1983年8月25日、高橋幸宏の「薔薇色の明日」は発売された。
僕は、WM-2型の重いウォークマンをスーツのポケットに忍ばせ、カセットに入れ直したこの高橋幸宏のアルバム「薔薇色の明日」を、ほとんど毎日のように聴いていた。
加藤和彦がリーダーだった「サディスティツク・ミカ・バンド」が解散したことを受け、高橋幸宏は、細野晴臣、坂本龍一と3人のユニット「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成した。
世界中で大ブレイクした、あの「YMO」である。
その凄まじい狂騒の果て、「YMO」は取りあえず散会することになるのだけれど、高橋幸宏はその時期と相前後してソロ活動も活発に繰り広げた。
アルバム「薔薇色の明日」も、「YMO」が散会した年にソロアルバムとしてリリースされたものだ。
傑作である。
「薔薇色の明日」は素晴らしいアルバムである。
彼のヴォーカルは、どこかブライアン・フェリーの声とも重なり合う。それから、曲のイメージやサウンドそのものも似ている点が多々あって微笑ましい。
因みに、アルバム7曲目の「THIS ISLAND EARTH」という曲は、ブライアン・フェリーのカヴァー曲だ。
僕は当時、市内中心部から東に約5、6キロ離れた部局に出向していて、雪が降る季節以外は、自転車に乗ってその事務局まで毎日通っていた。
僕は、自転車が大好きなのだ。
話題がちょっと横道にそれちゃうけど、雪が降る前の先月も自転車に乗ってウォークマンを聴きながら走っていたら、その姿を見ていた図書館の某女史に大声で笑われてしまった。
本当に大声で笑いながら、「似合わない、似合わない!」と指を指されたのである。
ちょっとショックだった・・・。
そんなに自転車に乗っている恰好って、無様に映るんだろうか? まあ、いいんだけど・・・。
・・・とにかく僕はその頃、毎日自転車を漕ぎながらその5キロほど離れた東部方面にある事務局へ、毎日せっせと通っていた。
朝は何かと忙しいので職場まで急いで向かうのだけれど、残業のない日は、自転車に乗ってウォークマンを聴きながら、ゆっくりと海辺を通りながら帰ったものだ。
ふと目を瞑って、あの頃の何気ない断片を、脳裏に映る古びたスクリーンに投影してみる。
夏の終わりから初秋。
海の色はその色を目まぐるしく変え、途中必ず通るただっ広い「合浦公園」の樹木もまた季節ごとに色を変えてゆく。
そして、僕の色褪せた記憶の中で鳴っている音楽、それはいつも高橋幸宏の「薔薇色の明日」だ。
薔薇色の明日・・・。
もちろん、高橋幸宏本人は自虐的に、そして皮肉を込めてこのタイトルをつけたに違いない。
彼は再発されたアルバムのライナーノーツでも、「当時は精神的にも酷い状態で、明日なんてない状況だった」と述べている。
そういう心境が、このアルバムには色濃く反映されている。
センチメンタルで、アンニュイで、ヨーロッパ的で、洗練されていて、しかも冷たい音が、このアルバム全体を覆っている。
ラストは「THE APRIL FOOLS」。あのバート・バカラックの名曲をカヴァーしているのだ。憎い。
僕は、本当に何度も何度もこの「薔薇色の明日」を聴いた。
1曲目の「RIPPLE」から次の「MY BRIGHT TOMORROW」(これも真逆だろう)、そして3曲目の「蜉蝣(かげろう)」が特に素晴らしい。
というか、途轍もなく美しい楽曲に仕上がっている。
あの頃・・・。
それでもまだ僕は、薔薇色の明日を信じていたように思う。
いつか、夢が叶い、この寒くて憂鬱な街から脱出する日がきっとやって来る。
そんなことを心の底では信じていたのである。
薔薇色の明日なんて、そんなものは夢でしかないはずなのに・・・。
僕は、WM-2型の重いウォークマンをスーツのポケットに忍ばせ、カセットに入れ直したこの高橋幸宏のアルバム「薔薇色の明日」を、ほとんど毎日のように聴いていた。
加藤和彦がリーダーだった「サディスティツク・ミカ・バンド」が解散したことを受け、高橋幸宏は、細野晴臣、坂本龍一と3人のユニット「イエロー・マジック・オーケストラ」を結成した。
世界中で大ブレイクした、あの「YMO」である。
その凄まじい狂騒の果て、「YMO」は取りあえず散会することになるのだけれど、高橋幸宏はその時期と相前後してソロ活動も活発に繰り広げた。
アルバム「薔薇色の明日」も、「YMO」が散会した年にソロアルバムとしてリリースされたものだ。
傑作である。
「薔薇色の明日」は素晴らしいアルバムである。
彼のヴォーカルは、どこかブライアン・フェリーの声とも重なり合う。それから、曲のイメージやサウンドそのものも似ている点が多々あって微笑ましい。
因みに、アルバム7曲目の「THIS ISLAND EARTH」という曲は、ブライアン・フェリーのカヴァー曲だ。
僕は当時、市内中心部から東に約5、6キロ離れた部局に出向していて、雪が降る季節以外は、自転車に乗ってその事務局まで毎日通っていた。
僕は、自転車が大好きなのだ。
話題がちょっと横道にそれちゃうけど、雪が降る前の先月も自転車に乗ってウォークマンを聴きながら走っていたら、その姿を見ていた図書館の某女史に大声で笑われてしまった。
本当に大声で笑いながら、「似合わない、似合わない!」と指を指されたのである。
ちょっとショックだった・・・。
そんなに自転車に乗っている恰好って、無様に映るんだろうか? まあ、いいんだけど・・・。
・・・とにかく僕はその頃、毎日自転車を漕ぎながらその5キロほど離れた東部方面にある事務局へ、毎日せっせと通っていた。
朝は何かと忙しいので職場まで急いで向かうのだけれど、残業のない日は、自転車に乗ってウォークマンを聴きながら、ゆっくりと海辺を通りながら帰ったものだ。
ふと目を瞑って、あの頃の何気ない断片を、脳裏に映る古びたスクリーンに投影してみる。
夏の終わりから初秋。
海の色はその色を目まぐるしく変え、途中必ず通るただっ広い「合浦公園」の樹木もまた季節ごとに色を変えてゆく。
そして、僕の色褪せた記憶の中で鳴っている音楽、それはいつも高橋幸宏の「薔薇色の明日」だ。
薔薇色の明日・・・。
もちろん、高橋幸宏本人は自虐的に、そして皮肉を込めてこのタイトルをつけたに違いない。
彼は再発されたアルバムのライナーノーツでも、「当時は精神的にも酷い状態で、明日なんてない状況だった」と述べている。
そういう心境が、このアルバムには色濃く反映されている。
センチメンタルで、アンニュイで、ヨーロッパ的で、洗練されていて、しかも冷たい音が、このアルバム全体を覆っている。
ラストは「THE APRIL FOOLS」。あのバート・バカラックの名曲をカヴァーしているのだ。憎い。
僕は、本当に何度も何度もこの「薔薇色の明日」を聴いた。
1曲目の「RIPPLE」から次の「MY BRIGHT TOMORROW」(これも真逆だろう)、そして3曲目の「蜉蝣(かげろう)」が特に素晴らしい。
というか、途轍もなく美しい楽曲に仕上がっている。
あの頃・・・。
それでもまだ僕は、薔薇色の明日を信じていたように思う。
いつか、夢が叶い、この寒くて憂鬱な街から脱出する日がきっとやって来る。
そんなことを心の底では信じていたのである。
薔薇色の明日なんて、そんなものは夢でしかないはずなのに・・・。