昨日の夜は警察に勤める友人を何人か呼び出し、飲みに出掛けた。
もうかなりの幹部級だけど、権力を嵩にかけないところがいい。
まあ、どんな仕事についていても、たかが組織の中枢にいる事を自慢げに誇るような人間とは、初めから付き合わないから別にいいけどね。
名刺についた肩書きなんて、その組織を去ったと同時に全て消え去ってしまうだけだ。
虚構である。
日曜日。
朝6時に起きて素早く着替え、車庫から車を出す。
雪は降っていないけれど、今日も寒くなりそうだ。大型寒気団はまだこの街に居座っている。
飽きた。雪は飽きた。冬も飽きた。もう、いい加減にして欲しい。
今日は一日、新聞に掲載するコラムの取材で八戸まで「えんぶり」を観に行く事に。本当は前日入りしてゆっくり取材をするはずだったけれど、急遽飲み会が入ったために、当日早々の出発となった。
先週は「雪灯篭祭り」の取材で弘前市。そして今日が八戸市。気が紛れるので大歓迎だけれど、休日に県内を走り回るとそれはそれで疲れてくる。
郊外から、みちのく有料道路に入り、東北町、三沢市、おいらせ町・・・。
八戸に近づくにつれて天気が良くなってくる。晴れ間が広がってくる。
2時間掛かってやっと八戸市庁舎の駐車場に辿り着く。
そこに車を停めて、「長者山新羅神社」、「鍛冶町」、「十三日町」、「三日町」、「六日町」、「八戸市公会堂」。
曇り空の隙間から、青い空が覗いている。ただ、風は物凄く冷たい。
初めてちゃんと観た「えんぶり」は、思ったよりも素晴らしかった。
ここに展開される「ハレ」の場には、生への肯定性が息づいている。プリミティブで土着的な、それも南部という独自の風土に根ざした「陽」と「光」が照射されている。
「風土とは単なる自然環境ではなくして、人間の精神構造の中に刻み込まれた、自己了解の仕方に他ならない」。
和辻哲郎である。
風土とは意味である。認識である。
寒さとは肉体的な感覚だけを指すのではない。特定の外的状況は、心的状態へとその経路を辿って認識されてゆく。寒さを感じるとき、我々は、すでに外気の寒冷のもとに宿っている。寒さに関わる事で、我々は寒さの中から出ている「我」を見つけるのである。
八戸は、午後になると青空がますます広がってゆく。
太陽の光が眩しい。
祭りを観終え、また元来た道を引き返す。帰りは、みちのく道路を避け、野辺地町、平内町を通った。
だんだん雲行きが怪しくなり、青森市内に入ると、またいつもの雪が激しく降ってきた。
少しずつ、少しずつ、また憂鬱な気分が湧き上がって来る。
家に戻り、急いでパソコンで原稿を打つ。
400字詰め原稿用紙約2枚分を書き終え、その「えんぶり祭り」に関する原稿をそのまま新聞社まで持っていった。
掲載は2月22日の金曜日。間に合った。
新聞社の支局を出た。もう外は暗い。雪が激しく降ってくる。
これでまた日曜日が終わった。
この街には、嫌な思い出がたくさん散布されている。
一日たりとも居たくない。
もうかなりの幹部級だけど、権力を嵩にかけないところがいい。
まあ、どんな仕事についていても、たかが組織の中枢にいる事を自慢げに誇るような人間とは、初めから付き合わないから別にいいけどね。
名刺についた肩書きなんて、その組織を去ったと同時に全て消え去ってしまうだけだ。
虚構である。
日曜日。
朝6時に起きて素早く着替え、車庫から車を出す。
雪は降っていないけれど、今日も寒くなりそうだ。大型寒気団はまだこの街に居座っている。
飽きた。雪は飽きた。冬も飽きた。もう、いい加減にして欲しい。
今日は一日、新聞に掲載するコラムの取材で八戸まで「えんぶり」を観に行く事に。本当は前日入りしてゆっくり取材をするはずだったけれど、急遽飲み会が入ったために、当日早々の出発となった。
先週は「雪灯篭祭り」の取材で弘前市。そして今日が八戸市。気が紛れるので大歓迎だけれど、休日に県内を走り回るとそれはそれで疲れてくる。
郊外から、みちのく有料道路に入り、東北町、三沢市、おいらせ町・・・。
八戸に近づくにつれて天気が良くなってくる。晴れ間が広がってくる。
2時間掛かってやっと八戸市庁舎の駐車場に辿り着く。
そこに車を停めて、「長者山新羅神社」、「鍛冶町」、「十三日町」、「三日町」、「六日町」、「八戸市公会堂」。
曇り空の隙間から、青い空が覗いている。ただ、風は物凄く冷たい。
初めてちゃんと観た「えんぶり」は、思ったよりも素晴らしかった。
ここに展開される「ハレ」の場には、生への肯定性が息づいている。プリミティブで土着的な、それも南部という独自の風土に根ざした「陽」と「光」が照射されている。
「風土とは単なる自然環境ではなくして、人間の精神構造の中に刻み込まれた、自己了解の仕方に他ならない」。
和辻哲郎である。
風土とは意味である。認識である。
寒さとは肉体的な感覚だけを指すのではない。特定の外的状況は、心的状態へとその経路を辿って認識されてゆく。寒さを感じるとき、我々は、すでに外気の寒冷のもとに宿っている。寒さに関わる事で、我々は寒さの中から出ている「我」を見つけるのである。
八戸は、午後になると青空がますます広がってゆく。
太陽の光が眩しい。
祭りを観終え、また元来た道を引き返す。帰りは、みちのく道路を避け、野辺地町、平内町を通った。
だんだん雲行きが怪しくなり、青森市内に入ると、またいつもの雪が激しく降ってきた。
少しずつ、少しずつ、また憂鬱な気分が湧き上がって来る。
家に戻り、急いでパソコンで原稿を打つ。
400字詰め原稿用紙約2枚分を書き終え、その「えんぶり祭り」に関する原稿をそのまま新聞社まで持っていった。
掲載は2月22日の金曜日。間に合った。
新聞社の支局を出た。もう外は暗い。雪が激しく降ってくる。
これでまた日曜日が終わった。
この街には、嫌な思い出がたくさん散布されている。
一日たりとも居たくない。