの感覚が違うのです。

どちらがいいとは言えないけれど、時間が経ってからじわじわ「これはいいなぁ」と気に入るようになる写真があるのです。


曇りのときのフォトグラフ

2007年01月21日 | 絵画を観て・写真を撮って

             「遊具、銀杏の木」

晴れてくれていれば、バチバチ写真を撮りたかったところですが、あいにく今日は曇りのようです。

陽が射しているときと曇りのときとでは、もちろんが晴れのときのほうが写真は撮っていて楽しいものです。

曇りのときに写真を撮っていると、なんだか気分がすぐれないし、楽しんで写真を撮っているのか、仕方なくやっているのかわからなくなります。しかし、じゃぁ曇りのときでは自分の気に入った写真を撮ることができないのかと言うと、そういうわけではないところが面白いところです。

逆に晴れの日に、陽が射して気持ちよくカシャカシャしていても、後から見れば気に入った写真がないと言うこともあります。

写真を撮る楽しみと、現像した写真を見る楽しみは、別かもしれない。

auWIN

2007年01月12日 | 絵画を観て・写真を撮って

             “Stairs, Japanese Pampas Grass, Bicycles”


以前お伝えしたように、私が撮ってこのブログにも載せた写真の一部を、『みんなでつくるフォトライブラリー』というサイトに掲載してもらっています。

このサイトには誰でも画像を登録することができ、また誰でも他の人が掲載した画像を自分のパソコンでダウンロードできます。

(最近はこのサイトではなく、“Flicker”というサイトに画像を掲載してもらっています)

その『みんなでつくるフォトライブラリー』を通して、先日、株式会社meadiaというKDDIの子会社からメールをいただきました。それによると、『みんなでつくるフォトライブラリー』に掲載してもらった私の写真の一部を、auの携帯サイトで使いたいとのことです。私は「いいですよ」という返事を出しておきました。

いただいたメールによれば、画像が使われる場所へのアクセス方法は、「auWIN端末より EZボタン>トップメニュー>ライフ>住まい  その中の「住まい」というジャンルの、人気の街紹介コーナー」でたどり着けるそうです。

私はauの端末はおろか携帯すら持っていないので、本当に使われているのか確認できないのですが、もしauの携帯をもっている方がいたら、お暇な時にでも見てみてください。

使われる(予定の?)画像は、以下です。

http://www.photolibrary.jp/img28/4839_66010.html

http://www.photolibrary.jp/img28/4839_66851.html

http://www.photolibrary.jp/img28/4839_66923.html

http://www.photolibrary.jp/img29/4839_70779.html

携帯のサイトはパソコンでは見れないのが残念。けど、自分の写真を掲載してもらえるのは嬉しい。見た人は「あ、涼風の写真だ」と心の中で呟いてください。


涼風




家の周りの見えない線

2007年01月06日 | 絵画を観て・写真を撮って
              “Bicycle on the ground in the evening sun”


写真を撮っていると、住宅街、それも比較的裕福そうな住宅街というのは、歩いていてとてもつまらなく感じます。

以前、東京のある高級住宅街の近くに住んでいたとき、僕はその周りを歩くのが好きでした。それは、大通りが気持ちが晴れ渡るようにすっきりした場所だったというのもあるし、その小奇麗な住宅街を歩いていると、豊かさを感じて楽しかったからです。

でもカメラを持ちながら歩いていると、高級(とまではいかなくても、少なくとも中流の)住宅街は、見るべきものもなく、ただ退屈です。また、歩いていると、家と道がはっきりと区分けされているように感じて、そのような住宅街に面した道はとても寂しく感じます。

それに比べて、それほど裕福じゃない家々や、寂れたコンクリートの団地は、歩いていて、家と周りの世界との間の敷居が低く感じます。

これは、お金をもっている人とお金を持っていないように見える人への僕の偏見なのだろうか?お金を持っている人には疎外感を感じ、お金を持っていないように見える人には上から見下ろしているような態度を取ってしまっているのだろうか?


お金がある人の家が集まっている所は、すべてがきれいに区画され、建物がしっかりしているので、建物と庭が“私有地”となっていて、その家と世界との間にはっきりとした見えない線が引かれています。

お金がなさそうな家々は、その家と別の家との間の境界が曖昧に感じて、草や花もレディメイドされたものではなく、自然に生えたものが多く、それだけ世界の一部のように感じます。


この感覚は何なんだろう。


涼風

肉眼と遠近感

2006年12月21日 | 絵画を観て・写真を撮って
             “Plants in front of the Apartment Complex in the Evening Sun”

インターネットでハイアマチュア(僕にはそうみえる)の人の写真を見ていると、一眼レフの威力をまざまざと思い知らされます。とりわけ、人の顔を撮る写真などは。

一眼レフ一眼レフと言っても、実際にどういうところが凄いのか?僕にとってどう役立つのかはわからない。使ったことがないから分からなくても当たり前なんですけど。

一眼レフを使った他の方の写真を見ると、それは写真に奥行きが出るという点が、大きな特徴の一つかな、と思える。それは、私たちの肉眼が感じる以上に、(不自然とさえ言えるほど)画面に立体感が出て奥行きを感じさせる。

それに比べれば、コンパクトデジカメの写真は、平面的過ぎるかもしれない。

しかし、一眼レフを使ったから、肉眼で見たように写真を撮ることができるというわけではないのかな?むしろ、画面の立体感、奥行き、広がりなど、「一眼レフ」(のレンズ)独特の見方ができるようにということかもしれない。

コンパクトデジカメを使っていても気になるのは、風景を撮るとき、自分が気になった被写体は、肉眼には目の前に迫ってくるように感じるのに、カメラの液晶画面を通してみると、肉眼以上に遠近感を感じさせる絵になっていて、肉眼で感じた迫力を再現できないように思えることです。

こういう違和感は、しかし一眼レフを使ったから解決されるというものなのだろうか?むしろ、それはカメラ全般に共通する特徴(難点?)なのだろうか?一眼レフを使えば、遠近感がより強調された絵になるような気がする。


涼風

いい5分

2006年12月19日 | 絵画を観て・写真を撮って


ある曇りの午後に、写真を撮りに歩いていました。

その日の午前中は晴れだったのですが、午前中からいきなり写真を撮りに外に出るという気にもなれなくて、午後になってから外に。しかし、その頃にはすでに空は曇りです。

曇りでも、そのうち空から光が差すのではないかという期待を持ちながら歩いていたけれど、ちっとも光は出てこず、イライラしてきます。

そういうときは、さっさと切り上げればいいのに、結局だらだらと不快になりながら、カメラを持って歩きます。結局1時間以上歩いても、いい気分にはならずに、とりあえず写真を撮って終わりです。

ものすごい時間を無駄にした気がします。こんなことなら、午前中のうちに外に出ればよかったんじゃないかと。


今朝、所用で車で少し家から離れたところに行きました。5分ほど時間があったので、少し歩きました。クルマがぶんぶん走る殺風景な郊外ですが、民家の中に少し入ると、小さな川が流れ、雑草が生えています。その川の光を見、音をきき、草を見ていると、なんだかほっとします。とても晴れていたので、日光も気持ちいい。そこで何枚か写真を撮りました。

できあがりの写真を気に入るかどうかはわからないですが、1時間もウンウン唸りながら歩くよりも、5分のちょっとした朝の時間に日光を感じてシャッターを押すことのほうが、とても癒された気がします。


涼風

一眼レフ講義

2006年12月16日 | 絵画を観て・写真を撮って
               “Sea in the Evening Sun”


USBメモリを買いに家電量販店に行ったついでに、カメラのフロアに行き、一眼レフを観てみました。

もちろん一眼レフはとても高いし、真剣に購入を検討するのではなく、憧れの品を手にとってうっとりしようと思って。

一眼レフって、ボディとレンズは別だと知っていましたか?私はずっと知らなかった。

ボディ(本体)の値段+レンズの値段が購入にはかかるのです。

例えば、最近の一眼レフではエントリーモデルでは6,7万円のものもありますが、それでオッケーなわけではなく、+数万円するレンズを買う必要があるわけです。結果的に、一眼レフを使いこなそうとすると10万円から20万円ぐらいかかり、レンズの種類も豊富なので、一つレンズを増やすごとにウン万円かかるのです。ひぃーー。

私は初心者に向いていると言われている某メーカーの一眼レフを手に取ってみました。またそのカメラのカタログなどを見てゴソゴソしていると、店員さんが来て「何かお探しですか?」と言われました。

買う気はないので遠慮するべきなのですが、思わずカメラについていろいろ質問してしまいました。

するとこの店員さんも、仕事柄かカメラに詳しく、また接客態度も慣れていて気持ちよくハキハキしていて、じつにいろいろ教えてくれました。

彼によれば、一眼レフでは「初心者向き」と一概に言えるカメラはないとのこと。レンズの手入れが簡単だとか、ボタンを押せばいい写真を簡単に撮れるとか、子どもを撮るとか、風景を撮るとか、一眼レフは目的に応じていろいろなタイプがあるので、純粋に「初心者向き」と言えるものはないそうです。

素人からみれば値段の安いものが「初心者向き」に見えますが、その店員さんによれば、むしろ素人さんには安いものは薦めないそうです。安いということは、それだけ使う側が色々と設定して撮影しなけれならないわけだから、むしろ玄人に向いているとのこと。

「予算のことを考えなくていいのであれば、極端な話、初心者には50万円のカメラがいい場合もあります」

ともおっしゃってました。

また一眼レフを買う場合には、レンズが重要で、本体の機能だけではなく、自分の撮りたいものと相性が合うレンズを選ぶことが重要だとのことです。

いろいろと話していて、わたしが、自分は日常の戸外の風景をよく撮る、人物よりも自然の風景を撮ることが多い、と言うと、それではということで、その店員さんは私にベストな組み合わせとして、某メーカーのカメラとレンズを教えてくれました。まぁ、そのお値段は天文学的な数字なのですが…

でも、詳しくカメラのことを教えてくれた店員さんに感謝です。


涼風

「エコール・ド・パリ展」

2006年12月11日 | 絵画を観て・写真を撮って

             “Triangles, Trees and Apartment Complex”


昨日は兵庫県立美術館の「エコール・ド・パリ展」へ行って来ました。

県立美術館は三ノ宮から二駅ほど行った所にあるのですが、三ノ宮では前にも言ったように今「オルセー美術館展」がやっています。ちょうど同じ時期にフランスの美術展をやっているのは、わざとタイミングを合わせたのかな?

「エコール・ド・パリ展」の絵は、ちょうど「オルセー美術館展」の印象派の次の時代の絵が多かったみたいです。詳しい解説や案内を読んでいないのですが、作者の生年-没年を見ても、19世紀後半に生れて20世紀半ば頃に没した人が多い。

出品されていた絵の作者は、ルソー、ドラン、モディリアーニ、キプリング、藤田嗣治など。絵画の素人の私は、それらの名前は聞いたことのある画家たちの絵をもちろん初めて観ました。

「オルセー美術館展」の印象派の絵が、現実に対する感情・感傷をそのまま絵画にあらわしているように感じたのに対し、こちらの絵は、もっと微細に絵を描くという行為を反省的に眺め、現実に対する感情をより客観的に眺めているように見えます。

現実の表面的な部分だけを見ていたらとても想像がつかないような形で絵は描かれているのですが、そのような「現実にはありえない」と思える形をした絵は、しかし観るこちらの目を絵から逸らさずに捕まえて話さないときがあります。

そういう絵は不思議ですね。へんてこりんな絵なのに、何か引き込まれてしまう。引き込まれると言うことは、見る側のこちらの何かが反応しているわけですから、やはりそれらの絵は現実を反映しているのです。

ルソーは、最近NHKで特集をしていたこともあり、少し知っていました。何か形容し難い絵ですね。紙芝居のようでもあります。でも単純な絵でもない。色は暗いけれど、雰囲気は暗くない。ユーモアがあるようなないような。

モディリアーニは、わたしは「青い目の女」が一番印象に残りました。じっと、いつまでも見ていても飽きません。

いいなと思った画家の一人がキスリング。色の使い方が繊細なのかな。キスリングの傑作として「スウェーデンの少女」が紹介されていたけれど、同じ人物がならむしろ私は「赤いセーターの女」に惹かれました。でも一番いいと思ったのは、「プロバンスの風景」かな。とても印象に残る緑色と、自然の形です。

スーティンの「マキシムのボーイ」は、最初は何も思わなかったのに、後で観るとじわじわと味わい深いものに感じます。同じくマリー・ヴァシリエフの「ダンス」も。

プランの「二人の裸婦」は、いつまで観ていても飽きません。単純な構図に見えるのに、何か見ていてホッとするような、穏やかさがあります。


神戸のような地方都市にいても、こういうように名画を観れる機会があるというのは、恵まれています。


涼風


どこを撮ろう

2006年11月28日 | 絵画を観て・写真を撮って

             “Street in the sun”


今日は曇り時々雨という予報だったのに朝は見事に晴れている。昨日まで雨が降っていたので、雨に濡れたアスファルトに日光が反射してきれいかな?

昨日の読売夕刊に、ドキュメンタリーに関する一般の人の論文や写真の応募作品の中から優秀なものを紹介してありました。

写真は一点だけ紹介されていたけれど、ヴェニスの街に海の水が満潮になって町全体に水が溢れそうになり、観光客が残った狭いスペースの地面に立っているところを写したもの。

選考員のプロの写真家の人はその写真を「撮る人の観点・考えが写真に現れていて、これはいいなと思ってパチリと撮った写真とは違う」と論評しました。

うーん。ずーっと写真に携わっていると、普通の人とは違う観点をもつようになる、ということでしょうか。

でも、写真に限らず、何に携わるにしても、そのときの自分の感覚に忠実なほうが、へんに玄人ぶるよりはよほどいいでしょう。

私が撮る写真は自分の生活圏の中で撮っているけれど、最近は以前住んでいた場所や、行ったことにある場所の写真を撮りたくなってきた。

私はその地域独特の風景、例えば神戸ならメリケンパークとかポートタワーとかを撮ったことがないし、その点ではその地域の観光地などを撮っていないから、日本のどこの場所に行っても、出来上がる写真はあまり変わらないかもしれない。

ただそれとはべつに、以前住んでいた場所のどういうところを自分は写真に撮るだろうか?という興味があります。

東京には5年ほど住んでいたけど、今東京に行ったらどういう所を撮るかな?やっぱり住宅街や公園で自分の気に入る風景を撮ると思う。

東京を舞台にした写真というのは、都心部の「猥雑さ」を強調するものが多い印象がある。

それもそうだけど、東京というのは、例えば大阪に比べてとても緑が多く、街の中に緑が溢れている場所でもあります。歩いていて気持ちがいい場所もあるし、平面的で退屈な場所もある。欲望や優越感でぎらついた場所もあれば、のっぺりして寂れた場所もある。

うーん。


涼風

『みんなで作るフォトライブラリー』

2006年11月24日 | 絵画を観て・写真を撮って


photolibrary みんなで作るフォトライブラリー』というサイトがあります。写真好きの人が画像登録して、有料orフリーで誰もがその画像をダウンロードできるシステムのサイトです。

このブログに載せた写真も画像登録してみました。

涼風のプロフィール

現在掲載していただいている画像はフリーでダウンロードできますが、審査待ちの画像には有料のものも加えました。

このブログよりも大きめのサイズで写真を見ることができるので、お暇な時にでものぞいていただけるとうれしいです。


涼風