寒い一日になった。
どんよりと曇った空から、雪がぱらぱらと落ちている。
今日は金曜日。街を歩く人たちの足取りも、いつもより軽く感じられる。忘年会や飲み会に向かう人の群れも心なしか普段より多い。
組織における、来年度の方向性を決めるべく進めていた種々の仕事が、今日で一段落して(勿論、これからも続くんだけど)、少しだけど爽やかな気分。それに、明日から2連休だしね。
今日は、ビートルズのジョン・レノンが亡くなった日だ。
ビートルズは、もう既にジョン・レノンとジョージ・ハリソンの二人が亡くなっていて、その二人はいずれも僕のご贔屓のアーティストなので、もう彼らの新しい曲が聴けなくなったことが、ことのほか寂しい。
ジョン・レノンは、1980年12月8日、5年間の活動休止後のニューアルバム「Starting Over」を発売直後、熱狂的なファン、マーク・チャップマンによって、ニューヨークの自宅マンション前で射殺された。
ジョン・レノンが狙撃された時間、現場の裏の通りに、偶然キース・リチャーズがいたという噂もある。彼は拳銃のリボルバーをしっかりと握り締め、狙撃犯を仕留めようとしたが、周りの人間に止められたという。
それから、ジョン・レノンが病院に運ばれ、まもなく失血性ショックで死亡することになるわけだけれど、その死亡時、病院のスピーカーから流れていた曲は、ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという話も聞いたことがある。
なんと。「オール・マイ・ラヴィング」!
事件後、マーク・チャップマンは、現場から逃亡せず、警官が到着するまでの間、サリンジャーの小説、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。
彼は、レノンの熱狂的なファンだったという事だが、殺人犯であることに変わりはない。
僕は、以前にも新聞のコラムに書いたことがあるけれど、ジョン・レノン=愛と平和の人という図式にはイマイチ納得できない。
というか、そういう安易な論調を展開する人に対して、表層的な部分でしかジョン・レノンを捉えていないのではないかとさえ思っている。
確かに、ジョン・レノンが1971年に発表した「イマジン」は、愛と平和について謳った名曲ではある。よく、悲惨な戦争を語ったり世界で起こっている凄惨な内戦などの画像が流される際、この「イマジン」はBGMで流される。
でも、ジョン・レノンは、そんな悟り切った「天上の人」でも、「愛と平和の人」でも、「伝道師」でもない。
彼は、一時期、オノ・ヨーコと別れたとき、酒に溺れ、他の女性と浮世を流し、荒れた生活を送っていたし、絶えず、世界を憂い、主夫をこなし、ロック・ミュージックから逃れ、苛立っていた。
つまり、彼は生身の人間として、悩み、笑い、惑い、躓き、泣き、嘆き、そして苦しんでいたのである。だから僕は、穏やかな笑顔で世界の平和を説くジョン・レノンよりも、オノ・ヨーコとの一時的な別離に悩み苦しみ、その未練から、酒びたりの荒んだ頃のジョン・レノンに何故か親しみを感じたりするのである。
ジョン・レノンは、イマジン」だけの人ではない。
「トゥー・ヴァージンズ」や「サムタイム・イン・ニューヨーク」や「ロックン・ロール」のジョン・レノンでもあるのだ。
だって、彼をパンクの元祖という人だっているくらいだから。過激で、パワフルで、熱くて、飛んでる、ロックン・ローラーとしてのジョン・レノン!
彼が生きてたら、今頃どうしていたんだろう。
案外、若手のロック・バンドとセッションしたりして、老いた身に鞭打って、激しくステージ中を駆け回っていたのかもしれない。
時は流れる。
どんよりと曇った空から、雪がぱらぱらと落ちている。
今日は金曜日。街を歩く人たちの足取りも、いつもより軽く感じられる。忘年会や飲み会に向かう人の群れも心なしか普段より多い。
組織における、来年度の方向性を決めるべく進めていた種々の仕事が、今日で一段落して(勿論、これからも続くんだけど)、少しだけど爽やかな気分。それに、明日から2連休だしね。
今日は、ビートルズのジョン・レノンが亡くなった日だ。
ビートルズは、もう既にジョン・レノンとジョージ・ハリソンの二人が亡くなっていて、その二人はいずれも僕のご贔屓のアーティストなので、もう彼らの新しい曲が聴けなくなったことが、ことのほか寂しい。
ジョン・レノンは、1980年12月8日、5年間の活動休止後のニューアルバム「Starting Over」を発売直後、熱狂的なファン、マーク・チャップマンによって、ニューヨークの自宅マンション前で射殺された。
ジョン・レノンが狙撃された時間、現場の裏の通りに、偶然キース・リチャーズがいたという噂もある。彼は拳銃のリボルバーをしっかりと握り締め、狙撃犯を仕留めようとしたが、周りの人間に止められたという。
それから、ジョン・レノンが病院に運ばれ、まもなく失血性ショックで死亡することになるわけだけれど、その死亡時、病院のスピーカーから流れていた曲は、ビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」だったという話も聞いたことがある。
なんと。「オール・マイ・ラヴィング」!
事件後、マーク・チャップマンは、現場から逃亡せず、警官が到着するまでの間、サリンジャーの小説、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいた。
彼は、レノンの熱狂的なファンだったという事だが、殺人犯であることに変わりはない。
僕は、以前にも新聞のコラムに書いたことがあるけれど、ジョン・レノン=愛と平和の人という図式にはイマイチ納得できない。
というか、そういう安易な論調を展開する人に対して、表層的な部分でしかジョン・レノンを捉えていないのではないかとさえ思っている。
確かに、ジョン・レノンが1971年に発表した「イマジン」は、愛と平和について謳った名曲ではある。よく、悲惨な戦争を語ったり世界で起こっている凄惨な内戦などの画像が流される際、この「イマジン」はBGMで流される。
でも、ジョン・レノンは、そんな悟り切った「天上の人」でも、「愛と平和の人」でも、「伝道師」でもない。
彼は、一時期、オノ・ヨーコと別れたとき、酒に溺れ、他の女性と浮世を流し、荒れた生活を送っていたし、絶えず、世界を憂い、主夫をこなし、ロック・ミュージックから逃れ、苛立っていた。
つまり、彼は生身の人間として、悩み、笑い、惑い、躓き、泣き、嘆き、そして苦しんでいたのである。だから僕は、穏やかな笑顔で世界の平和を説くジョン・レノンよりも、オノ・ヨーコとの一時的な別離に悩み苦しみ、その未練から、酒びたりの荒んだ頃のジョン・レノンに何故か親しみを感じたりするのである。
ジョン・レノンは、イマジン」だけの人ではない。
「トゥー・ヴァージンズ」や「サムタイム・イン・ニューヨーク」や「ロックン・ロール」のジョン・レノンでもあるのだ。
だって、彼をパンクの元祖という人だっているくらいだから。過激で、パワフルで、熱くて、飛んでる、ロックン・ローラーとしてのジョン・レノン!
彼が生きてたら、今頃どうしていたんだろう。
案外、若手のロック・バンドとセッションしたりして、老いた身に鞭打って、激しくステージ中を駆け回っていたのかもしれない。
時は流れる。