おかんのネタ帳

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つわものどもが、夢の跡

2011-09-30 01:25:05 | 日々のつれづれ


番所跡から少し登ったところから東側を見ると、伊吹山が見えました。
当時の伊吹がどんな山に見えたのかかわらへんけど。

さて、小谷山のふもとから出てるシャトルバスは、
朝9時から午後3時半まで、30分ごとに出ます。
500円というと高いようやけど、ガイドさんがついてくださって、
1時間あまり案内してくれるので、ありがたいです。

乗るバスによって、グループ名が付けられてます。
私は、「長政」でした~



首からかけてるのを撮ったので、反対むいてますが~(苦笑)

他に、すれ違った人たちのを見てたら、「三成」とか。「光秀」とか、
もちろん、「茶々」とか、三姉妹もありましたね。

ガイドさんは、、私があったのは女性ばかりでしたね。
男性もいはるんかもわからへんけど。



お話もお上手で、こまかく案内してくださいました。
ダンナが私に言うんですわ。

「自分もしたらええねん。ええ運動になって、痩せるで~」

聞けば、1日2回、案内してるそうです。
そらぁ、なんべんも登ってられへんよね。しんどいわ。



昨日アップしそびれた、大広間跡です。
ここが一番広かったんやけど、ナニやら草むらを長いもんが横切り・・・

前にここへ着た時にも、複数がどくろをまいてるのを見たけど、ヘビさんですわ。
・・・縁起良いかもわからんので、OKにしとこ。

小谷山の尾根に城が気付かれてるんやけど、一番高いところ「大嶽(おおずく)」に、
祖父にあたる浅井亮政は城を築いたようです。
長政の本丸から、大嶽まで尾根がつながっていたようですが、
本丸と、父久政がいた小丸との間には、「堀切」が掘られ、
敵の侵入を防ぐような形になっています。



堀切。人工的につくったものやけど、
高さ10m、幅15m、長さ30m、あるそうです。

落城の時、織田軍は、堀切があるにもかかわらず、
水手道から、本丸よりも高いところにある小丸に攻め入ったそうです。
そのために、本丸から逃げる道を失ったことになり、
長政は死を覚悟した、というんですね。
防御のための堀切が、自分たちの逃げる道をも阻むことになったのが、
いかにも戦国時代ですね~



姉川古戦場跡方面です。
時間がなかったので、寄らずにきたんやけど、
観光バスが止まってましたよ。
古戦場って、どんな風になってるんかしらね。

本丸跡で、ガイドさんの案内は終了したんやけど、
最後に、琵琶湖周航の歌を紹介されました。
聞けば、5番の歌詞が小谷城跡のことを歌ってる、っていうんですね。
なので、ガイドさんんと一緒に、1番と5番を歌いましたよ~

琵琶湖周航の歌 5番

矢の根は深く 埋(うず)もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇(たたず)めば
比良(ひら)も伊吹も 夢のごと

なるほど~
小谷城っぽいですね~