淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「薔薇色の明日」

2012年12月26日 | Weblog
 1983年8月25日、高橋幸宏の「薔薇色の明日」は発売された。
 僕は、WM-2型の重いウォークマンをスーツのポケットに忍ばせ、カセットに入れ直したこの高橋幸宏のアルバム「薔薇色の明日」を、ほとんど毎日のように聴いていた。

 加藤和彦がリーダーだった「サディスティツク・ミカ・バンド」が解散したことを受け、高橋幸宏は、細野晴臣、坂本龍一と3人のユニット「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成した。
 世界中で大ブレイクした、あの「YMO」である。

 その凄まじい狂騒の果て、「YMO」は取りあえず散会することになるのだけれど、高橋幸宏はその時期と相前後してソロ活動も活発に繰り広げた。
 アルバム「薔薇色の明日」も、「YMO」が散会した年にソロアルバムとしてリリースされたものだ。

 傑作である。
 「薔薇色の明日」は素晴らしいアルバムである。

 彼のヴォーカルは、どこかブライアン・フェリーの声とも重なり合う。それから、曲のイメージやサウンドそのものも似ている点が多々あって微笑ましい。
 因みに、アルバム7曲目の「THIS ISLAND EARTH」という曲は、ブライアン・フェリーのカヴァー曲だ。

 僕は当時、市内中心部から東に約5、6キロ離れた部局に出向していて、雪が降る季節以外は、自転車に乗ってその事務局まで毎日通っていた。
 僕は、自転車が大好きなのだ。

 話題がちょっと横道にそれちゃうけど、雪が降る前の先月も自転車に乗ってウォークマンを聴きながら走っていたら、その姿を見ていた図書館の某女史に大声で笑われてしまった。
 本当に大声で笑いながら、「似合わない、似合わない!」と指を指されたのである。
 ちょっとショックだった・・・。
 そんなに自転車に乗っている恰好って、無様に映るんだろうか? まあ、いいんだけど・・・。

 ・・・とにかく僕はその頃、毎日自転車を漕ぎながらその5キロほど離れた東部方面にある事務局へ、毎日せっせと通っていた。
 朝は何かと忙しいので職場まで急いで向かうのだけれど、残業のない日は、自転車に乗ってウォークマンを聴きながら、ゆっくりと海辺を通りながら帰ったものだ。

 ふと目を瞑って、あの頃の何気ない断片を、脳裏に映る古びたスクリーンに投影してみる。

 夏の終わりから初秋。
 海の色はその色を目まぐるしく変え、途中必ず通るただっ広い「合浦公園」の樹木もまた季節ごとに色を変えてゆく。
 そして、僕の色褪せた記憶の中で鳴っている音楽、それはいつも高橋幸宏の「薔薇色の明日」だ。

 薔薇色の明日・・・。
 もちろん、高橋幸宏本人は自虐的に、そして皮肉を込めてこのタイトルをつけたに違いない。
 彼は再発されたアルバムのライナーノーツでも、「当時は精神的にも酷い状態で、明日なんてない状況だった」と述べている。

 そういう心境が、このアルバムには色濃く反映されている。
 センチメンタルで、アンニュイで、ヨーロッパ的で、洗練されていて、しかも冷たい音が、このアルバム全体を覆っている。
 ラストは「THE APRIL FOOLS」。あのバート・バカラックの名曲をカヴァーしているのだ。憎い。

 僕は、本当に何度も何度もこの「薔薇色の明日」を聴いた。
 1曲目の「RIPPLE」から次の「MY BRIGHT TOMORROW」(これも真逆だろう)、そして3曲目の「蜉蝣(かげろう)」が特に素晴らしい。
 というか、途轍もなく美しい楽曲に仕上がっている。

 あの頃・・・。
 それでもまだ僕は、薔薇色の明日を信じていたように思う。
 いつか、夢が叶い、この寒くて憂鬱な街から脱出する日がきっとやって来る。
 そんなことを心の底では信じていたのである。

 薔薇色の明日なんて、そんなものは夢でしかないはずなのに・・・。








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