おかんのネタ帳

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足軽組屋敷

2010-01-27 23:17:06 | 湖国日記


彦根へ行ってきました。

彦根は仕事以外でも何度も訪れるところやけど、
今回は、子どもたちに絵画や造形を教えているという、
「シブヤ美術研究所」を訪ねました。
もちろん、お仕事やけど、主宰の渋谷先生から、
この界隈が、かつての「足軽組屋敷」のある地域やと聞いたので、
取材後に、このあたり、芹橋2丁目を少し歩きました。



芹川に平行して細い道が2筋走り、その道に垂直に交わる16筋の道の両側に、
短冊型の敷地が整然と区画されています。
彦根藩の足軽衆・善利組(せりくみ)がこのあたりに住んでいたらしいのですが、
同じ大きさの土地(50坪らしいです~)に、同じような家って、
なんか、社宅というか、公務員住宅みたいな感じですね(笑)

道幅は3m弱ですね。ところどころくねっていたり、
十字路がぐいちになっていたり、行き止まりになっていたり、
城下町らしく、直線が避けられているつくりになっています。
「どんつき」とか「くいちがい」と言うんやって。
お城の防御のためにそういう道にしてるんですね。
(彦根仏壇で知られる、「七曲がり」もそうですよね~)

で、ここに、足軽衆が住まわされたんですわ。



足軽衆の住まいなので、武家屋敷風ながらこじんまりしてるようです。

区画割りがそのまま現在に至っているのも面白いのですが、
かつての趣を残すような、白壁の土塀や蔵などがあるかと思えば、
新しい家も多いんですよ。アパートもありました。
瀟洒な現代風の建物に建て替えられたり・・・しかも、大きい家が多いんですよ。
かつての足軽衆も、今はお金持ちなんでしょうかね?

狭い道なので、車も少ないしとても静かです。
でも、ちゃんと車庫があるし、大きな乗用車も止まってたりします。
ま、3mもあれば、車は通れますけどね~



これは、十字路に置かれてたという、「辻番所」とよばれる建物。
角に小窓がつけられているんやけど、この窓から敵を見張ってたらしいです。
いわゆる「見付け番所」。
足軽屋敷もやけど、こういう建物が残ってることが珍しいですよね。

彦根景観フォーラムが編集している、「彦根歴史散歩」によれば、
芹川も、もともとは今の位置ではなかったらしいです。
もっと北に向かって流れてたみたいですよ。
彦根城築城の時に、お堀として使うために付け替えられたんやって。
計画的に城下町を作ったようで、身分によって住む地域が異なったんですね。

日が暮れ始めた頃に、この界隈をうろつくオバサンひとり・・・
めっちゃ、怪しいけど・・・
お城が見えるすぐ側に、こういう町が残ってるんやね~

発見は他にもいろいろあったんやけど、
彦根は、歴史ある町やと、つくづく思いますわ~



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4 コメント

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わぉ! (NAO)
2010-01-28 14:22:45
うずらざさん、彦根に行かれたんですか。
TOP画像を見て、思わず叫んじゃいましたわ。
だって、芹橋2丁目って、うちの実家があるとこですもん。^^;
TOP画像が一番、実家に近いかな。

ちなみに、私の実家は昭和新道の通りに面しています。

>大きい家が多いんですよ。

たぶん、「この家すごくでかくない?」
と思われたのが、私の実家です。
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そうなんや~ (うずら)
2010-01-28 19:51:42
NAOさん、
あのあたりやったんですね。
けど、1枚目の写真を撮ったあたりがどこやったのか・・・思い出せず・・・
似たようなとこばっかりやったし(苦笑)
あのへんは、城下町の風情が残ってますよね。
で、ホンマに豪邸が多いです!
お庭がりっぱなところもあったし。
お世話もたいへんやろうけど、その町並みを守ろうという動きもあるようですね。
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 (NAO)
2010-01-28 21:00:01
>お庭がりっぱなところもあったし

それがうちの実家かも。
庭のでかさと立派さで、その界隈じゃ有名なので。
確かに、庭の維持が大変です。
後の代に果たして残せるかどうか?って両親がなんとかこれを残そうと動いているのも確かです。
シブヤ美術研究所の前の道はは、小学生のころ、通学路でした。
懐かしいなぁ・・・。
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チェックしますわ! (うずら)
2010-01-28 22:07:10
NAOさん、
澁谷さんのところは、もう一度行くんで、また歩いてみます~
ホントに静かな町並みですね。
ご城下って、感じですわ。
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