joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「人生も仕事もやり直せる 弁護士・宇都宮健児」『プロフェッショナル 仕事の流儀』

2006年02月08日 | テレビ
ベストセラー『ユダヤ人大富豪の教え』の中で、ユダヤ人の大富豪が日本の青年に世の中の職業の中で「自由人」と「不自由人」の区別を教える箇所があります。

その区別は大まかに言えば、従業員(たとえ大企業でも)や自由業(個人経営)は不自由であり、(働かなくても)自動的にお金を生み出すシステムをもっている人が「自由」だと大富豪ゲラーさんは教えます。

この「不自由」な職業には医者や弁護士という一般的にはエリートと思われている職業も入ります。しかしゲラーさんからみれば、これらの職業も、自分がつねに働いていなくてはお金が入ってこないため、一種の「不自由」な職業だと言います。

彼らの年収はたしかに多いのですが、“すべて自分で稼ぐ”というスタイルでお金を稼いでいるので、つねに働く必要があるそうです。

また“すべて自分でやる”という完璧主義のメンタリティをもっているために、その攻撃性の捌け口として、稼いだお金をプランもなく贅沢品につぎ込んでしまう傾向があるとゲラーさんは言います。

青年はゲラーさんに次のように言います。

「なんか、悲しいですね。医者や弁護士になっても幸せになれないんですか?」

「もちろん、そんなことはない。医者や弁護士にも幸せで素晴らしい人たちはたくさんいる。わたしの友人を見ても、それが天職のように喜んでやっているのがいる。でも、彼らの多くは質素な生活をしている。自分のやっていることを深く愛しているので、自分を飾り立てたり、贅沢品で身の回りを固めたりすることに興味がない」(48頁)。


昨夜のNHKNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、「人生も仕事もやり直せる 弁護士・宇都宮健児」でした。闇金融で借金地獄に陥った人を助ける弁護士さんについてのレポートです。

簡単に言えば、闇金融の利息は違法に高いため、法律に訴えれば闇金から借りたお金は返さなくてもよくなるそうです。宇都宮さんはそのことを多くの人に伝えて、被害者を助ける仕事をしています。

(内容はサイトに詳しく書かれています。)

番組では直接に宇都宮さんに年収を聞いていました。彼の年収は1千万。弁護士としては決して高い額ではないとのことです。

印象的だったのは、宇都宮さんが本当に現在の仕事に満足していることが伝わってきたことでした。

もちろん彼にとってもお金は大事でしょうが、不必要に高い年収は必要なく、それよりも仕事・行動自体が彼を充足させているのです。ヘンに謙虚ではなく、本当に淡々と・しかし充足して自分の仕事に取り組んでいます。その顔からはオーラが漂ってきます。

本田健さんは、その人が「天職」(ライフワーク)をしているかどうか見分ける基準は、そこに「静かな情熱」があるかどうかだと言います。

「なにかをやっているとき、ワァーッと興奮していると、一見ライフワークのようにも見えます。しかしそれはワクワク中毒でやっている可能性もあります。人生で直面すべきことから目をそむけ、気をそらすために次々と新規のビジネスを追いかけている人がそうです。

ライフワークを生きている人は、どちらかというと、一見静かで内なる情熱の炎が燃えています。その情熱は消えることなく、ずっと持続しているものです。一時的にワァーッと燃えるような情熱は、しばらくすると消えてしまうものです」『「ライフワーク」で豊かに生きる 』

この「静かな情熱」が宇都宮さんからは身体から滲み出いてました。

彼は被害者から少額の弁護料をとり、数を多くこなすことでお金を得ています。「効率」という観点から言えばラクではない仕事の仕方ですが、一人一人の被害者を助けていくこと自体が彼の内面を満たして行っている感じでした。

チクセントミハイのいう「フロー」な状態とは、まさにこういう状態なのではないだろうかと思えました。

面白いのは、彼は大学在学中に司法試験に合格したエリートでありながら、営業が下手なため弁護士活動に行き詰まり、31歳のときに事務所を解雇され、一時は税理士専門学校で講師をして食いつなぐという挫折を味わっていたこと。またそのことがきっかけで、誰も手を出さない、つまり儲からない闇金融の被害者の弁護を引き受けるようになったということ。

人生で最悪のときに人生で最高のものに出会っていたという印象的なエピソードでした。

今日の夜1時10分に再放送がありますので、興味のある方にはぜひ見て欲しい宇都宮さんの姿でした。


涼風

「チェチェン紛争 市民の証言」『BSドキュメンタリー』

2006年01月21日 | テレビ
今日、お昼にBSのドキュメンタリーで 「チェチェン紛争 市民の証言」という番組をやっていました。

内容は、チェチェン武装勢力を攻撃する過程で、明らかに罪のないチェチェン市民をロシア軍兵士が虐殺している事実の告発です。

ソ連崩壊後のチェチェンの独立をめぐりロシアは「チェチェンはロシアの一部」として独立を認めない方針を採ってきましたが、それに反発する「テロ組織」とロシア軍との戦争が90年代に続きました。

しかしその戦争でロシア軍はチェチェン市民の街を破壊して大量の難民を産み出します。またチェチェンの一般市民に対しても暴行・殺害・強姦を繰り返してきました。


戦闘状態に置かれた兵士がすることというのはどこでも同じものなのだと思います。ロシアでもイラクでも、そして「満州」でも同じことが行われたと想像することは容易です。

日本軍が特別罪深いと考える必要はないかもしれませんが、日本軍は占領地でも理性的に振舞ったと考えるのも無理があります。他国に軍隊を送ったという事実で、何が起こるかを常識的に判断すれば、ロシア軍やアメリカ軍より日本軍はいい人だと考えるのはおかしいでしょう。

どんなに自国では善良な市民でも、軍服を着せられ銃を持たされれ敵地に乗り込めば、とる行動は似てくると想像するのが、理にかなっています。

涼風

「ひたむきに“治す人”をめざせ 小児心臓外科医 佐野俊二」『プロフェッショナル 仕事の流儀』

2006年01月18日 | テレビ
昨日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』では、小児心臓外科医の佐野俊二さんが取り上げられていました。内容は、小児心臓外科というひじょうに困難で危険な分野で佐野さんが懸命に医療に携わる現場を追ったものです。

病院の組織などを扱ったものではなく、医者である佐野さんが一心不乱に働く姿を追ったものなので、新しい視点といったものはないように感じましたが、やはり命を扱う仕事の責任の重さをこの医師の先生は感じているということが伝わり、それなりに見応えがありました。

一つ印象的だったのは、この方は現在では小児心臓外科で天才と言われるほどの人だけど、32歳を過ぎても医者として不遇に扱われていたという事実。同期や年下の医師が出世していく中で、メスも持たせてもらえず、ずっと成果をあげることができなかったそうです。

そこから彼は世界的な権威の先生のいるニュージーランドに留学し、そこで失敗を重ねながら、今の地位についたようです。

私たち世の中はどうしても“若き天才”というものに憧れ・嫉妬します。しかし実際は、世の中の殆どの分野では“若き天才”というものは生じにくいものだと思います。

彼は教え子を育てる上でも、彼らに簡単にはメスを持たせません。自分が味わった医師の責任の重さを感じてもらいたいからだそうです。番組では、8年間も手術をさせてもらえず下積みをしている研修医に佐野さんがついに手術を任せる場面がありました。

その研修医が30歳を過ぎても薄給であるという組織の問題はもっと問題視されたほうがいいと思いますが、医者になっても10年近くメスをもたせずに弟子を育てるという姿勢は印象的でした。


涼風

「信じる力が人を動かす 経営者・星野佳路の仕事」『プロフェッショナル 仕事の流儀 』

2006年01月12日 | テレビ
おとついの夜に『プロフェッショナル 仕事の流儀 』というNHKの番組を見ました。ビジネスの現場の事例を紹介する番組です。番組紹介では 

《「プロジェクトX」は過去の業績に光をあてましたが、「プロフェッショナル」は、今と未来を描くドキュメンタリー。現在進行形だからこそ、現場発の「仕事に役立つ情報」と、視聴者のみなさんが「自分も頑張ろう」と思えるような「明日への元気」をお届けします。》

と述べられています。

僕は『プロジェクトX』をそんなに見ていなかったけど、番組の狙いはすごくいいと思っていました。ビジネス書で取り上げられるような成功事例を映像化して見せてくれるのだから、視聴者にとってラクに情報を得られる番組だと思ったのです。

しかし、取り上げる内容が良くても、あの演出方法やナレーションは、せっかくの事例を台無しにしているように思いました。

だから、演出をもっと真面目にすれば長寿番組になるとも思っていました。この『プロフェッショナル』はまさにそんな番組です。

初回の事例は、リゾート再生会社の社長の人の使い方です。負債を抱えた旅館・ホテルなどをいかにして建て直していくかが扱われていました。

その取り上げられていた再生の方法は、社員に権限を与えてどんどん自身の最良で仕事をさせること。会議でも社長は決定を下さず、すべて社員同士で結論を出させます。

彼・星野さんがこういう方法を採るようになったのは、家業のホテルを継いだときに大量に社員に辞められた経験があったため、どうすれば社員に会社に残ってもらえるかを考えた結果だそうです。

彼が出した答えとは、社員に仕事にやりがいを感じてもらうこと。しかし給料を上げるわけにも休みを増やすわけにも行きませんでした。そこで最終的に残った手段は、社員に仕事を与え、その決定権を社員に委ねることでした。給料でも休みでもなく、仕事を与えることにしたのです。

ただ、番組を見ていると、一方的に社員に決定権を与えているだけではなく、議論の結論は社員に出せますが、その結論を出させるためにどう議論すればいいかを星野さんは社員達に提示していました。

例えば負債を抱えた伊東の温泉の社員も、再生のためにどうすればいいか話し合おうとしても議論を切り出す人はいません。

そこで星野さんは、この温泉の主要客は誰なのか、そのお客は何を求めて温泉に来るのかについて材料を提示しました。するとそれだけで社員達は、与えられた問題には自分達で答えを出そうとしました。

このプロセスはまるで“お話”みたいで出来過ぎの物語に思えました。しかし、ともかく星野さんのしていることは、問題とそれに答えるためのデータは提示しますが、そこから引き出す決定はすべて社員に任せること。同時にその結果に対しては星野さんが責任を取ることでした。

社員達は、いつの間にか自分で答えを導き出し、様々なアイデアを活発に出し合っていました。

星野さんにとって経営とは、いかに社員に面白く仕事をしてもらうかにあるようでした。そうするのも、彼が、会社に社員に残ってもらうことがどれだけ大事かを、家業を継いだときに身に染みて感じたからそうです。


涼風

参考:「『人材は「不良(ハミダシ)社員」からさがせ―画期的プロジェクト成功の奥義 ブルーバックス』」“joy”

お正月 「弓ひとすじ」

2005年01月02日 | テレビ
1月2日です。きょうはお昼に姉夫婦と小学5年生の姪が来ました。父と母、私と6人で手巻き寿司をたべました。

姉には「おめでとうございます」と言われたのだけど、なんか丁寧語で挨拶する気にもなれず、心の中で「うん」と言ってわたしはお膳にすわりました。失礼といえば失礼だけど、彼女とは元々仲はわるくないので、あまり気にはなりません。

姉の家族が来ると食卓がにぎやかになります。テレビに映る芸人を見て、その三人家族はじつに色々なコメントをします。きみたちはいつも一緒にテレビをみてるのか!とツッコミを入れたくなります。

その賑やかさにつられて、父も姪と一緒にはしゃぎます。私たち家族は概して無口なのだけど、元来は陽気でありたい父は姪と話すときは元気になります。もっとも、この姪はめちゃくちゃ喧嘩っ早いので、二人は本気で喧嘩することも多いのだけど。まぁ、仲がよい証拠と思っておきましょう。

この姪はたまに一人でうちに来るのだけど、一緒にご飯を食べていると「この家はみんな全然しゃべらへんなぁ」と言っていました(笑)でも成人した子どもと親の家族でにぎやかにテレビを見る家族なんてあるのだろうか?

一緒にご飯を食べていて感じたのは、じぶんが何も変わっていないと思ったこと。イタリアの社会学者フランチェスコ・アルベローニは、「成長とは、人生のなかで様々な役割を身にまとっていくこと」と言っています。つまり、子どもから成人へ、親へ、と自分の成長にしたがって役割を変えていくことが大切だという意味です。言い換えれば、いつまでも子どもの役割を演じていてはだめだということです。

これは具体的な役割の変化(子から父へ)ということもあるし、精神的に役割を変化させる(依存的で無責任な人間から独立独歩の人間へ)という意味もあるでしょう。

アルベローニのそんな言葉を思い出して、なんとなくバツがわるい感じもしました。


ご飯を食べた後、とてもきれいな空気の空だったので、本当は外出をしたかった。天気のいいお正月というのは神聖な感じがします。その神聖さにふれたかったけれど、きのうの寝不足から午後はふとんをしいて寝ていました。


夕食時、とても悲しい感情が襲ってきました。自分にまつわることを想い、とても体が悲しい反応をしていました。

ちょうどそのときに、NHKではイギリス人の弓道家と日本人の弓師との交流を描いたドキュメンタリー「弓ひとすじ」をしていました。とくに凝った構成ではなく、二人の弓に対する想いや弓道家の方の八段審査を受ける過程をつづったものです。

すこし興味深かったのは、弓の審査では弓を射る前後の作法も重要のようなのですが、そのときの精神状態、心の落ち着きがもっとも重視されます。そういった弓の「精神」を語るときに、弓道家オブライエンさんが主に英語を使いながらも、微妙なニュアンスを伝えるときは「こころ」など日本語を用いていたこと。そのとき日本語を使うのはとても自然なことのように感じました。

年末年始にこういう静かなドキュメンタリーをみると、なんだか胸がしめつけられるような感じになります。それぐらい、31日と三が日は、わたしたち日本人にとって今でも特別な時間のような感覚を喚起するのでしょう。その特別さとは、ちゃんとしたひとでいなければならない、みたいな自然な規範の感覚です。

賑やかなバラエティをみていると現実逃避できるけど、お正月に人の心の機微に触れるようなドキュメンタリーをみていると、なんだかこころが冷たさに支配されるようです。なんだか、自分をちゃんと振り返らないといけない、みたいな、シュンとした気持ちにさせられます。

そうしたドキュメンタリーをみたり、テレビを見る前にわきおこってきた感情のこともあり、夜はたくさん悲しみの感情が出てきました。


涼風



みたくないもの 「地球大進化 46億年・人類への旅 そして未来へ」

2004年12月26日 | テレビ
今晩(25日夜)のNHKで、地球の変化と人間の祖先の進化をあつかった「地球大進化 46億年・人類への旅 そして未来へ」を見ました。たぶん、先日放送していたものの再放送ですね。でも、こういうネイチャーものは、年末年始の定番だけど、思わず見てしまいます。

面白かったのは、人類の祖先が進化したのは、それが他の動物に比べ弱者だったから、というもの。詳しい説明は省きますが、現在の人類につながる昔の動物たちは、つねに他の動物や自然の脅威にさらされてきたそうです。しかしそれゆえ生き残るために、それぞれの時代でその祖先たちは、自らの形態を変化させてゆき、海から地上へと生息場所を変え、地上でも手や足を発達させ、最後に言葉を手に入れました。

弱かったからこそ生き残った、というのは面白い事実です。動物(人)は、追い込まれなければ変化しないということでしょうか。

パウロ・コエーリョの『第五の山』で、神がこう叫んでいました、「悩める者に栄光あれ」と。傲慢になった人間は、そこで成長を止めるという意味でした。

傲慢であるということは、幸せではないということです。それは複雑な不幸です。自分の中に悩みや傷がありながら、意識ではその傷に気づけないからです。たとえ気づきたくても。

わたしたちはじぶんの傲慢さに気づけない。あるいは気づきたくない。なら、どうすればいいのでしょう。

わたしが思いつくのは、自分の周囲の傲慢に見える他人に感謝すること。その人は、私たちの中の傲慢さを体現してくれているのですから。だから、その人の傲慢な態度を見て怒るのではなく、その人の傲慢な態度で傷ついてしまう自分の痛みにちゃんと直面していくことだと思います。そうすることで、わたしたちは自分の傲慢さの裏にある弱い部分に気づくことができるのでしょう。


番組では、地球上で栄えた生物は例外なく死滅したことを強調していました。わたしたちはどこまで自分の傲慢さに気づいていけるでしょうか。


涼風



プラス( )

2004年11月09日 | テレビ
きのう、『キスだけじゃイヤ!』(よみうりテレビ)を観ていたら、サラリーマンだけどプロ野球選手になりたい23歳の男性と、それに複雑な気持ちを抱くその奥さんのカップルが出ていました。彼は高校時代に甲子園に出たほどの実力者です。

プロに入りたい彼は、会社の野球部で毎日一生懸命練習をしていました。毎朝素振りをして、会社が終われば夜中まで練習をしています。

番組ではその男性の野球のプレーぶりを解説者の金村義明さんに見てもらって、彼の実力の程を診断してもらったのですが、金村さんの診断では「熱意は伝わるけど、現実的に彼の実力では無理」とバッサリ言っていました。

わたしにとって一番印象的だったのは、金村さんのつぎの一言でした。

「彼は夢を追っているんじゃなくて、夢を見ている状態だ。」


この二つの違いはどこにあるのでしょうか。夢を追うことと、夢を見ることの違い。

プロに入りたい彼は、ただ幻想を抱いていただけでしょうか。でも彼は、毎日、会社で働く時間以外は野球に真剣に取り組んでいます。実際に行動しているのです。

しかしそれでも、プロの世界を知る金村さんの目から見れば、「彼は夢を見ているだけ」と映る。いや、「映る」と言うより、「見抜く」と言う方が適切なのかもしれません。

いまは、夢を持つことが大事だと多くの人が本に書いています。ちゃんと頭の中でイメージすることも大事、さらにはその目標に向かって行動することが大事。いろいろ書かれています。

しかし、それだけしていても、「ただ夢を追っているだけ」といわれることもあるのです。

なぜそんなことになるのか? おそらく、このことの答えは、プロになりたかった彼がいつか分かることなのかもしれません。プロ野球選手になることが彼にとって「真実」ではなかったことがわかる日がくるのかもしれません。


夢を持つことも大事。イメージ化することも大事。行動を起こすことも大事。そしてそれに何かが加わること、あるいは何かを思い出すこと、そのことの答えを彼は見出すのだと思います。

夕方のニュース

2004年09月20日 | テレビ
どうして夕方6時から7時まで、さつじんじけんの報道を視聴する習慣が現代人にはあるのだろう。夕方が一日のうちでも、空が特別な色を見せまわりを独特な雰囲気で包む貴重な時間であるのに。

多くの家では、食事をするはずの時間だ。一日のうちでもっともおいしいものを食べている時間でもあるだろう。なぜその時間にさつじんじけんを見なければならないのだろう。

なぜわたしたちはさつじんじけんを視聴することで、なにか真面目なものを見ている気になるのだろう。

サンディーの優しいフラレッスン

2004年09月19日 | テレビ
今、深夜でNHK教育でサンディーの優しいフラレッスン NHK趣味悠々という番組をやっています。

なんだか、不思議な番組です。ゆっくりとした、しかしメリハリもある気の利いたリズムに合わせて、女性たちがテンポのいいステップをふんでいく。これが見ていてとても気持ちのいいのです。

深夜だから余計に異次元の空間に引き込まれていくよう。テレビなのに、みなれたテレビではないよう。ハワイに行って自分も踊りたくなる、そんな番組です。