普段から、一般紙だけでなく、日本経済新聞を読んだり、経済雑誌を眺めたりして、世界経済にそれなりの関心はあるのだけれど、金融商品とか財テク関連の知識となると全く心許ない。
日経を開くと、「世界六分散」だとか「世界家主」だとか、オープン基準価格の投信名がてんこ盛りで書かれているけれど、株も為替も一度もやったことがないので、頭では理解しているつもりでも、実際の資産運用となるとまるで解らなくなってしまう。
汗水垂らして一所懸命に仕事をこなし、やっと貰った給料の中から少しずつ定期的に貯蓄を重ねている人もいれば、その一方で、たった一日で何千万、何億のお金を右から左へと動かし、一瞬で多額の利ザヤを稼ぐ人もいる。
世の中は理不尽である。
世の中は不合理である。
頭のいい人間(頭がいいだけではなく、知識を貪欲に仕入れ、情報を多方面に張り巡らしている人間だけがということにもなるけれど)だけが、世の中を勝ち抜ける力を持っている。
もちろん、財を成すにはそれ相当のリスクが伴うだろう。
その日その日をただ漫然と送っているだけでは、決して勝者にはなれない。
ハイリスク・ハイリターンという言葉があるように、リスクを背負う覚悟がなければそれ相当のリターンはやってこない。
しかし、その一方で、儲ければそれで人生の勝ち組なのか?
金持ちだけが勝者なのかという考え方も当然にしてある。
仏教などで説く、『足すのではなく、引いてゆく』という考え方だ。
なるべく贅沢をやめ、質素倹約に努め、いらないものを出来る限り排除してゆくという高貴な考え方である。
『放下着』という仏教の教えもあるくらいだ。
捨てよ! 放ってしまえ! 何もかも!
そういうシンプルな生活に根差した思想もある。
どっちがいいのか?
僕にはよく解らない。
ただ、どちらの道を選ぶとしても、それなりの覚悟と努力が必要だろう。
もちろん、中途半端にどっちも見据えつつダラダラと一生を暮らすというのもあるんでしょうが・・・。
昔に観た、オリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」は、今では内容等をすっかり忘れてしまった。
薄っすらと記憶の片隅にあるのは、映画が発していた熱気のようなもの、それからオリバー・ストーンの濃厚で刺激的な味付けのようなものだった。
僕は、オリバー・ストーン監督の映画が大好きだ。
アカデミー賞を受賞した「プラトーン」に始まって、不評だった「ナチュラル・ボーン・キラーズ」も大好きだし、「Uターン」なんかもとても好きな映画である。
そのオリバー・ストーン監督とマイケル・ダグラス主演による、「ウォール街」の23年ぶりの続編が日本公開された。
「ウォール・ストリート」である。
前作の最後に逮捕され収監されたウォール街の投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)が長い刑期を終えてニューヨークに帰ってきたシーンから映画は始まる。
僕は、ゴードン・ゲッコーが逮捕されて映画が終わったという事すら、もう完全に忘れてしまっていたけど。
出所して、疎遠になっていた娘との関係修復にとりかかるゴードン・ゲッコーだったが、彼の娘は金の亡者たる強欲な父親を毛嫌いしていて、そんな状況のなか、娘の婚約者であり、ウォール街で一旗揚げようとしている野心家の青年(シャイア・ラブーフ)が彼に近づいて来る・・・。
この映画、期待していたのだが、観てガッカリしてしまった。
なんか、ヌルい。半熟玉子みたい。何もかもが中途半端なのだ。
オリバー・ストーンって、硬派のひとじゃなかったっけ? ハード・ボイルドのひとじゃなかったっけ?
もっともっと、金にまつわるエピソードを徹底的に積み上げ、アメリカの金融界の暗部を暴き、ゴードン・ゲッコーを大暴れさせて欲しかった。シャイア・ラブーフを、もっと生意気に見せて欲しかった。
この程度じゃ、映画に重さがないよ。
軽いって!
緩過ぎるってば!
日経を開くと、「世界六分散」だとか「世界家主」だとか、オープン基準価格の投信名がてんこ盛りで書かれているけれど、株も為替も一度もやったことがないので、頭では理解しているつもりでも、実際の資産運用となるとまるで解らなくなってしまう。
汗水垂らして一所懸命に仕事をこなし、やっと貰った給料の中から少しずつ定期的に貯蓄を重ねている人もいれば、その一方で、たった一日で何千万、何億のお金を右から左へと動かし、一瞬で多額の利ザヤを稼ぐ人もいる。
世の中は理不尽である。
世の中は不合理である。
頭のいい人間(頭がいいだけではなく、知識を貪欲に仕入れ、情報を多方面に張り巡らしている人間だけがということにもなるけれど)だけが、世の中を勝ち抜ける力を持っている。
もちろん、財を成すにはそれ相当のリスクが伴うだろう。
その日その日をただ漫然と送っているだけでは、決して勝者にはなれない。
ハイリスク・ハイリターンという言葉があるように、リスクを背負う覚悟がなければそれ相当のリターンはやってこない。
しかし、その一方で、儲ければそれで人生の勝ち組なのか?
金持ちだけが勝者なのかという考え方も当然にしてある。
仏教などで説く、『足すのではなく、引いてゆく』という考え方だ。
なるべく贅沢をやめ、質素倹約に努め、いらないものを出来る限り排除してゆくという高貴な考え方である。
『放下着』という仏教の教えもあるくらいだ。
捨てよ! 放ってしまえ! 何もかも!
そういうシンプルな生活に根差した思想もある。
どっちがいいのか?
僕にはよく解らない。
ただ、どちらの道を選ぶとしても、それなりの覚悟と努力が必要だろう。
もちろん、中途半端にどっちも見据えつつダラダラと一生を暮らすというのもあるんでしょうが・・・。
昔に観た、オリバー・ストーン監督の映画「ウォール街」は、今では内容等をすっかり忘れてしまった。
薄っすらと記憶の片隅にあるのは、映画が発していた熱気のようなもの、それからオリバー・ストーンの濃厚で刺激的な味付けのようなものだった。
僕は、オリバー・ストーン監督の映画が大好きだ。
アカデミー賞を受賞した「プラトーン」に始まって、不評だった「ナチュラル・ボーン・キラーズ」も大好きだし、「Uターン」なんかもとても好きな映画である。
そのオリバー・ストーン監督とマイケル・ダグラス主演による、「ウォール街」の23年ぶりの続編が日本公開された。
「ウォール・ストリート」である。
前作の最後に逮捕され収監されたウォール街の投資家ゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラス)が長い刑期を終えてニューヨークに帰ってきたシーンから映画は始まる。
僕は、ゴードン・ゲッコーが逮捕されて映画が終わったという事すら、もう完全に忘れてしまっていたけど。
出所して、疎遠になっていた娘との関係修復にとりかかるゴードン・ゲッコーだったが、彼の娘は金の亡者たる強欲な父親を毛嫌いしていて、そんな状況のなか、娘の婚約者であり、ウォール街で一旗揚げようとしている野心家の青年(シャイア・ラブーフ)が彼に近づいて来る・・・。
この映画、期待していたのだが、観てガッカリしてしまった。
なんか、ヌルい。半熟玉子みたい。何もかもが中途半端なのだ。
オリバー・ストーンって、硬派のひとじゃなかったっけ? ハード・ボイルドのひとじゃなかったっけ?
もっともっと、金にまつわるエピソードを徹底的に積み上げ、アメリカの金融界の暗部を暴き、ゴードン・ゲッコーを大暴れさせて欲しかった。シャイア・ラブーフを、もっと生意気に見せて欲しかった。
この程度じゃ、映画に重さがないよ。
軽いって!
緩過ぎるってば!