うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

夏の災厄

2021年07月12日 | 本と雑誌
篠田節子 角川文庫(Kindle版)2015.2 
初版は毎日新聞社1995.3 

昨年、よく拝見させていただいているブログで紹介されていて、気になっていた一冊。篠田節子さんの小説を読むのは初めて。

首都圏近郊の平凡な街に突如発生した感染症流行に、市の保健センターの職員たちは時に戸惑い、時に組織や医療の壁に憤りながら戦いを挑む、という物語。昨年、拡大しつつあるコロナ禍のなかで、カミュ「ペスト」と共に注目を浴びた作品です。

篠田さんは小説家になる前は市役所の職員を長年務めてきたそうで、そうした経験がこの作品の視点として有効に使われているようで、その辺がとても興味深いです。

そう、考えてみると、天下国家を憂うとか、生き馬の目を抜くビジネス界とか、そういう視点のドラマは結構見かけますが、地方自治体もの、医療ものはいままで経験ないかな。
「推定無罪」は地方ものだったけどあれは刑事もの(殺人事件解決系)。
検屍官スカーペッタシリーズ(あれ懐かしいな・。意外とねマリーノ好きなんですよ。誰だっけあの色男・あと姪御さんとか)も刑事ものですね。

登場人物の描写はよく考えられていて、若くて事なかれ主義(だが、時にはそれなりに正義感を発揮する)な市職員小西、経験豊富で肝の座った看護師の堂元房江、左翼がかった医師梶川、ほかにも小西の上司や保健センターの事務員、製薬会社の営業など、多くの登場人物がよく動いている。
梶川氏のような、市民運動家的な人というのは、地方自治レベルではけっこう存在感があるのでしょうね。。

小西たちは目の前で起こっていること(多数の住民たちが急に高熱を発して倒れて死亡、存命でも人事不省になる)と、それに対する自治体や医療界の見解と対処法に疑念と反感を感じながら、原因究明と対応を考えていくのだが、色々考察を重ねながらも、真相にはなかなかたどり着けない。

話は飛んで、私事で恐縮ですが、僕はふだん本を3冊ぐらい同時に読んでいます(平日出社しているときなど)。朝の電車では例えば歴史考察もの(先週書いた「満鉄全史」など)、昼休みは法律関係とか、またちがうやつ。
今回の「夏の災厄」は、もっぱら帰りの電車で読むことにしてました(前にも書きましたが遅読家です)。そのうえ道中半分ぐらい寝てたりするので、結構読むのに時間がかかります。

それで、毎日ちびっとずつこの「夏の災厄」を読んでいると、なんだか連続もののテレビドラマを見ているような気分になってくるんですね。

というのも、後半主人公たちが「真相はこれだ!」と色々試すのですが、やってみると空振りだったとか、壁にぶつかったとかになって、ストーリーがまた戻ってしまう、を繰り返すのです。
そこだけ一話完結、だけど登場人物の説明は最初にされているというのが、なんだかテレビドラマっぽい。裏を返せばストーリーの流れが悪く、すこし色々なものを詰めすぎている感じがしないでもありません。というか、クライマックスがない、あるいは弱いのかな。。

小説冒頭に物語の舞台となる埼玉県昭川市(架空の地名)の市勢と地形図が掲げられています。面積、人口、市の標語のようなものまで設定されていて、ちょっと驚きます。。

おそらく青梅市、飯能市辺りがモチーフなのかな。。
今日的な目で見ると、面積のわりに人口が少なすぎる感じもするし、かなり都心から離れている(池袋まで特急で43分。これは現実世界の飯能市とほぼ符合する)気もします。現実の飯能市は西側がほとんど山岳地帯ですが、昭川市は南側にもう一本鉄道が通っていて、飯能よりは市内全体が宅地化できる環境にあるみたいです。
それにしても広い街です。

携帯電話がなくて、ネットの普及もほとんど進んでいないように見える辺りも時代が感じられますが、他の部分はそれほど古い感じがしません。とはいえ、ちょっと平成レトロ的な懐かしさを感じるのですよね。。物語の同時代に、自分がどこで何をしていたのかが、ふつふつ浮かんでくる(おそらく平成の初期)。

パンデミック終息は現実世界同様に難航して、またぶり返したり、市民が規制に不満を持ったりと、この辺は相当今の様子を予言しています。。そこらへんはネタバレになってしまうのであまり触れませんが、現実の世界でもこの物語のエンディングのように、早く平静になってほしいものです。。

コメント (4)
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