今日は1月17日、そう、あの阪神・淡路大震災があった日です。前にも書いたけど、直接的な被害のなかった私にも、この日はやっぱり特別な日です。あの日の、あの「揺れ」は忘れられません。すっごい揺れに目が覚めて、布団の中で、「きつう~」と私が言ったら、花瓶が出窓に当たった、小さな「カチン」という音がして、警報ブザーがなりだしました。わが家は、その2ヶ月前に新築したばかりで、一瞬、わが家に警報ブザーが付いてたんかと思い、あわててダンナと二人で起きだしたんやけど、ウチではなかったみたい。ダンナが家のまわりを一周して、「なんもないわ~」と言ってたら、ウラの賃貸マンションの人たちがベランダでキョロキョロ・・・どうもこのマンションのブザーみたいでした。(耐震構造になってるんかしら??)
な~んもなかったんで、また布団の中に潜り込みました。起きるには早い時間ですし。
この日、ダンナは休みでした。6時半頃に起きて、普段と同じように、長女のお弁当を作り、娘らを起こして・・・時計代わりにかけてるテレビは関西ローカルの「おは朝」。地震があったことを報道してるんやけど、映像は大阪で、「被害状況がまだわかりません・・」みたいなことを言ってました。
「大阪でエライ地震があったんや~」と漠然と見ながら、朝の支度をしてました。こういう場合こそ、NHKを見るべきなんやけど、あわただしい朝、そんな大きな出来事やということに私はまだ気付いてなかったんですね。
娘らを送り出して、洗濯を干そうとしたら、テレビの画面に、あの、横倒しになった阪神高速道路が映し出されたんです・・・
「え~っ! えらいこっちゃ!」
あわてて、まだ寝てたダンナを起こしました・・・
神戸が大変なことに・・・
神戸には母方の従兄弟一家がいます。電話は不通になってなかなかつながらなかったようで、母や姉がやっと、従兄弟一家の無事やという連絡をもらったのは翌日やったと思います。
この辺は大手メーカーの工場とかがあり、その社宅や寮もあったので、その後、神戸から一時避難してきた人たちが何人もいました。娘たちの学校も被災した子供たちを受け入れたし、個人だけでなく、行政も、企業も、なんとか力になろうという姿勢でした。
私が、去年、すっかりハマっていたあの朝ドラは、そんな神戸を舞台にしたドラマです。
1月17日放送で、ヒロインが語りました。
1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった1秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われた すべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ
このシーン、泣けました。
この後の、ヒロインが震災で亡くなった父を思って泣いた時に、恋人役のあの「彼」が、「・・・オレがそばにいるから」・・・なんてベタなセリフを言って涙を流すんやけど、正直、ツッコミながら(笑)、泣いてました。
あれからも、世界で、日本で、地震は起こっています。被災した人だけでなく、悲しい思いをした人はいっぱいいると思います。遠くで起こったらなかなか実感できないけど、この日を迎えると、改めて、他人事ではないんやと戒めますね。
「何か起こった時は、まず、小学校に集まろう」・・・家族で決めたのはこれだけやけど。
ちなみにあの日、中1の長女は起きたけど、小5の次女はグースカ寝とりました。学校へ行っても、みんなの話についていけず・・・いまだに、未体験?
でも、明日、18日は、その次女の誕生日。
だから娘にとっても、あの震災は忘れられないことなのも確かですね。
な~んもなかったんで、また布団の中に潜り込みました。起きるには早い時間ですし。
この日、ダンナは休みでした。6時半頃に起きて、普段と同じように、長女のお弁当を作り、娘らを起こして・・・時計代わりにかけてるテレビは関西ローカルの「おは朝」。地震があったことを報道してるんやけど、映像は大阪で、「被害状況がまだわかりません・・」みたいなことを言ってました。
「大阪でエライ地震があったんや~」と漠然と見ながら、朝の支度をしてました。こういう場合こそ、NHKを見るべきなんやけど、あわただしい朝、そんな大きな出来事やということに私はまだ気付いてなかったんですね。
娘らを送り出して、洗濯を干そうとしたら、テレビの画面に、あの、横倒しになった阪神高速道路が映し出されたんです・・・
「え~っ! えらいこっちゃ!」
あわてて、まだ寝てたダンナを起こしました・・・
神戸が大変なことに・・・
神戸には母方の従兄弟一家がいます。電話は不通になってなかなかつながらなかったようで、母や姉がやっと、従兄弟一家の無事やという連絡をもらったのは翌日やったと思います。
この辺は大手メーカーの工場とかがあり、その社宅や寮もあったので、その後、神戸から一時避難してきた人たちが何人もいました。娘たちの学校も被災した子供たちを受け入れたし、個人だけでなく、行政も、企業も、なんとか力になろうという姿勢でした。
私が、去年、すっかりハマっていたあの朝ドラは、そんな神戸を舞台にしたドラマです。
1月17日放送で、ヒロインが語りました。
1.17希望の灯り
1995年1月17日午前5時46分 阪神淡路大震災
震災が奪ったもの 命 仕事 団欒 街並み 思い出
…たった1秒先が予知できない人間の限界…
震災が残してくれたもの やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われた すべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを むすびつなぐ
このシーン、泣けました。
この後の、ヒロインが震災で亡くなった父を思って泣いた時に、恋人役のあの「彼」が、「・・・オレがそばにいるから」・・・なんてベタなセリフを言って涙を流すんやけど、正直、ツッコミながら(笑)、泣いてました。
あれからも、世界で、日本で、地震は起こっています。被災した人だけでなく、悲しい思いをした人はいっぱいいると思います。遠くで起こったらなかなか実感できないけど、この日を迎えると、改めて、他人事ではないんやと戒めますね。
「何か起こった時は、まず、小学校に集まろう」・・・家族で決めたのはこれだけやけど。
ちなみにあの日、中1の長女は起きたけど、小5の次女はグースカ寝とりました。学校へ行っても、みんなの話についていけず・・・いまだに、未体験?
でも、明日、18日は、その次女の誕生日。
だから娘にとっても、あの震災は忘れられないことなのも確かですね。
コメント&TBありがとうございました。(^-^)
11年前のあの日、TVをつけたらとんでもない光景が目に飛び込んできたのを
今でも忘れることは出来ません。
大阪にいた父は、「空襲がきたのかと思った」と話していました。
父の世代はやはり戦争の風景とだぶって見えたそうです。
神戸には主人のいとこが住んでいて、出来立てほやほやの新築マンションが、この震災で傾いてしまい、今2重ローンで苦労しています。
私は海の近くに住んでいるので、スマトラ沖のような地震が来たら間違いなくOUTです。
防災意識は、やはり高めていかないといけないですね。。
>小5の次女はグースカ寝とりました
私の妹もグースカ寝ていたみたいですよ。^^;
私の電話で初めて知ったというツワモノです。
お嬢さん、今日誕生日なんですね。
おめでとうございます。
ダンナが寝てるそばに、書棚があるんやけど、あれ以来、これをワイヤーで止めました。でも、イザとなったら危ないかも・・・
娘、今日で22才です。
まだ、帰ってません(笑) ご飯いらんと言ってたし、誰かと(誰やねん?)食べてくるらしい・・・ケーキは買ったけど、大きくなると、親はつまらんもんです。
胃がチクチク痛い 由純です。
あの朝は、北陸に住む私も 大変驚きました。
即、大津の知り合いに メールで確認しましたが、指が震えた
のを覚えています。
当時、担任をしていたクラスの中に 関西出身の学生が数名
いましたので 家族の無事を確認するように連絡しました。
学生さんは、朝はゆっくりグッスリとオネムなので 地震の事
は全く知りませんでした・・・。
北陸は、地震が少なく危機管理が低いのが現状です。
それでも、阪神・淡路大震災後に震度5の地震がありました。二階で寝ていた私は 寝たきりの父親の傍へ行くために階段を降りていったのですが 階段がうねる様な動きでまともに降
りることが出来ませんでした。
最後の数段は、跳んだと思います。
「あの時は、これ以上だったんだ・・・」と、改めて地震の怖さを
知りました。
その後、地震に対する大掛かりな対策はとっていませんが、
非難袋だけは、市販のもの+自分なりにあったらいいかなと
思うものを揃えました。
今春から おそらく京都か名古屋に住むことになります。
地震が、とても不安です。偽造マンションも・・・。
あの時、寝たきりの父親を背負って逃げようとした恐怖は 忘
れられません。(人間って、本当に馬鹿力が出るものですね)
その父親も 現在は天国から 孫のセンター試験を見守ってく
れています。(と、思います)
「母親のお前がオロオロせんと、あの時の馬鹿力を出さんか
い」と、言っているかもしれませんね。(笑)
1・17・・・私にとっても 忘れられない、忘れてはいけないこと
のひとつです。
ちなみに、私の車のナンバーは117です。
一つは、1・17の意味。もう一つは、11・7の意味です。
でも、最近は CMで有名な『ア●コ』と思われることが多いで
す。 少々、平和ボケと違いますか?
娘さん、22才のお誕生日おめでとうございます。
誰かさんとのお食事を楽しんだ後は きっとうずらさんのケーキ
を 美味しそうに食べてくれますよ。
「ラストダンスは私に」じゃないけど、大事なものはオオトリ!
紅白もそうじゃないですか!?
震度5を体験されたんですね。
私は、あの日、布団の中やったんやけど、揺れがすごく長く感じられたのを覚えています。まだ揺れるか?というような、気持ち悪~い揺れでした。余震もありましたし。
防災グッズ、買った方がいいんかな?
ズボラな私なんで、買っても、イザとなったら、どこにしまったのかわからんようになる気が・・・
やっぱり、ノーテンキなのかもわかりませんね。
自戒せな・・・
いよいよセンター試験ですね。体調管理が難しい時期なんで、気を付けてあげてくださいませ~
もう、そんなんも、遠い昔のことですわ・・・
由純さんは、教職をされてたようですが、今春から、京都か名古屋なんですね。娘さんと一緒なんで。羨ましいです。
ウチは、娘二人とも京都の大学なんで、自宅通学。母を頼ることもなく (泣)、母と遊んでくれることもなく (泣)、多分、勝手に自立していくんやろうな・・・
社会人3年目を迎える長女はともかく、いまだ進路の定まらない次女は、すっごく心配なんやけどね・・・
「1.17 希望の灯り」いま読んでも涙が流れます。
ヒロインの声とあの公園のシーン忘れられません。
11年前のあの日息子のお弁当作りのため5時半頃には
起きだしいつもならすぐにつけるTV6時過ぎにつけると
関西で大きな地震が・・と伝えています。刻々と写しだされる
光景は高速道路の倒壊、ビルの崩壊、そして街並みが・・・
変わっていく様子。ただ呆然と見ているだけでした。
いつ関東で起きてもおかしくない自然の驚異。甘くみては
いけませんね!
娘さんお誕生日おめでとうございます。
「親の心子知らず」子供を持って初めて解りますよね!
そして親も子離れ(笑)
一緒に祝ってくれる素敵な方がいる。良いことです~よ