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おかんのネタ帳

日々の雑感や興味のあることを書いています

土倉鉱山跡

2015-12-05 23:09:57 | 日々のつれづれ
昨夜、急にお仕事が入って、今日はてんやわんや・・・
というか、今日は大阪までコンサートに行く予定にしてたし、
お隣との境界にあるフェンスの張り直しも、来て貰ってたりで、
朝からバタバタでした・・・ほんで、ふと、チケットを見たら、
今日ではなく、明日の日付になってますやん~~~ 明日かいな・・・

なので、今日は、結局仕事三昧・・・
それでも明日は出かけるワケで、他の仕事もあるし、
その、急なお仕事をする時間があるんやら・・汗
がんばります~~

さて、先週、木之本まで行ったついでに、
・・・どっちがついでかわかりませんけど、かねてより、
どうしても行ってみたかった、鉱山跡にも行ってきました~



土倉鉱山跡です。
廃墟マニアには有名な廃鉱山らしくて、訪れる人が多いようです。
観光情報にも紹介されていたようで、看板も出てる、なんて、
ブログ等にも書かれてたので、カンタンに見つかると思ってました。



金居原の集落にあった案内板。
確かに303号のバイパスから旧道に入ってすぐ・・・ではあったけど、
ブログ等にあった鉱山跡の看板がなかったこともあり、ちょっと迷いました~
結果的には、カンタンに見つかる場所ではあったのですが・・・

バイパスの橋脚をくぐって薄暗い山の中、少しはいったところ、
急に開けて、明るくなったと思ったら、
湖北のマチュピチュとも呼ばれるコンクリートの遺構がありました。

意外にも?先客があり・・・どうやら、撮影をしに来てるらしい。
男性と女性なんですけどね・・・あちらも、ちょっとビックリしはった?

土倉鉱山は、明治40年(1907年)に銅鉱脈が発見され、
明治43年から銅の採掘が始まったそうです。
当時は、ここよりもっと奥だったそうですが、山間で狭いことから、
後に、現在の位置に坑道を新たに作ったそうです。

昭和30年ごろまで順調に発展し、最盛期には従業員やその家族ら、
1500人もの人でにぎわい、鉄筋コンクリートの社宅や、
学校、病院、マーケットや映画館まであって、
ふもとの町よりも栄えたらしいですよ。

でも、昭和38年に銅鉱石の貿易自由化にともない、
海外から安い鉱石が入り、新たに開発された鉱床が低品質だったり、
採算が合わなくなって、昭和40年に閉山となったそうです。



今も残るこの遺構は、選鉱所跡だとか。
社宅など、住居の遺構もあったようですが、
バイパスができたときに解体撤去されたらしい。
軍艦島みたいやね~



バイクのライダーとか、廃墟マニアの人など、
多くの人が訪れているようやけど、遺構だけにちょっと危険かも。
と、言いながら、すべりそうなところを、登ってみたんやけどね。



だれかが置いた棒状の細い角材が置いてあり、
これを持ちながら登ったんやけど・・・

上から見下ろすと、こんな感じ。



どんな建物が建ってたんでしょうねぇ。
山肌に沿って建てられているので、まだ上に遺構が残っています。



さすがに、上れるところがないので、あきらめました。
無理して、ケガしてもいけないしね。
観光地ではないので、ケガは自己責任ですから。



というか、一人ではやっぱりコワイですよね~



洞窟のような穴もあります。
見かけなかったけど、この遺構には、コウモリが住んでるというウワサ。



ま、コウモリも、珍しい動物ではないけどね。

お天気が良かったし、昼間やし、今の季節やから行けたかも。
夏場は草も生い茂るやろうし、長い生き物とか、いろいろ出そうやん・・・

この奥にも遺構がありそうやけど、この日はここで終了。
あまり長居はしませんでした。

撮影に来てる感じの、あの二人がとても気になり・・・

だって、女性の衣装が・・・

私らが来たので、あわててコートを羽織らはったけど、
フリフリのドレスのようでしたからね・・・

廃墟でグラビア撮影・・・なんかな・・・

気になるわ~

それにしても、滋賀県て、いろんなもんがあるんやねぇ~