SNSでシカゴに住む知人(日本人)が下記の記事を紹介し、これに長文のコメントを寄せていた。
日本と米国との(意識の)違いが良く出ている判決だという。
SNSで知人がリンクしたのはNYタイムズの記事だが、購読していないと全く読めない。ので、国内で配信された記事を掲げる。
《要約》米最高裁は23日、学校への不満をソーシャルメディアに投稿した少女の部活動参加を禁止した学校の処分について、違憲だとする判決を言い渡した。合衆国憲法修正第1条が定める「言論の自由」の範囲内だと判断した。
少女は土曜日に学外で私服姿の画像をSNSに投稿し、「くたばれ学校」などのコメントをつけた。学校の顧問はこれを見てスポーツマンシップに反するとして少女に1年間の活動禁止を命じていた。
検索ではこの朝日新聞と共同ニュースで取り上げられていたようだ。いずれも簡潔なベタ記事だ。自分で紙面を検索できる日経、読売および産経等では記事が見つけられなかった。
だが知人によると、このニュースは3大ネットワークの6時半のトップニュースで、NYTでも一面扱いだったのだという。知人は日本での記事の扱いに素っ気なさを感じたようだ。
知人は言う。
米国では、言論の自由は、日本人が考えている以上に、死しても守るべきものだ。半端なことではなく、この国の血肉をなしているといっても良い。個人の自由は、全体の利益、調和よりも優先順位が高い。
この辺を理解しないと、欧米の民主主義、個人主義、言論の自由を語るとき、ボタンの掛け違いが生じる。
つまり、僕を含む日本人にはあまりピンと来ないこの判決も、米国の人たちから見ればとても大切なことと受け止めている、という事を、この知人は伝えてくれたのだ。もし彼のコメントがなかったら、ニュースを見てもなにも感じることができなかっただろう。
1941年、アメリカとイギリスが会談で合意した(署名文書はなかった由)大西洋憲章は、枢軸国が勢いを増し、民主主義陣営の将来が危ぶまれる状況のもと起草された。これにはソ連や自由フランス軍を含む多くの国の支持を得た。
それから80年を経て、米バイデン大統領と英ジョンソン首相は先月、新大西洋憲章に署名した。大西洋憲章のときはナチスドイツをはじめとする枢軸国が勢いを増していたが、今、民主主義陣営が意識しているのは強権体制を取る中国やロシアだ。
かつてと同じように今も、民主主義陣営は米前政権における乱れや各国のコロナ対応などで分かるように、一見いささか形勢不利と思われるような状況にある。
日本は、80年前には大西洋憲章に賛同した国々から懸念される側にいた。
新大西洋憲章では逆に、これに賛同する側に位置している。
戦後一貫して日本は、いわゆる西側諸国と「価値観を共にする」立場にあると、政府はよく言明している。もちろんそれは確かなのだけれど、自由や民主主義、言論の自由に対する考え方、そのニュアンスと言うのは、国によってあんがいとちがうものなのかもしれない。
知人のSNS発言を受けて、僕の知らない方がコメントを書いていた。
欧米では法治の生まれた背景に権力(王)から市民を守るという動機があるが、日本はむしろ権力が下々を統治するためのツールとしてスタートした。
アメリカでは法は民を権力から守るためにあるという根幹がぶれていない。日本はどうか。
日本での、明治以降の法体系の整備については、加藤陽子教授が、西欧諸国に対し、自分たちと同じような(目に見える)法治がなされている国、とみなされることで、国際交流や貿易取引を安心して行えることを目指して形作られていった、という指摘がされている(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』)。
憲法については、
「西欧の立憲制はがんらい、国家主権を王と議会が分有する形をとっていた。・・日本にはまだ絶対的な主権という観念がなかった。それをいったん作り出さなければ、立憲制への移行はあり得なかった。そのため、まず絶対的な天皇大権の存在を想定し、それを天皇自らの意思によって制限的に行使するという理論構成がとられたのである」
「天皇は・・あらゆる権利を一心に保有することになっていた。他方で、民権の保証は弱かった。人民の権利は、ヨーロッパでは貴族あるいは人民に固有の権利として説明されたが、日本では憲法によってはじめて与えられたという理論構成になっており、しかも法律の範囲内でという保留がついていた。そしてその根拠も、皇祖皇宗が歴代人民をいつくしんできた伝統に求められた。」
(北岡伸一『日本政治史』)
この「皇祖皇宗が歴代人民をいつくしんできた伝統」については、今出典を見つけられないけど迫水久常氏(いわゆる革新官僚のひとりで、終戦時内閣書記官長)が著書で同様のことを書かれていた。日本には日本の国の在り方(「国体」)があり、それは法治という堅苦しいものではなく、もっとおおらかな関係が伝統的にあったのだと。
迫水氏の考え方は今ではさほど聞かれない考え方かもしれないが、日本の明治以来の法治の考え方として、そういう底流があったことは確かなのだろう。
というわけで、書き始めてからぜんぜん進められず、かつ今も他の予定が押しているのに書きだしたら止まらなくて、その割にぜんぜんまとまりがない話になってしまったけど、色々考えされられますね(なげやりなけつろん)。。
3/7/21 一部誤字等を訂正しました。引用はいずれも一部抜粋です。