ギーゼキングはフランスの生まれだが両親はドイツ人で、第二次大戦中もドイツ在住だったらしい。1895年に生まれて、1956年にイギリスで亡くなっている。50年代に亡くなると、少し古い時代の人のように思えるが、ちょっと調べてみると、ヴィルヘルム・ケンプも同じ95年生まれだ。バックハウスやルービンシュタインはもっと早い生まれだし、コルトーは二回り近く年上だ。指揮者ではカール・ベームがほぼ同じ年の生まれ。古き良き時代というやつだ。
50年代ごろに亡くなった演奏家が古い世代に思えるのは、残された録音がモノラルであることにも関係があるように思う。もっとも、ギーゼキングは1945年という、非常に早い時期にステレオ録音を残したと、ウィキには書かれている。ただ、ルービンシュタインやバックハウスが、僕を含む後世の人たちにも聞き継がれているのは、彼らがその晩年に多くのステレオ録音を残したから、という側面があるからだろう。
今回購入したドビュッシーも1953-55年頃の録音らしく、モノラルだ。とはいえ、その時代の録音技術はかなり進歩していて、多少Fレンジが狭い感じがするものの聞きづらいところはない。
演奏に対する感想は、れいによってうさ耳によるものなので、参考になれるようなことは書けないのだが。。率直に言ってちょっとびっくりしました。上に書いたように最晩年の演奏なのだが、よく指が回ること。ベルガマスク組曲などは、パラパラパラという感じで(なんだそれは(^^;)、別の曲みたいだとは思わないが、とにかく聞いたことのない感じがする。前奏曲だったかな、強鍵をこんなにぶったたいたような演奏をしているのを、これまで聞いたことがない。テンポも自在というか・。まあドビュッシーを、ふだんそれほど熱心に聞いているわけではないけど、ちょっと変わっている、気がする。
エチュードなんかは、この人にはよく似合っている。エチュードはポリーニの、20年ほど前の演奏が好きだ。ポリーニはとても現代的なピアニストという感じがするが、ギーゼキングにも、同じようなモダンさを感じる。ただ同時に、ギーゼキングのほうがどこか外れているところがあり、その点は万事無難を貴ぶ現代の演奏家とはちがう、昔の人らしさが出ている気もする。
白状すると、この日(新宿タワーに久しぶりに行った)レコード棚をみながら、そういえばフランソワのドビュッシー持ってなかったな、何かいいのないかな、と思って、このCD(5枚組で、結構安かった)を見つけた。フランソワのほうはあまりいいのがなかったのだが、家に帰ってみたら、同じCDが家にあった。持っていることをすっかり忘れていた。。さいきん、ときどきそういうことするからな。S&Gの、「ブックエンド」と「明日にかける橋」のCD,持ってるはずだと思って探したが見つからず、なくしたのか初めから持っていないのか、記憶がはっきりしない。まあ買いなおしてもいいけど。