知り合いの銀行員が溜息をつきながらこんなことを言っていた。ある飲み会の席でのことだ。
「つくづく思うよ。これまで色んなお金に纏わる人生模様に出くわして感じるのは、子どもたちが居ながら病気なんかで孤独に死んでゆく人間を見ていると、ーもちろん預貯金がほとんど無いまま亡くなる人だって中にはいるけどー、ほとんどの人たち、特に高齢者の人たちって、それなりに贅沢をしないよう常に心がけ、好きな事もしないでコツコツお金を貯め続け、そしてそれを使うことなく死んでゆく・・・そういうケースが大半なんだ。そうなると何のための人生だったんだろうって思っちゃうんだよなあ」と。
確かにいる。
自分の周りでもそういう人たちはいるし、そういう類いの話をたくさん聞いてきた。
知り合いで数年前に定年退職を迎えたある人は、現役時代無趣味であることを常に公言していて、休日はほぼ家の中で過ごし、朝からテレビをぼんやり観ている生活を送っているとよく話していた。ただ物凄い倹約家で、旅行や仲間との飲み会にはほとんど参加せず、自分で作ったお弁当をお昼休みに食べ、あとはひたすら貯蓄する、そういう人だった。
一度、「なんでそこまで倹約するの? どうせいつかは死ぬんだし、老後の生活費は生活費として貯蓄しておいて、あとは好きなことに使ったらいいのに」と言ったことがあった。すると、それがいかに甘いかと論破され、老後への貯えが大事かを逆に滔々と諭されてしまった。
その人はずっと独身を通し、結局病に倒れて亡くなってしまった。
必死で蓄えてきた預貯金と独り暮らしを続けてきた立派な自宅は、死後、たぶん親戚縁者に渡ったのだと思う。
もちろん、そういう生き方を否定するつもりなんかない。お金を貯めることが趣味で、それが生き甲斐だという人間だって、この世界には存在する。
「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」という本を読み終えた。
著者はビル・パーキンスというアメリカのコンサルティング・サービス会社のCEOで、ベンチャー・キャピタルやエネルギー業界を専門とする金融業界でヘッジファンドマネージャーとして大成功を収めた人間だ。
今回読んだ「DIE WITH ZERO―人生が豊かになりすぎる究極のルール」が初めての著書なのだそうで、アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」なんかでも絶賛され、日本でもかなり売れている本だという。
本の冒頭、有名なアリとキリギリスのイソップ童話から始まる。
勤勉で真面目なアリは、冬の食料を蓄えるためにせっせと夏場働き続け、一方のキリギリスは夏中楽しく自由に遊んで暮らす。ところが寒い冬が到来して食料がなくなってしまうと、アリは生き残ったけれどキリギリスには悲惨な現実が待っていたという、あのイソップの物語である。
ならばと、著者は問う。じゃあ、アリはいつ遊ぶのだろうかと。アリはただただ短い人生を奴隷のように働いて過ごし、そのまま死んでいくだけの一生なんだろうかと。いつアリは、楽しい時間を過ごすのだろうかと。
誰もが豊かで楽しい人生を望んでいる。しかし現実的に全員その望みを叶えられるわけじゃない。人生は短く、苦しいことはたくさん待っている。
それなら、「老後のために蓄える」のではなく、今まさにこの元気なときこそ、手段としての「お金」を有意義かつ有効に使うべきだと主張する。
この本の素晴らしいところは、様々な反証に対してきちんと誠実に答えている部分だ。それも具体的にだ。
【ゼロで死ね】というこの過激な主張に対して、経済学者たちも絶賛しているのだけれど、それはちゃんとした個々のエビデンスを提示し、わたしたちに優しく解き明かしているからに相違ない。
「DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール」、深いです。