ご無沙汰です。
書きかけていた日記を残さずに閉じてしまっても復元してくれたのに、さすがに、時間が経過してたら残ってなかった・・・(涙)
相変わらず、きままな更新ですいません。
この状況ではありますが、先週、上京してきまして。
こまつ座の舞台「母と暮せば」を、観に行ってきました~~
なんせ、今回は東京でしか観られないですから。
地方公演は、九州の演劇鑑賞会の17か所で約1か月の巡演、その後、神奈川で2か所、のみ。
演鑑の公演なので、会員しか観られません。
そんなこんなで、だいぶん前からチケットを購入。
今回も、女子会をすることなく夜はホテルで一人宴会という。
場所は新宿紀伊国屋書店のビル。
古い建物ですが、4階の紀伊国屋ホールはリニューアルして、この作品がこけら落とし公演になります。
キャパは400人ちょっと。
舞台も狭い空間の中につくられているので、びわ湖ホールで観た初演のイメージとだいぶん異なっていましたね。→ こちら
初演の東京公演中に再演の話があったようなのですが、もう一度観たいとずっと思ってました。
なんせ、この作品で演出の栗山民也さんは読売演劇大賞で大賞・最優秀演出家賞を受賞。
松下洸平くんは、この作品で文化庁芸術祭演劇部門新人賞、「スリル・ミー」と合わせて読売演劇大賞の優秀男優賞と杉村春子賞を受賞したんですから。→ こちら
先月観た、こまつ座「父と暮せば」とは対になって作られています。
「父と・・」は、井上ひさしさんの脚本ですが、「母と・・」はタイトルのみ遺されていて。
井上さんの意を継いだ山田洋次さんが、映画作品として描き、それを原作に、
若い脚本家であり演出家の畑澤聖悟さんが二人芝居として書かれた作品です。
「父と・・」は、広島を舞台に、原爆で亡くなった父が、生き残ってしまったことを負い目に感じて、生き辛くなっている娘を励ますために、時空を超えて現れるお話。
「母と・・」は、長崎の原爆で息子を亡くし、生きる力を無くした母を生かすために息子が現れるというお話。
同じような物語に思えるけど、違ってました。
演出も、「父・・」は鵜山仁さんで、「母・・」は栗山民也さんやしね。
原爆や戦争への怒りとお互いを思いやる親子の愛、という根底の部分は同じやけども。
観に行く前に、畑澤さんの本を購入。
脚本と、井上麻矢さん、山田洋次監督との対談なども載っています。
原作映画では、母は最後に原爆症が悪化して亡くなるのですが、
舞台では、母は息子に生きることを託されます。
今回の舞台、セットだけやなく、印象も違っていました。
井上麻矢さんによると、台本は全く同じだそうですが・・。
栗山さんが演出を変えてはるようですね。
舞台が始まる前、舞台には薄い幕がおろされてます。
タイトルがそこに書かれていて、こまつ座さんではおなじみの幕。
スタッフが、遺影の飾られた香台にあるろうそくに灯をともします。
この灯は、舞台が終わるまで灯ってるんですよ。1時間20分以上あるろうそくのようです。
セットも確かにちょっと違っていたし(ちょっと八百屋舞台=ナナメ)
幽霊である息子の浩二の登場の仕方も違っていました。
階段の上から降りてくるところは同じなんやけど。
・・・・階段の上から、あんな顔して母を見下ろしてるのね~~
あの優しくいう「ぼくだよ」は、何度聴いても泣きそうになります。
舞台が小さめやからか、浩二が大きく見えましたね。
でも、もっと、違うなと思ったのは、母の伸子を演じる富田靖子さんの印象でした。
初演は、洸平くんの浩二が衝撃的で、もう圧倒されて。
そのせいか? 母を演じた富田さんの印象が薄いんですね・・・(汗)
けれど、今回は富田さん演じる母の怒りを、とても強く感じました。
原爆で大切な息子を失っただけでなく、原爆による差別や偏見から生きる気力さえも失ったんですね。
・・・・改めて、そうなんやと思いました。
「こんなむごいこと、運命じゃなか。神様はなぜお止めなされんかった? 神様はアメリカの味方ね?
あの日の長崎に、神様はおらんかった。最初からどこにもおいでにならんかったとよ」
富田さんの台詞量がとにかくすごくて。
終戦後3年経って、「原爆障害調査委員会」が協力を求めた話は本当なんでしょうか。
人類の未来のために、新生児が生まれたら報告するようにと言われた話。
被爆者は貴重な標本といわんばかりの扱いで。
「奇形児ならさらに興味深い」なんて!!
母の怒りは収まらない。
あの時代の、理不尽な出来事、浩二のうめき、母の涙・・・
序盤の、ほほえましい母と息子の会話は、ほんとに楽しいんです。
会場の笑い声もありました。
2人の丁々発止のやりとりも息ぴったりで。
(思えば富田さんと洸平くん、一昨年は、「スカーレット」で娘の婿、妻の母、という関係やったんですよね!)
でも、2人の楽しいいやり取りのあとに、ふと静寂があるんです。
一瞬の緊張感。
「笑っとらんとやっとられん」
「もう終わったことやけん」
「幸せは生きてるもんのためにあるんやけん」
・・・そうか、この息子はもう死んでるんやった(涙)
涙もろい私だけでなく、会場全体に涙をすする音が響きます。
2人のやりとりが微笑ましいだけに、あの一瞬の静寂にドキッとするんですね。
狭い空間の中の二人芝居、でも、二人の会話の中に登場する上海のオジサンやおばあちゃん、シンおじさん、そして恋人の町子さんが、ちゃんと存在してました。
そのシーンがイメージできるんです。
特に町子さんが、婚約者を連れてきたシーン。
映画で描かれたシーンを、浩二が見てた(上から??)と言って話すんですが、婚約者の黒田さん。
戦争で片足をなくしてて、残った片足の靴の紐を町子さんがほどく・・・
脚本の畑澤さんが映画を見て印象に残ったというそのシーンを、浩二が、ちょっと嫉妬しながら話すんです。
その様子も、ちょっと微笑ましいくらいの会話で、でも、母が、「あんたも、つからとね」て言って。
そこでまたいうんですね。
「幸せは生きとる人間のためにあるとかやけん」
狭い家の中の会話劇ながら、ちゃんと動きがあって(当たり前やけど)
浩二は、部屋を歩き、寝転び、うつぶせになり、笑ったり踊ったり歌ったり。
架空の、母のつくるおにぎりとみそ汁をおいしそうに飲んで。
そして、あの日を再現するシーン。
一瞬、照明が変わり、二人が並んで、掛け合いのように語り始めます。
母の後悔。
「なして、うちはあんたば止めんかったとやろう」
浩二は、赤い光線を浴びながら、悶え、苦しみ、「熱か、熱か、熱か・・・」と何度も叫ぶんです。
「母さんはどうしいてるやろ、ごめんね、ぼくはもうこれまで、熱か熱か、母さんに会いたか、熱か熱か・・」
何度観てもここは、壮絶で、息もつけない。
こぼれる涙が一瞬止まるくらいです。
富田さんも洸平くんも、毎回、細かい動きまでちゃんと演じてるんやなぁと。
産婆としての仕事をしなくなった母に、
「どうして産婆になろうと思ったの?」
「続きを話してよ」
「防空壕の中でもお産があったね」など、
何度も、「産ましめる」母の役割に気づかせようとする息子。
自分の前に息子が現れたのは、「迎えに来たとやろ?」「連れて行ってよ」という母。
「今じゃない」「母さんには助産婦を続けて欲しか」と浩二は言います。
それは無理・・・原爆症にむしばまれつつある自分が、産ましめる仕事をすることができない理由を話し始めます。
自分の心のフタを取り払い、心の中にあった怒りを息子に吐露することで、母は前を向くんですよね。
息子が作った塩水を飲み、「僕のかわりに生きて」という言葉を素直にきくんです。
身体は原爆症にむしばまれてるかもしれないけど、可能性があるなら何でもしようと。
そして、医者に行く代わりに、ずっとここに居て、母さんを笑わせてという母。
見えなくてもずっとそばに居る、僕だけやなく、亡くなった人はみんな母さんのそばに居いると息子は言います。
「町子の子どもは男の子ばい。母さんが取り上げると。はよう元気にならんば」
最後に母に声をかけるとき、もう、浩二は階段を上がってましたね。
暗転して外が明るくなり、居眠りから覚めた母は、ちゃぶ台にあるコップを見てにこっとします。
息子の存在を感じたんですね。
そして、香台に手を合わせて、しまってあった産婆のカバンを取りに行きます。
階段の上からその姿を眺める浩二。
浩二が好きだったとう母の姿。
カバンから産婆の七つ道具を出して畳に上に並べ始めて、幕・・・
セットの後ろに窓があります。
時間の経過が、照明で示されます。
浩二が登場したのは午後5時。
そこから、陽がだんだん傾き、窓ガラスがオレンジ色になるんですね。
ここから見る夕日がキレイ。浩二の好きな景色。
目の前に広がる長崎湾、正面に稲佐山、西に東シナ海。
坂を降りて路面電車に乗って大学へ。
思わず、浩二の家は長崎のどこやろうって、調べましたわ。
長崎原爆被爆地図 → こちら
浩二が被爆した学び舎の長崎医大は爆心地に近いんですね。→ こちら
山に挟まれたところに投下されたので、焼けた地域は細長いんですね。
それにしても会話劇で、これほど、観ている人を惹きつけていくって・・・あっという間の1時間20分でした。
カーテンコールでは、富田さんのお顔がこわばっていましたが、何度も起こる拍手で最後は和らいでましたね。
洸平くんは登場するたびに何度も多方面に頷き、ありがとうございましたと(声は聞こえないけど、口元が)。
素の洸平くんに切り変わって、笑顔を見せてくれます。
千穐楽のカテコは、カテコ2回目からスタオベ状態やったかと。
にっこり顔を見合わせていた二人が、3回目か4回目には、洸平くんが手を伸ばし、手つなぎしておじぎ。
5回目?で、セットにぶつかりそうになりながら登場した洸平くんに客席が和みました。
そして、顔を見合わせてニッコリ笑うと、二人がハグ~~
顔を右、左と、2回(というてええのか?)客席が喜びました!
手繋ぎもですがハグも、リードするのは洸平くんです。
常に、観客のことを考えてますよね。
そしてまだまだ拍手。
カテコのラストでは、洸平くんは登場しながら客席に向かって自ら拍手をしてくれましたね。
いつもそうです。私たちの方に手をたたいてくれるんです。
そして、ハケるときに、足元にある産婆の七つ道具にけつまづきそうになった富田さんを、思わす支える息子!
東京大千穐楽が終わって、「母と暮せば」は、今、九州ぐるっとツアー中です。
九州の演劇鑑賞会17地域で、約40公演も上演するようです。すごいね。
(間で、ちょこちょこ帰京するようですが・・・お仕事もたいへん!)
でも、14日の東京千穐楽の日、洸平くんファンにはさらにすごい?ニュースが飛び込みました。
この日はまさに洸平祭りになったんですよ。
これはまた、のちほど(苦笑)
紀伊国屋ホール。
千穐楽は山田洋次監督の姿もありました。
栗山さんも来られてたようですね。
井上ひさしさんとつかこうへいさんの写真が飾られてました。
初日祝いがたくさん。
洸平くんからは「ボディメンテ」でしたね!
「父と暮せば」の山崎一さん、伊勢佳世さんからも。
衛星劇場さんからも届いてて・・・秋に放送されるようです!!
そして、「母と暮せば」、13日にはカメラが入ってました。
8月6日から9日まで、くしくも広島に原爆投下された日から長崎に投下された日まで、有料配信されるそうです。
多くの人に観ていただきたい作品なので、良ろしかったら、ぜひに。
カンフェティ配信 → こちら
栗山さんは、今、この作品を上演する意味をパンフでおっしゃてます。
この作品で語られていることは、オリンピックを巡る今の状況とあまりに似てる、と。
演劇には、エンタティメントな側面とともに、人間の声や時代の音、その周辺にへばりつく風景といったいくつもの記憶を再体験する場としての側面があると。
いろいろ考えさせられます。
紀伊国屋ホールはエレベーターで4階。
地下には、レストランなどが入ってました。
書きかけていた日記を残さずに閉じてしまっても復元してくれたのに、さすがに、時間が経過してたら残ってなかった・・・(涙)
相変わらず、きままな更新ですいません。
この状況ではありますが、先週、上京してきまして。
こまつ座の舞台「母と暮せば」を、観に行ってきました~~
なんせ、今回は東京でしか観られないですから。
地方公演は、九州の演劇鑑賞会の17か所で約1か月の巡演、その後、神奈川で2か所、のみ。
演鑑の公演なので、会員しか観られません。
そんなこんなで、だいぶん前からチケットを購入。
今回も、女子会をすることなく夜はホテルで一人宴会という。
場所は新宿紀伊国屋書店のビル。
古い建物ですが、4階の紀伊国屋ホールはリニューアルして、この作品がこけら落とし公演になります。
キャパは400人ちょっと。
舞台も狭い空間の中につくられているので、びわ湖ホールで観た初演のイメージとだいぶん異なっていましたね。→ こちら
初演の東京公演中に再演の話があったようなのですが、もう一度観たいとずっと思ってました。
なんせ、この作品で演出の栗山民也さんは読売演劇大賞で大賞・最優秀演出家賞を受賞。
松下洸平くんは、この作品で文化庁芸術祭演劇部門新人賞、「スリル・ミー」と合わせて読売演劇大賞の優秀男優賞と杉村春子賞を受賞したんですから。→ こちら
先月観た、こまつ座「父と暮せば」とは対になって作られています。
「父と・・」は、井上ひさしさんの脚本ですが、「母と・・」はタイトルのみ遺されていて。
井上さんの意を継いだ山田洋次さんが、映画作品として描き、それを原作に、
若い脚本家であり演出家の畑澤聖悟さんが二人芝居として書かれた作品です。
「父と・・」は、広島を舞台に、原爆で亡くなった父が、生き残ってしまったことを負い目に感じて、生き辛くなっている娘を励ますために、時空を超えて現れるお話。
「母と・・」は、長崎の原爆で息子を亡くし、生きる力を無くした母を生かすために息子が現れるというお話。
同じような物語に思えるけど、違ってました。
演出も、「父・・」は鵜山仁さんで、「母・・」は栗山民也さんやしね。
原爆や戦争への怒りとお互いを思いやる親子の愛、という根底の部分は同じやけども。
観に行く前に、畑澤さんの本を購入。
脚本と、井上麻矢さん、山田洋次監督との対談なども載っています。
原作映画では、母は最後に原爆症が悪化して亡くなるのですが、
舞台では、母は息子に生きることを託されます。
今回の舞台、セットだけやなく、印象も違っていました。
井上麻矢さんによると、台本は全く同じだそうですが・・。
栗山さんが演出を変えてはるようですね。
舞台が始まる前、舞台には薄い幕がおろされてます。
タイトルがそこに書かれていて、こまつ座さんではおなじみの幕。
スタッフが、遺影の飾られた香台にあるろうそくに灯をともします。
この灯は、舞台が終わるまで灯ってるんですよ。1時間20分以上あるろうそくのようです。
セットも確かにちょっと違っていたし(ちょっと八百屋舞台=ナナメ)
幽霊である息子の浩二の登場の仕方も違っていました。
階段の上から降りてくるところは同じなんやけど。
・・・・階段の上から、あんな顔して母を見下ろしてるのね~~
あの優しくいう「ぼくだよ」は、何度聴いても泣きそうになります。
舞台が小さめやからか、浩二が大きく見えましたね。
でも、もっと、違うなと思ったのは、母の伸子を演じる富田靖子さんの印象でした。
初演は、洸平くんの浩二が衝撃的で、もう圧倒されて。
そのせいか? 母を演じた富田さんの印象が薄いんですね・・・(汗)
けれど、今回は富田さん演じる母の怒りを、とても強く感じました。
原爆で大切な息子を失っただけでなく、原爆による差別や偏見から生きる気力さえも失ったんですね。
・・・・改めて、そうなんやと思いました。
「こんなむごいこと、運命じゃなか。神様はなぜお止めなされんかった? 神様はアメリカの味方ね?
あの日の長崎に、神様はおらんかった。最初からどこにもおいでにならんかったとよ」
富田さんの台詞量がとにかくすごくて。
終戦後3年経って、「原爆障害調査委員会」が協力を求めた話は本当なんでしょうか。
人類の未来のために、新生児が生まれたら報告するようにと言われた話。
被爆者は貴重な標本といわんばかりの扱いで。
「奇形児ならさらに興味深い」なんて!!
母の怒りは収まらない。
あの時代の、理不尽な出来事、浩二のうめき、母の涙・・・
序盤の、ほほえましい母と息子の会話は、ほんとに楽しいんです。
会場の笑い声もありました。
2人の丁々発止のやりとりも息ぴったりで。
(思えば富田さんと洸平くん、一昨年は、「スカーレット」で娘の婿、妻の母、という関係やったんですよね!)
でも、2人の楽しいいやり取りのあとに、ふと静寂があるんです。
一瞬の緊張感。
「笑っとらんとやっとられん」
「もう終わったことやけん」
「幸せは生きてるもんのためにあるんやけん」
・・・そうか、この息子はもう死んでるんやった(涙)
涙もろい私だけでなく、会場全体に涙をすする音が響きます。
2人のやりとりが微笑ましいだけに、あの一瞬の静寂にドキッとするんですね。
狭い空間の中の二人芝居、でも、二人の会話の中に登場する上海のオジサンやおばあちゃん、シンおじさん、そして恋人の町子さんが、ちゃんと存在してました。
そのシーンがイメージできるんです。
特に町子さんが、婚約者を連れてきたシーン。
映画で描かれたシーンを、浩二が見てた(上から??)と言って話すんですが、婚約者の黒田さん。
戦争で片足をなくしてて、残った片足の靴の紐を町子さんがほどく・・・
脚本の畑澤さんが映画を見て印象に残ったというそのシーンを、浩二が、ちょっと嫉妬しながら話すんです。
その様子も、ちょっと微笑ましいくらいの会話で、でも、母が、「あんたも、つからとね」て言って。
そこでまたいうんですね。
「幸せは生きとる人間のためにあるとかやけん」
狭い家の中の会話劇ながら、ちゃんと動きがあって(当たり前やけど)
浩二は、部屋を歩き、寝転び、うつぶせになり、笑ったり踊ったり歌ったり。
架空の、母のつくるおにぎりとみそ汁をおいしそうに飲んで。
そして、あの日を再現するシーン。
一瞬、照明が変わり、二人が並んで、掛け合いのように語り始めます。
母の後悔。
「なして、うちはあんたば止めんかったとやろう」
浩二は、赤い光線を浴びながら、悶え、苦しみ、「熱か、熱か、熱か・・・」と何度も叫ぶんです。
「母さんはどうしいてるやろ、ごめんね、ぼくはもうこれまで、熱か熱か、母さんに会いたか、熱か熱か・・」
何度観てもここは、壮絶で、息もつけない。
こぼれる涙が一瞬止まるくらいです。
富田さんも洸平くんも、毎回、細かい動きまでちゃんと演じてるんやなぁと。
産婆としての仕事をしなくなった母に、
「どうして産婆になろうと思ったの?」
「続きを話してよ」
「防空壕の中でもお産があったね」など、
何度も、「産ましめる」母の役割に気づかせようとする息子。
自分の前に息子が現れたのは、「迎えに来たとやろ?」「連れて行ってよ」という母。
「今じゃない」「母さんには助産婦を続けて欲しか」と浩二は言います。
それは無理・・・原爆症にむしばまれつつある自分が、産ましめる仕事をすることができない理由を話し始めます。
自分の心のフタを取り払い、心の中にあった怒りを息子に吐露することで、母は前を向くんですよね。
息子が作った塩水を飲み、「僕のかわりに生きて」という言葉を素直にきくんです。
身体は原爆症にむしばまれてるかもしれないけど、可能性があるなら何でもしようと。
そして、医者に行く代わりに、ずっとここに居て、母さんを笑わせてという母。
見えなくてもずっとそばに居る、僕だけやなく、亡くなった人はみんな母さんのそばに居いると息子は言います。
「町子の子どもは男の子ばい。母さんが取り上げると。はよう元気にならんば」
最後に母に声をかけるとき、もう、浩二は階段を上がってましたね。
暗転して外が明るくなり、居眠りから覚めた母は、ちゃぶ台にあるコップを見てにこっとします。
息子の存在を感じたんですね。
そして、香台に手を合わせて、しまってあった産婆のカバンを取りに行きます。
階段の上からその姿を眺める浩二。
浩二が好きだったとう母の姿。
カバンから産婆の七つ道具を出して畳に上に並べ始めて、幕・・・
セットの後ろに窓があります。
時間の経過が、照明で示されます。
浩二が登場したのは午後5時。
そこから、陽がだんだん傾き、窓ガラスがオレンジ色になるんですね。
ここから見る夕日がキレイ。浩二の好きな景色。
目の前に広がる長崎湾、正面に稲佐山、西に東シナ海。
坂を降りて路面電車に乗って大学へ。
思わず、浩二の家は長崎のどこやろうって、調べましたわ。
長崎原爆被爆地図 → こちら
浩二が被爆した学び舎の長崎医大は爆心地に近いんですね。→ こちら
山に挟まれたところに投下されたので、焼けた地域は細長いんですね。
それにしても会話劇で、これほど、観ている人を惹きつけていくって・・・あっという間の1時間20分でした。
カーテンコールでは、富田さんのお顔がこわばっていましたが、何度も起こる拍手で最後は和らいでましたね。
洸平くんは登場するたびに何度も多方面に頷き、ありがとうございましたと(声は聞こえないけど、口元が)。
素の洸平くんに切り変わって、笑顔を見せてくれます。
千穐楽のカテコは、カテコ2回目からスタオベ状態やったかと。
にっこり顔を見合わせていた二人が、3回目か4回目には、洸平くんが手を伸ばし、手つなぎしておじぎ。
5回目?で、セットにぶつかりそうになりながら登場した洸平くんに客席が和みました。
そして、顔を見合わせてニッコリ笑うと、二人がハグ~~
顔を右、左と、2回(というてええのか?)客席が喜びました!
手繋ぎもですがハグも、リードするのは洸平くんです。
常に、観客のことを考えてますよね。
そしてまだまだ拍手。
カテコのラストでは、洸平くんは登場しながら客席に向かって自ら拍手をしてくれましたね。
いつもそうです。私たちの方に手をたたいてくれるんです。
そして、ハケるときに、足元にある産婆の七つ道具にけつまづきそうになった富田さんを、思わす支える息子!
東京大千穐楽が終わって、「母と暮せば」は、今、九州ぐるっとツアー中です。
九州の演劇鑑賞会17地域で、約40公演も上演するようです。すごいね。
(間で、ちょこちょこ帰京するようですが・・・お仕事もたいへん!)
でも、14日の東京千穐楽の日、洸平くんファンにはさらにすごい?ニュースが飛び込みました。
この日はまさに洸平祭りになったんですよ。
これはまた、のちほど(苦笑)
紀伊国屋ホール。
千穐楽は山田洋次監督の姿もありました。
栗山さんも来られてたようですね。
井上ひさしさんとつかこうへいさんの写真が飾られてました。
初日祝いがたくさん。
洸平くんからは「ボディメンテ」でしたね!
「父と暮せば」の山崎一さん、伊勢佳世さんからも。
衛星劇場さんからも届いてて・・・秋に放送されるようです!!
そして、「母と暮せば」、13日にはカメラが入ってました。
8月6日から9日まで、くしくも広島に原爆投下された日から長崎に投下された日まで、有料配信されるそうです。
多くの人に観ていただきたい作品なので、良ろしかったら、ぜひに。
カンフェティ配信 → こちら
栗山さんは、今、この作品を上演する意味をパンフでおっしゃてます。
この作品で語られていることは、オリンピックを巡る今の状況とあまりに似てる、と。
演劇には、エンタティメントな側面とともに、人間の声や時代の音、その周辺にへばりつく風景といったいくつもの記憶を再体験する場としての側面があると。
いろいろ考えさせられます。
紀伊国屋ホールはエレベーターで4階。
地下には、レストランなどが入ってました。