
このブログではおなじみですが、東日本大震災当日を偲ぶ個人的イベントです。
当日、職場から親の事務所まで歩いて合流し、親戚の家に泊めてもらいました
最初はタクシーでも拾うかなどと甘いことを考えてましたが、道路も歩道も車と人でいっぱいでした。

丸の内からお堀端を通り、国会議事堂の脇を抜けて首相官邸へ。
溜池、赤坂見附、紀尾井町、四谷、そこから新宿通りをまっすぐ。
当日は所々でコンビニに寄ったり、ATMでお金降ろしたりしながら歩いていた。
携帯の電池を探していたのですが、電池とパンなどは既に売り切れていました。
電力事情は別に問題なかった。沿道の飲み屋さんとかもやっている店が結構ありました。
ついでにいうと、振込もふつうにできました。
電車は不通になり、四ツ谷駅のホームには電気を消した快速電車が止まっていました。あれは、運転士と車掌はその後どうしたのでしょうね。。

14年が経過し、街の風景は少しずつ変わってきています。
帝劇も建て替えですね。

劇場には行った事がないと思います。。
地下の食堂街はよく使ってたな。

14年が過ぎたけど、当日のことは不思議に覚えています(以前書いた内容と多少重複しますが)。
SNS(FBやツイッター)はIDは持っていたけどまだほとんど使っておらず、仲間内で使ってたのはmixiでした。電話はあまりつながらず、mixiで消息を伝えたりしていました。
実家は停電していましたが、黒電話があったので連絡可能でした。
携帯はガラケーでした。1、2日前に秋葉原のヨドバシでスマホの説明を受けたのだけど、その時は買わなかった。買ってたら操作できずに困っていたかもしれない。
当時使ってたWalkmanにワンセグがついてて、職場で見ていたので津波の事は知っていました。それより千葉のコンビナートで火災、というのが気になっていた。
伯母の家でテレビを見て、叔母が枝野官房長官の耳がすごい福耳だ、と言ってたのを思い出します、。