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淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

アニメ「うる星やつら」の奇才、押井守監督の新作「立喰師列伝」は一筋縄じゃあいかない。

2006年06月06日 | Weblog
 元ロッカーで、現在小説家というか文筆業というか、創刊当時からずっと「ロッキング・オン」誌上でエッセイを連載している松村雄策によれば、立ち食いソバ屋でドンブリものを注文するなど邪道であり、愚の骨頂なのだとか。
 つまり、早食いにこそ価値があるのだと。
 
 僕も立ち食いソバ屋をたまに利用する。
 東京に住んでいた頃は、それこそ頻繁に利用した。特に新宿とか山手線沿線の駅前とかが多かった。
 忙しくてゆっくり食事をしている暇(いとま)がない時、待ち合わせの時間が迫っていて、今の内ちょっとお腹に何か詰め込んでおいたほうがいいと思った時、速攻で空腹を満たすのに、立ち食いソバ屋は最も有効かつ便利な装置である。
 
 立ち食いソバ屋は不味い! これはもう断言していい。
 たとえ麻酔をかけずに奥歯を抜かれようが、市中さらし者として引き廻されようが、これだけは断言できる。
 立ち食いソバ屋で食べるソバは本当に不味い!

 しかし、これがまた、ずっとご無沙汰していると無性に食べたくなるのである。それに、やはり一番の長所のなんと言ってもその速さだろう。
 いつ行っても、何を注文しても、すぐに食べられる。
 ソバの腰はないし、てんぷらの衣は厚くて中身はないし、食べ放題のタクワンはしょっぱいけれど、とにかく速い。5分で食い終わり、平然と街の中に飛び出していけるのが素晴らしい。

 一流フランスレストランと立ち食いソバ屋が並んで営業していたとして、レストラン側には評判を聞いた人たちの凄い行列で2時間待ち、一方の立ち食いソバ屋は、カウンターに立つと即注文の品が差し出される。
 どちらを選ぶかと問われれば、躊躇することなく立ち食いソバ屋を選択するね、絶対。

 例えは、ちょっと悪いかもしれないけれど、どうしようもなく性悪で、奔放で、猫のように自由気ままな女性だけれど、愛に対してだけは貪欲な女性に、ずるずると引かれてゆくような感覚と言ったら、理解して貰えるだろうか。
 しっかし、どういう例えやねん!

 押井守は、アニメの「うる星やつら」で注目を浴び、その後、「攻殻機動隊」「機動警察パトレイバー」で評価を受け、最近はアニメ映画「イノセンス」で数々の映画賞に輝いた、現在最もその動向が注目されている監督の一人である。
 その監督の最新作が「立喰師列伝」だ。

 この映画は少し変わっていて、デジタル写真を3Dのコンピュータ・グラフィックとして動かすスーパーライブメーションという新しい手法を用いて撮っている。
 くすんだ色彩の中で展開する、アニメショーンの質感を超えた、とても奇妙な動きをする動画。確かに動作はぎこちないけれど、これも見せ方の一手法と割り切れば別に違和感はない。

 戦後の混乱期に出現した立喰師、月見の銀二という名の無銭飲食者。
 それを最初に、日本の現代史を辿る中で次々と立喰師は現れ、立ち食いソバ屋の主人と激闘を重ね、そして歴史とともに消えてゆく。ケツネコロッケのお銀、フランクフルトの辰・・・・。

 いつもの押井守節が今回も全開する。
 「イノセント」の時もそうだったけれど、怒涛の如く発せられる言葉の群れ。難解な用語を駆使して展開される膨大な科白。今回は、それがナレーターの担いとして表れる。
 一気呵成に、機関銃のような言葉が飛び交うから、よほど注意を払わないと詳細まではなかなか理解できない。
 日本の戦後の政治や経済状況とリンクする形式で語られる物語というか、立喰師と立ち食いソバ屋やファースト・フード店や牛丼チェーン店のあるじたちとの漫画チックな闘いが、延々と描かれてゆく。

 一種の冗談、パロディの類(たぐい)として捉えると解り易いのだろうが、何せ、吉本隆明の詩が途中で挿入されたり、哲学的な思考や検証が随所にはめ込まれるから始末が悪い。まあ、笑って済ませる映画と言えば、それまでのことだけれど。

 とにかく押井守。今回も観る者を挑発し、威嚇する。
 こういう映画も確かにあっていい。

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