
1日過ぎてしまったけど、30年前の昨日起きた地下鉄サリン事件について、ニュースや特集番組で報じていたのを見て、少し思い出してみた。
自分に直接関わりがあったわけではないのですけど。
当時、ちょうど前年に転居して、3月には職場も変わり職場が新宿になっていた。
ので、偶々地下鉄を利用して通勤しない状況にあった。前年までは中央線と地下鉄丸ノ内線を使い、霞が関で降りていた。
もし前年までと同じ通勤経路だったら、当該列車には乗らなかったにしても(事件に遭った列車はおおむね8時前頃に運転されていたが、ふだんの通勤はそれより30分程度遅かった)、なんらかの影響を受けていたかもしれない。
前年まで一緒に仕事をしていた上司は出社が早く、いつも8時ぐらいの電車に乗っていた。事件の時点では既に転職していたが、後に当時の同僚と話す機会があったとき、あの時もし上司がまだ仕事していたら・・、と語り合ったりした。
新宿の職場では、昼過ぎになって上司が「都心の方でなにかがあったらしい」という話をしていた。
なにかがあった、と言われても何だかわからんので、はあ・という感じだったが、そもそも「何かがあったらしい」、という言い方自体、普通の会話ではない。
上司も騒ぎの内容はわからなかったのだろう。
ので、この時の会話はなぜか印象に残っている。
今だったらネットであっと言う間に拡散すると思うが、当時の情報環境はそんな感じだったのだ。
インターネットは当時もあったが、職場のPCで常時ニュースが見られるようになるのは、自分の環境では事件から3年後の事だ。
携帯電話は存在はしていたが、文字通りそれは電話機だった。
確かに会議室にテレビはあった(この後少しして、野茂選手の初登板だかをみんなで見た記憶がある)。しかし、仕事中にテレビを見る人はいない。せいぜい新聞を読むぐらいだろう。
ようやくPCが一人一台使えるようになり、emailで連絡することが始まった頃だ。Windowsはまだ3.1だった(95が出るのは11月)。
翌年、職場が神谷町に移る。また地下鉄通勤に戻った。
このとき、普通に通勤経路をとれば丸の内線で霞が関、日比谷線に乗り換えて神谷町駅、となる。
しかし、前年の霞が関の印象が残っていて、使うのが怖かった。
ので、赤坂見附で銀座線に乗り換え、虎ノ門で降りてそこから歩いていた。
今のヒルズのある方の通りではなく、金毘羅宮の裏手、古風な医院の建物のあるところを抜けて、消防の博物館のような建物を横に見つつ、突き当りを曲がり(当時の取引先の会社がこの辺にあった)、急な坂を上って行く。ホテルオークラが見えてくるとそろそろ神谷町だ。
この一帯は再開発が進み、新しい道路もできて当時の面影はほとんど残っていないと思う。それはともかく。
虎ノ門経由は1年半ぐらい続けたかな。
霞が関が怖いって言っても、そもそも丸の内線自体が事件の舞台になった路線だし、歩く時間もけっこうかかる。ただ、繁華街は怖いかも、という感覚はけっこう残っていた。
日比谷線はご存じの方はご存じかと思うけど、走行中の電車が火事になったり、駅構内で接触事故を起こしたり(いずれも一回ではない。乗客が死亡したケースも)、ちょっと「なにかある」路線じゃないかという恐怖感もあったのだが、最近は大丈夫みたいだ。
丸の内線はその後も、今でも毎日使っているし、やはり事件の舞台となった千代田線の二重橋とかもその後通勤で使っていた。
冒頭の写真はいいのがないので、その頃のベランダの様子。95年よりはもっと後だと思う。右に見える観葉植物(金のなる木、という名前だった)は今も家にあります。