月曜日の夜、テレビを消して目を瞑(つぶ)る。
時間は真夜中の1時ぐらいだろうか。
日中繰り広げられた、歪(ゆが)んだ高揚感が未だに続いていて、眠れそうにない。
色んなことの断片が思い出され、色んなシーンが頭の片隅を過(よ)ぎってゆく。
当然、寝付かれずに何度も何度も寝返りを打ち、少しだけ浅い眠りに落ちるのだけれど、またいつのまにか目が覚めだし、暗い闇の中を彷徨っている自分がいる。
俺の人生・・・。
俺のこの、萎(な)え切った、女々しさと倦怠と後悔と放蕩(ほうとう)に塗(まみ)れた、糞ったれな人生・・・。
もう一度、始めからやり直す事が出来るのなら、どんなにいいだろう。
でも、またリセットしたとしても、同じように女々しさと倦怠と後悔と放蕩(ほうとう)に塗れた、糞ったれな人生が繰り返されてゆくに違いない。
リリー・フランキーと、みうらじゅんとの対談集「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」(扶桑社)を読んだ。
思わずその刺激的なタイトルに心を奪われてしまい、即座に本屋さんで買ってしまった。
本の帯に書かれた言葉に感動した。
リリー・フランキーの言葉である。
『そもそも よく知らない自分の「絶好調」を目指すからストレスになる』。
素晴らしい名言だ。
「そのとおり!」と、思わず声を漏らしてしまった。
そうなんだよ。
だいたい、頭の中で勝手に妄想しているカッコよくて絶好調な自分自身を、目指すべき到達点として捉えているから、人生おかしくなっちゃうんだよね、ったく。
この言葉、胸に突き刺さる。
これまで、僕が座右の銘としている二つの箴言(しんげん)に、この名言を加えることにしよう。
まずそのⅠ。
『恋愛を、自分自身の最上位に置かない人間だけが、最上の恋愛を送ることが出来る』。村上龍。
そしてそのⅡ。
『起きていることはすべて正しい』。勝間和代。
今回新たに加える言葉。
『よく知らない自分の「絶好調」を目指すからストレスになる』。リリー・フランキー。
あなたに人生の絶好調など、本当はない。
あなたが思い描いているその薔薇色の人生は、あなたが空想の中に描く単なる虚構に過ぎない。
今、あなたが生きている中で起こっている、その様々な「不幸」や「苦難」や「煩わしさ」や「不快感」や「悩み」は、あなた自身が感じるものだ。
そしてそれは、あなたの目の前から絶対に消え去るものでもなく、あなたが思うその感情によって大きく変化する、いわば実体の伴わない想いだ。
曇天の雲が憂鬱なのでも、しとしと降り続ける雨が切ないのでも、夕暮れが侘しいのでもない。
それはただの自然現象でしかなく、今あなたの前で繰り広げられているありとあらゆる事象は、すべて正しく、ありのままそこに存在している。
ただそれだけなのである。
色即是空。
リリー・フランキーはいう。
「死んだら全部チャラだと思っただけで、もう怖いものはない」と。
みうらじゅんはいう。
「人は生まれた瞬間に余生が始まる。『死ぬために生きる』のではなく、『死ぬまで生きる』だけ」、ただそれだけだと。
みうらじゅんと、リリー・フランキーのあとがき対談も、また素晴らしい。感涙ものである。
「オレ、リリーさんが野垂れ死んでも別に不幸だったなとは思わないもん。『野垂れ死ぬ=不幸』だったなとは思わないもん」。
この対談集は深い。
途轍もなく奥が深い。
俺も、この本を読んで、ちょっと力が湧いてきた。
なんかもう、ちっちゃなことなんて、もう本当にどうでもいい。
好きなように、勝手気ままに、やりたいことだけをやってやる。
どうやらオレ、いずれ死ぬっつーじゃない?
時間は真夜中の1時ぐらいだろうか。
日中繰り広げられた、歪(ゆが)んだ高揚感が未だに続いていて、眠れそうにない。
色んなことの断片が思い出され、色んなシーンが頭の片隅を過(よ)ぎってゆく。
当然、寝付かれずに何度も何度も寝返りを打ち、少しだけ浅い眠りに落ちるのだけれど、またいつのまにか目が覚めだし、暗い闇の中を彷徨っている自分がいる。
俺の人生・・・。
俺のこの、萎(な)え切った、女々しさと倦怠と後悔と放蕩(ほうとう)に塗(まみ)れた、糞ったれな人生・・・。
もう一度、始めからやり直す事が出来るのなら、どんなにいいだろう。
でも、またリセットしたとしても、同じように女々しさと倦怠と後悔と放蕩(ほうとう)に塗れた、糞ったれな人生が繰り返されてゆくに違いない。
リリー・フランキーと、みうらじゅんとの対談集「どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか」(扶桑社)を読んだ。
思わずその刺激的なタイトルに心を奪われてしまい、即座に本屋さんで買ってしまった。
本の帯に書かれた言葉に感動した。
リリー・フランキーの言葉である。
『そもそも よく知らない自分の「絶好調」を目指すからストレスになる』。
素晴らしい名言だ。
「そのとおり!」と、思わず声を漏らしてしまった。
そうなんだよ。
だいたい、頭の中で勝手に妄想しているカッコよくて絶好調な自分自身を、目指すべき到達点として捉えているから、人生おかしくなっちゃうんだよね、ったく。
この言葉、胸に突き刺さる。
これまで、僕が座右の銘としている二つの箴言(しんげん)に、この名言を加えることにしよう。
まずそのⅠ。
『恋愛を、自分自身の最上位に置かない人間だけが、最上の恋愛を送ることが出来る』。村上龍。
そしてそのⅡ。
『起きていることはすべて正しい』。勝間和代。
今回新たに加える言葉。
『よく知らない自分の「絶好調」を目指すからストレスになる』。リリー・フランキー。
あなたに人生の絶好調など、本当はない。
あなたが思い描いているその薔薇色の人生は、あなたが空想の中に描く単なる虚構に過ぎない。
今、あなたが生きている中で起こっている、その様々な「不幸」や「苦難」や「煩わしさ」や「不快感」や「悩み」は、あなた自身が感じるものだ。
そしてそれは、あなたの目の前から絶対に消え去るものでもなく、あなたが思うその感情によって大きく変化する、いわば実体の伴わない想いだ。
曇天の雲が憂鬱なのでも、しとしと降り続ける雨が切ないのでも、夕暮れが侘しいのでもない。
それはただの自然現象でしかなく、今あなたの前で繰り広げられているありとあらゆる事象は、すべて正しく、ありのままそこに存在している。
ただそれだけなのである。
色即是空。
リリー・フランキーはいう。
「死んだら全部チャラだと思っただけで、もう怖いものはない」と。
みうらじゅんはいう。
「人は生まれた瞬間に余生が始まる。『死ぬために生きる』のではなく、『死ぬまで生きる』だけ」、ただそれだけだと。
みうらじゅんと、リリー・フランキーのあとがき対談も、また素晴らしい。感涙ものである。
「オレ、リリーさんが野垂れ死んでも別に不幸だったなとは思わないもん。『野垂れ死ぬ=不幸』だったなとは思わないもん」。
この対談集は深い。
途轍もなく奥が深い。
俺も、この本を読んで、ちょっと力が湧いてきた。
なんかもう、ちっちゃなことなんて、もう本当にどうでもいい。
好きなように、勝手気ままに、やりたいことだけをやってやる。
どうやらオレ、いずれ死ぬっつーじゃない?